続きが気になるーという反響をいただき、このブログがパニック障害に苦しんでる人や、その周りの人に…
なんらかのお役に立てば…と改めて思いました。
私のパニック障害の原因は…
人から受けた諸々の事ではなかった…
ここからが続きね
そう…義母が亡くなってから13年が経ち、思いもよら無いパニック障害という症状が残り…
原因は義母の親族から受けた仕打ちやと思ってた…
今から思えば、特別意地悪されたって訳ではなく、文化や常識の違いが大きかったかな。
若干…いや…だいぶ…京都市内(田舎も京都府やけど、田舎の人は京都市内に行く時は「京へ行く」って言うくらいやし…市内への都会感はあるんやろね…)、から嫁いできた若い派手な嫁っていう偏見があったことは否めんけどね
文化や常識の違い…
田舎では、「子供がいない嫁は他人」って認識らしく、義母の葬儀の時の私のポジションは…どこ⁈なズレが
例えば…葬儀の時のお焼香の順番って、喪主の義父→長男の私の主人→長男の嫁の私…やん?
それが…田舎では
喪主の義父→長男の私の主人→長女の義姉・旦那・息子2人→次女の義姉・旦那・息子2人…
100歩譲ったとして次こそ私…やん?
ちゃうねんな〜〜
その後に義母親族、その後に義父親族がズラーっと
義母の兄弟は7人、義父兄弟は3人やから、8組の夫婦とその子供らが各2〜3人…
ざっと計算しただけで、30人超え
もうさ…大行列やん
お焼香の順番が回ってくる頃には、お経も終わってたわ
主人や義姉夫婦(義姉達も田舎からは早くに出て、大阪や宇治に嫁いでるから田舎は完全に異文化な世界)は…疑問に思ってくれたし、なんで嫁は一緒に並ばんのー?って言うてはくれたけど…
田舎の雰囲気に抵抗できる空気感は無いな
これだけでも十分すぎるほど、私の感じた疎外感と理不尽な扱いによるストレスが想像できると思いますが
「あんたは他人」って面と向かって存在自体を拒否されることも。
何をやっても、やらなくても「嫁のくせに」って言われる理不尽さも。
何があかんの?どうしたらいいの?がわからずに動けない自分への不甲斐なさも。
何の指示もせず、庇いもしない義父への怒りも。
何もかもがキツかった…
確かに、これもパニック障害を引き起こす要因ではあったと思う。
でも…でも…。
私がパニック障害を患った根本的な原因は…
悲しみと恐怖。
義母が死んだ瞬間…
悲しかった…
喪失感でも、後悔でも、寂しさでも、絶望感でもなく…
ただただ…悲しい悲しい悲しい…
結婚してから義母とのこと7年はごくごく普通の嫁姑。
濃くもなく薄くもなく…特別大事に扱ってもらったってことも無いし、どっちかって言うと月一回は当たり前のように(主人が仕事で留守中にも関わらず)我が家にご飯を食べに来る事や、父の日や母の日にも何かしらの催促をしてくること、田舎に帰ると食事の支度やお茶出しをさせられることも嫌やなーって思ってたくらい
でも…余命半年も無いという宣告(義母には伝えず…)を受けてから義母が亡くなるまでの4か月間、主人を育てた義母へのリスペクトと感謝、家族になったご縁、そして何より…
もっといっぱい色んなことを楽しんだり、伝えたりしたかったであろう義母の無念さを思うと…義母に残された時間を目一杯「ありがとう」を伝える時間にしようって決心して、本当に悔いのない4か月を一緒に過ごせた。
義母の死んだ瞬間…
心の底から込み上げる悲しみ…
その時に…
「この悲しみ…あと2回も経験することになる…。義母の死がこんなに悲しいのに、実母…主人が死んだら…もっと深い悲しみが襲ってくる…」
何でこんなことを思ったんやろ…
義母の死が最大級に悲しいんやけど、その時の私には慰めて癒して励ましてくれる実母と主人がいる…
その2人がいなくなったら…
底知れぬ悲しみ訪れるんじゃないか…という底知れぬ恐怖。
疎外感や怒りや寂しさって…
時が経てば薄れることもあるし、改善したり、何かで紛れたりするけど…
悲しみと恐怖は…
消えないんやね。
原因や要因がわかったとは言え…
パニック障害が治ったり、克服できたわけじゃない…
どうやってうまく付き合っていくか…
次回は私なりの付き合い方を綴っていきます