ドメニコ・チマローザ 歌劇『秘密の結婚』 序曲 | クラシックばっか 時空間

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 今日 1月11日(月)は、ドメニコ・チマローザの命日です。

 ドメニコ・チマローザ(1749年12月17日 - 1801年1月11日ヴェネツィア)は、イタリアの作曲家です。

 18世紀後期のナポリ楽派において、以前ご紹介したことのある「グルック・ピッチンニ論争」の当事者ニコロ・ピッチンニ(1728~1800)、ジョヴァンニ・パイジエロ(1740~1816)と並ぶ代表的なオペラ作曲家です。


■歌劇『秘密の結婚』 序曲
ーーー (約6分) ーーーーーーーーーーーーーーー
トスカニーニ

 

 

https://youtu.be/L5HwTDfb3do

■2021年1月11日 ーーーーーーーーーーーーーー


 レンガ職人の父と洗濯婦の母との間にナポリの近郊アヴェルサで貧しい家庭に生れました。父は作業中に事故死してしまいますが、幼い頃より優れた楽才を持っていることを僧院のオルガン奏者に認められ、その援助を得て11歳でナポリにあるサンタ・マリア・ディ・ロレート音楽院に入学し、10年間学びましだ。

  1771年(22歳の時)、最初のオペラ『伯爵の奇行』を作曲し、翌1772年にナポリで上演し成功を収めます。チマローザの真価はナポリで認められるようになり、その後イタリアの主要都市で彼のオペラが上演されるようになります。

 1778年(29歳の時)、ローマの各劇場から作曲の委嘱を受け、活躍します。ローマ教皇の命令により女性は舞台に載る事ができない為、カストラート(変声期前の少年を去勢手術によって声変わりを防ぎ、成人してからも少年の声域を保持した歌手)達が演じ歌ったといいます。やがて、イタリアでもっとも人気のある作曲家となっていきました。

  その後、1787年、ロシアの女帝エカテリーナ2世の宮廷楽長としてペテルブルクに招かれ、オペラやカンタータなどを作曲し、1791年、42歳のとき レオポルト2世の招きで、アントニオ・サリエリの後任としてウィーンの宮廷楽長となります。

 そして翌1792年、彼の代表作となったオペラ『秘密の結婚』を作曲し、1792年2月7日にウィーンのブルグ劇場で初演が行われたました。臨席した皇帝レオポルド2世はこの作品に感動し、同じ晩にもう一度上演させたといいます。




その後93年に皇帝が亡くなると、彼はナポリに戻りましたが、この作品は、5ヶ月の間に100回近く上演されるほどの人気であったといわれます。その後、彼は96年に宮廷礼拝堂のオルガニストとなっています。

 彼は典型的な多作家で、オペラは約70曲を数え、その他オラトリオ、ミサ、モテットの宗教音楽、チェンバロ・ソナタをはじめとする器楽曲も多く書きましたが、やはり、本領を発揮したのはオペラ・ブッファでしょう。
 
 チマローザと同年生れのゲーテ(1749~1832)は彼の音楽を賞賛しています。18世紀のパイジェルロなどのイタリア・オペラ・ブッファの伝統をロッシーニや、ドニゼッティに引き継いだ功績は大きく、ロッシーニが登場するまで、イタリアのオペラ・ブッファにおける第一人者は、チマローザでした。

 

■歌劇『秘密の結婚』 全曲

ーーー (約2時間28分) ーーーーーーーーー

 

 

 

■2021年1月11日 ーーーーーーーーーーー


 今日ご紹介する 印象的な美しい旋律を持つ『秘密の結婚』は、モーツァルトと比肩されるオペラ作曲家であったチマローザの代表作です。密かに結婚しているカロリーナとパオリーノがそれを親に認めさせようと仕組んだことから起こる行き違いと人びとの思惑、そして最後は幸せな結末で終わる物語です。


寒い日が続いています。
お身体を大切に。


ドメニコ・チマローザ