ふと思い出したので、幼少期を振り返ってみようかと・・・
普通生い立ちから自分史は書くものかもしれませんが、まるごとすっ飛ばしてたので。
エピソード9
『ピンクレディに夢中!そしてThe昭和な小学生だったわたし』
幼少期は、白黒写真でした
冬は雪が1メートルぐらい積もるような山に住んでたので、超田舎。
保育園から小学生の時は、ひとりで路線バスに乗って通っていました。
祖父母、父母、姉、私の6人家族。
でも姉と10歳離れていたため、寮や下宿だった姉とはすぐに別々の暮らしに・・・
アルバムを見たら、結構な年齢になるまで白黒写真が多い(笑)
そんなお年頃。
そして、写真やアルバムの台紙自体の色褪せ方がハンパない。
服を見ても、長いズボンは、パンタロンと呼ばれてた裾が広いものや
いつの時代に好まれた?的な柄の服・・・昭和だ・・・
あの頃は、テレビが家庭に1台しかなくて、何度残念な思いをしたことか・・・
家族で同じものを見るというのは、いいことだったのかもしれないけど・・・
水戸黄門や大岡越前、江戸を斬るとか覚えてるし・・・
近所も離れていたし、友達のところへ行くのは無理なので、家で過ごす。
なのでテレビは娯楽だし、みんなと共通の話題になる・・・
夕方5時ごろからのアニメタイムはそれはそれは楽しみで・・・
が、相撲のシーズンが始まると祖父母にテレビは乗っ取られるΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
秘密のアッコちゃんや、さるとびえっちゃん、魔女っ娘メグちゃん、そんな昭和のアニメに夢中でした。
もちろん、タイムボカンだったり、ルパンだったり、フランダースの犬も観てましたが・・・
デビルマンとかバビル2世とかも好きだったなあ・・・
そしてハマりにハマった「キャンディキャンディ」
アンソニーは理想の王子さまでした(笑)
小学生後半には、エースをねらえや、ベルサイユのばらにもまんまとハマってました。
そんな小学生の私に、あのブームがやってきます。
そう、ピンクレディ
ミーちゃん派やケイちゃん派に分かれ、みんな歌って踊ったピンクレディ。
大人になってから同年代といったカラオケでは、
みんな今でもけっこう踊れたことに衝撃(笑)
持ち物から何からピンクレディに染まる・・・
ベストテンも欠かさず見てたし・・・
なぜか、大真面目にピンクレディのサインもマネしてたなあ(笑)
6年生ぐらいにたのきんブームもやってくるので、
ここからはアイドルに夢中に・・・
松田聖子派 、三原じゅん子派もいたなあ。
そして、小さいときに楽しみで買ってもらってたのが雑誌。
というより、付録。
今ネットで探して見つけて懐かしくて・・・
ソノシートという赤や青の色のペラペラのレコード。
付録の紙のプレーヤーを組み立てて回す。
もちろん普通にステレオでも聴けたけど。
学習と科学という雑誌が学校から希望で買うことが出来て、
太陽を見るやつやら、いろんな実験するやつやら、あそんだなあ。
日光写真なんて今の人知らないだろうなあ。
漫画雑誌の付録も楽しみでした。
なかよしや、りぼんっていう雑誌の付録。
これ目当てで買ってたと言っても過言じゃない。
そして、そんなことを友達とワイワイキャーキャー言いながらすごした幼少期
今の子どもたちは、(息子たちの小さいときも含めて)
一緒にその場にいるのにそれぞれがゲームしてる・・・みたいなことはなく、
全校30人ぐらいの学校でしたが、みんなで遊ぶのが楽しみでした。
入学した時は60人ぐらいいたのに、卒業の頃には半分。
過疎化の波が・・・(笑)
人数が少ない学校ならではで、全部しなきゃいけない。
春には、陸上大会、夏には水泳、秋の運動会のための鼓笛隊の練習。
トランペットもふけるようになったし、ベルリラという楽器もできたし、
小太鼓もたたいたし、冬には、ミニバスケットと、剣道。
オールマイティにこなすしかなかったけど、
今思えば貴重な経験。
そんなのんびりした小学生時代でした。
1年入学時は結構大人しめだったはず。
給食も一番最後まで残って食べるような子供で、
みんなが掃除してるときも食べてた。
が、2年生で一変。
給食も早くなるし、いろんなことが活発に・・・
このころから今の私になってきた~な感じです。
若い人にはさっぱりわからない用語だらけの幼少期の自分史でした。