① 今日 6月2日は、エドワード・エルガーの誕生日です。
サー・エドワード・ウィリアム・エルガー(1857~1934)は、イギリスを代表する作曲家であり、指揮者です。また、もとは音楽教師であり、ヴァイオリニストでもありました。
小さな楽器店を営みながら教会オルガニストをしていた父親から音楽を学びました。独力で種々の楽器奏法の習得に励み、楽器店に並ぶ多くの理論書や楽譜を読みあさっていたといいます。
15歳で学校を卒業しましたが、家庭の経済事情からドイツ留学をあきらめています。その後、楽器店を手伝いながら独学を続け、地元で室内楽の演奏活動を行いました。
20歳でヴァイオリンを本格的に学ぶものの、結局は技巧派奏者となる夢を果たすことは出来ませんでした。
30歳を過ぎて結婚したエルガーは、愛する妻という活力を得てヴァイオリン教師を生業とするようになりますが、1899年頃ロンドンで初演された「エニグマ変奏曲」が好評を博し、作曲家としてようやく認められるようになります。
このときすでに彼は40歳を超えていました。
この後に発表された曲の評判も良く、その名はドイツ、そしてヨーロッパ中に広まって行きました。1900年台前半は、作曲家としてもっとも輝ける時期であり、交響曲第1番はこの頃の作品です。
50歳を前にしてナイトに叙され、後年准男爵にも叙されてその栄光をたたえられましたが、63歳で夫人が他界すると、喪失感からからかその後の創作活動には、あまり見るべきものがないとされています。
彼女がエルガーにとって、いかに心のよりどころであったかということが察せられます。
「威風堂々」というタイトルの行進曲(こちら)は、全部で5曲ありますが、今日聴いて頂く第1番がもっとも有名だと思います。
当時の国王エドワード7世の心をつかんだトリオの旋律は、エドワード7世からの歌詞をつけてほしいという要望に従い、翌年に国王のための「戴冠式頌歌」を作曲、終曲「希望と栄光の国」にこの行進曲の中間部の旋律を用いました。
第二の国歌のように人々に愛されています。(アジアのどこかの国とは大違いです。それにしても EU離脱問題の行方が気になるところです。 )
楽曲の構成は、(Allegro, con molto fuoco – Trio. Largamente – Molto maestoso)のニ長調であり、1901年に作曲され、同年の10月19日にリヴァプールにてアルフレッド・ロードウォルドの指揮で初演されました。
エルガーの友人でもあったロードウォルドとリヴァプールの管弦楽団に捧げられました。
初演から3日後の1901年10月22日、ロンドンのクイーンズホール(Queen's Hall)での演奏会では、聴衆が2度にわたるアンコールを求めたことが逸話として伝えられています。
サー・エドワード・エルガー
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「威風堂々」第1番 作品39 2019/06/02
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※ 今日6月2日(日)は、義父の1年忌なので。その他の「今日は何の日 6月2日(日)」は、リンクだけ張っておきます。<(_ _)>
②ヴィエルヌの命日:「ウェストミンスターの鐘」 作品54-6(3つの演奏をご紹介)
(ドミレソー ソレミドー ミドレソー ソレミドー)
③ サン=サーンス「ピアノ協奏曲第5番」ヘ長調 作品103 が初演された日(サン=サーンスから ちょっと拡がる本ブログ「クラシックばっか」の世界へ)
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「時間は欲しい。でも時間が惜しいからと言って、人との話の時間を割いたり、省略したりしてはいけない。相手には相手のペースがあるので、自分の能力を最大限へと高め、自己の情報の処理能力をアップするしか方法はないかもしれない。」 ブログ記事を書きながら、そんなことを思いました。