ジークフリート・ワーグナー  「交響曲」 ハ短調 | クラシックばっか 時空間

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 今日 8月4日は、ジークフリート・ワーグナー(1869~1930)の命日である。

  ジークフリート・ヘルフェリッヒ・リヒャルト・ワーグナーは、ドイツの作曲家であり、指揮者、演出家である。「楽劇王」と呼ばれるリヒャルト・ワーグナー(1813~1883)を父に、リストの娘コジマを母に持つ息子である。つまりは、フランツ・リスト(1811~1886)の孫ということになる。
 
 初期の音楽教育は一応、父の弟子で、ドイツの作曲家 エンゲルベルト・フンパーディンク(1854~1921)(オペラ『ヘンゼルとグレーテル』で有名)に習っていたが、父リヒャルト・ワーグナーが必ずしも音楽家への道を無理強いしなかったこともあり、最初は建築家を志し、ベルリンやカールスルーエ(バーデン=ヴュルテンベルク州のシュトゥットガルト、マンハイムに続く3番目の規模の都市)で、建築学を専攻し勉強していた。しかし徐々に後継者としての使命感に目覚め、1892年より再びフンパーディンクに師事、作曲を学んだ。

 作品には、父親よりも多い 19の「オペラ」作品や管弦楽作品などがあり、オペラ台本も自ら執筆しているところは、父親譲りである。しかし、性格は極めて円満で温厚であり、癇癪(かんしゃく)や偏見、浪費といった父親の悪癖とは無縁であり、その人柄には多くの音楽家が惹き付けられたという。気むずかし屋のトスカニーニでさえも彼のためにバイロイト音楽祭への出演を快諾したと言われている。その気性からか、台頭しはじめていたナチズムにも終始距離を保ち続けた。

  作曲家としては生前からそれほど成功はしなかったが、1896年にはバイロイト音楽祭の『ニーベルングの指環』で指揮者としてデビューを果たし、 1908年からは同音楽祭を主催し、終身芸術監督に就任。死の直前まで演出家として活躍し続けた。

 今日ご紹介する「交響曲」ハ短調は、1925年に一旦完成され、1927年に第2楽章の第2稿が書かれた。4楽章よりなり、楽曲の構成は、以下の通りである。(父リヒャルト・ワーグナーも、ハ長調の「交響曲」を1曲だけ書いている。)

・第1楽章:Mässig(メーシヒ)中くらいの速さで
          ハ短調 3/4拍子 ソナタ形式
・第2楽章:Sehr langsam(ゼーア ラングザーム)非常に遅く
          イ短調 4/4拍子
・第3楽章:Lebhaft(レープハフト) 生き生きと活気に満ちた
          ホ長調 3/4拍子 ロンド形式
・第4楽章:Bewegt (ベヴェークト)  速く、動きのある
                    ハ短調 4/4拍子 ソナタ形式


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□第1楽章□(演奏時間:約11分)
■■「交響曲」ハ短調(第1楽章)□ ▶ Siegfried Wagner "Symphony in C Major" (1. Mov.) - YouTube

□第2楽章□(演奏時間:約12分)
■■「交響曲」ハ短調(第2楽章)□ ▶ Siegfried Wagner "Symphony in C Major" (2. Mov.) - YouTube

□第3楽章□(演奏時間:約13分)
■■「交響曲」ハ短調(第3楽章)□ ▶ Siegfried Wagner "Symphony in C Major" (3. Mov.) - YouTube

□第4楽章□(演奏時間:約11分)
■■「交響曲」ハ短調(第4楽章)□ ▶ Siegfried Wagner "Symphony in C Major" (4. Mov.) - YouTube

□参考□ 第2楽章(第2稿)(演奏時間:約10分)
■■「交響曲」ハ短調(第2楽章:改訂稿)□ ▶ Siegfried Wagner "Symphony in C" (Later Version of the 2. Movement) - YouTube