今年もこの日になりました


毎年、1月17日にアップする投稿記事ですが

今年もまたアップしておきます

自分自身も、この日のことを忘れない為に…


今年は元日に能登で大きな地震があり、今なお続く余震の中で沢山の方が怖い思いをされ苦しんでおられます。行方不明の方もおられます。


こんな時は何をするにも不謹慎に感じ、憚られます。


地震国とも呼ばれる日本…

震災は、いつ、どこに来るかわからないことを

今一度、目を背けることなく、真剣に考えていかなくてはと痛感しています



ーーーーーー



1995年1月17日

この日は、忘れられないし
一生忘れない
関西に住んでいる人は
みんな、同じはず

それぞれが
それぞれの哀しみや思いを抱いて生きてきた

その日、連休明けで通常の平日になることを疑わず
何の予知も感じず夢の中にいた時

突然すごい揺れが!

窓の外は稲妻が走って光っていた

ゴーッという音が響き
ジェットコースターに乗っているかのように振り回されている間の恐怖
そして何が起こっているのかわからず
理解できないままの数分間…

マンションのあちこちの部屋からの悲鳴…

階下からは外に避難した人達のざわめき…

寝室に閉じ込められた私たち一家に向けて向かいのマンションからサーチライトが差し込んでくる



今もまだ昨日のことのように覚えてる💦

あんな思いはもう二度としたくないし
誰にもしてほしくない

津波の恐怖こそ味わうことはなかったけれど
家の中の全ての物が倒れ、飛び交い、揺れが収まった後の光景は地獄絵図
どこから出てきたのかわからない写真があちこちに… 
これって、テレビの中の光景にあったなと思った

あの時
私の物欲は見事になくなった
もう、何もいらない…

その日から決算の仕事で遅くなる予定だったので
我が家で最大のお鍋に一杯のおでんを作っていた
ガスコンロの上に倒れ込んだ食器棚の裏側にバサっと全てが流れ込んだ…

一口も食べないまま!

家の中に漂う、おでんの匂い…
あれからしばらくは
おでんが作れなかった

実際、その後おでんを作った時に
地震があったこともあり
おでん=地震という記憶ができあがってしまった

今は普通に作れるようになったけれど
決してあの記憶は消えない

あれからもう29年なんだ…
嘘みたいに近い記憶

我が家のあったマンションは
半壊で済んだけれど、周囲は更に信じられない光景だった
近くの新幹線の高架は落ち
下の階が押しつぶされたマンション
沢山の倒壊した家々
集落では沢山の方が亡くなった

国道の跨道橋も落ちていた

高速道路が倒れている画像は

全ての方の目に、心に

刻まれているでしょう

今にも落ちそうになっているバスの画像も!

そのバスの運転手さんがまだ現役で運転されていて昨年定年を迎えられたそうで

若い後輩達に、当時のことを語り継いでおられたことがニュースで流れていました

ほんとに怖かったでしょうね

あり得ないことが起こったのですから…


よく行った、高架の地元の高架にあった駅も落ち

犠牲になった方もおられました


そんな光景をテレビで見ながらも

勤務先の会社が気になり
地割れした道を車で走り出すと
すぐに地割れにはまり込み
動けなくなった

周囲の車の運転手さんが数人で
助け出して下さって
何とか会社にたどり着くと
そこは、もう入ることができなかった


後日出勤できるようになった時
会社の敷地内のビルが一つ、見事に潰れていた…
私の職場のあるビルの更衣室を兼ねたロッカールームは
ドアを開けると、床がなかった

想像もできない風景は
映画の中の世界だった
でも全て現実
大きな道を避けて通った住宅街では

あちこちに崩れ、ペシャンコになった家々が…

あの下に、もしかしたら挟まれて動けなくなっている方がおられるかもと思い、それでも何もできない我が身が情けなかった


命があっただけ奇跡
そう思う
あの時のことを書くと
あまりにも書きたいことがあって書ききれない
簡単に本ができるぐらいに…

家族を全て亡くした方も

家を失った方も

知人の中にいます

諦めなくてないけないこと、で済ませてしまって良いのでしょうか

風化させてしまっても良いのでしょうか


いいえ!
忘れてはいけない
せめて、伝えていかなくては…

全ての物が、幸せが、思いが、そして、尊いいのちが一瞬で無くなってしまう

地震に限らず
災害の怖さを
忘れてはいけない

あの地震の直後、
三田さんの呼びかけがきっかけでチャリティーコンサートが開かれた

私はすぐ近くに住んでいたのにその情報が届かず
行けなかったことが、いまだに悔しいけれど三田さんには感謝で一杯です
ありがとうございました
元気づけられた方がどれだけおられたか!
三田さんを誇りに思います


ちなみに
私の知人友人の中で一番被害があったのは我が家…💦
連絡がつかなかったのに
身内は誰も心配してくれていなかったという笑い話もあった

それでよかったと今は思っている
こんな思い、誰にも経験してほしくないから

何回もこのブログで書いたこともあると思いますが
同じことでも、これからも書き続けていきます

それが被害を受けた人達皆に課せられた

大きな義務かもしれないと思うから

沢山の犠牲を無にしない為に…





南海トラフや富士山噴火を危惧する声が
年々大きくなるばかりです
ただただ怖い…
怖がっているばかりでは何も進歩しない
わかっていても、どうすることもできないから
怖さと不安の中に身を置いていることしかできないのがもどかしい

すばやく行動できない高齢の障害者は
もうなるようにしかならないから
できるだけ苦しまないよう…と
最悪の最後の瞬間を祈ってしまいます

だったら
後悔のない毎日を過ごしたい
食べたい物を食べ
会いたい人に会って
行きたいところに行く!

また今度!…は
もう、私達にはないのだ
そう思って
生きていかなくてはおねがい

……………

能登大地震で被災された方に
安穏の日々が早くやってきますように…
でも
失われた命はもう
戻ってこない