先月父が亡くなりました

82歳でした。

晩年はアルツハイマーを患い

どんどん日々の記憶や

家族の記憶もあいまいになり

夏にあったときには 

私のことは自分の妹と記憶してました。

。。なぜか私の娘、孫のことは名前も顔も覚えてましたが。。。???

 

複雑な家族関係・・・

というほどのものではなかったけれど

私にとって20代は

親や家族との記憶が抜け落ちた時期

 

30代になって結婚、出産してやっと

親の事情や感情を 親となった自分と重ねながら

気持ちにけりをつけられたような記憶が。。。

 

そんな記憶も想いも

20年もたてば薄れていくけど

今度は老いた親たちそれぞれの

新しい家族も含めた老後問題。

 

今の自分たちの生活と 

親たちとのそれ等の問題の

どこかにぶつけたくてもぶつけられない

想いを分かち合うには

私と身内の関係はどこかすれ違っていたようで。

 

父親が亡くなったのは、

私が娘と病院に見舞いに行こうと予定していた朝。

 

結局 父親の最後の顔は見れず。

決まった火葬の日程を 

折り合いの悪かった父親のパートナーから聞き出して娘と二人

葬儀社が用意したのとは別の壺に足の骨などをすこし収めて終了。

 

誰に対しても恨む気持ちも怒る気持ちもなく

悲しいとか寂しいとかいう気持ちもわかず

たんたんと父親との別れを終えて、

自分でも薄情なほどの自分の感情に

若干あきれつつ

1か月弱立った今感じる事。

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哀しみも寂しさも

誰かと分かち合うことで癒されて

昇華していけるもの。

私はあの日、

本来なら同じ思い出を共有する家族が

誰もいない状況で父親を見送って、

どうしても相容れられない

父のパートナーに対しての想いを感じないように、

あらわにしないように努めることに精いっぱいで。

 

 

それ以降も 

もちろんいろいろなことを

思い出したりしながらも

結構冷静に親の死を受け入れてるんやなーと

客観的に自分を感じてました。

 

 

昨日 友人に初めて父親のなくなった時の話をしました。

 

そしたらその日 一人で車を運転している時に

堰を切ったように

20代のころのどうしようもない孤独感や不安。

それ以降の怒りやあきらめや

幼いころの家族との思い出がないまぜになって。

 

ここ何年かの自分の想い、

反省や申し訳なさがあふれてきて。

 

涙が止まらなくなってきて。

 

60の声が聞こえるような年になってもこんな風に泣くものなのかと 

自分をいさめてもまだ収まらない感情にびっくりで。。。

 

 

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慰めも、励ましも、同情も欲しくなくて

誰にも話せなかった自分の想いを ただただ受け止めてくれた友人に感謝。

 

そして一連の状況に

ことさらの言葉や感情を表さないままに

私に寄り添ってくれた娘の成長に感動と感謝。

 

どうしても抜けられない仕事の中でも

私の代わりにいろいろやりとりをしてくれた主人にも もちろん感謝。

 

いろいろな人に支えられながら

今年は数えると4人いる親のうち

義理の父と実の父の二人の死に立ち会って、

自分の立ち位置を確認して、

これからの自分の老いにどう向き合うのか、

今まだ元気な主人の両親や実母との

これからの生活を考えることになった秋。

 

今日は秋晴れです。。。

 

 

このブログに書き記す種類の内容ではない気もしながら

それでもどこかに書きとどめたくて書きました。

 

最後まで読んでくださった方がいらっしゃれば

感謝です。

ありがとうございました。