ムソルグスキー 交響詩 「はげ山の一夜」 ニ短調 | クラシックばっか 時空間

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 今日3月28日は、ムソルグスキーの命日である。

 

 

 

■交響詩 「はげ山の一夜」 ニ短調  ーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

■2019/03/17 23:17  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 モデスト・ペトロヴィッチ・ムソルグスキー(1839年~1881年)はロシアの作曲家で、バラキレフ、キュイ、ボロディン、リムスキー=コルサコフ、とともに「ロシア五人組」の一人である。

 地主階級に生まれたムソルグスキーは、6歳から母の手ほどきでピアノを始める。

 

10歳のときサンクトペテルブルクのエリート養成機関ペトロパヴロフスク学校に入学。1852年には父が出費して、ピアノ曲「騎手のポルカ」(現存せず)が出版された。

 

   ムソルグスキーは、バラキレフに師事して、ベートーヴェンなどのドイツ音楽を学んでおり、初期作品は未だ民族主義的な傾向ではない。バラキレフの協力により、60年にロシア音楽協会の演奏会で曲が取り上げられ、作曲家として初めて認めたれた。

 

しかし、翌年農地解放が行われ、ムソルグスキー家は経済的に大打撃を被る。その後ペテルブルクに戻り、下級官吏として生計を立てる。

 

この頃より同胞愛や郷土愛に目覚めた彼は、リアリズム芸術家としての活動を通して、歌曲の分野でデクラメーション様式(ロシア語の話し言葉の抑揚やリズムを用いて劇的効果をねらう歌唱(朗読)法)を取り入れ、ついには完成させた。

 

 

  なお、本曲「はげ山の一夜」の作曲者による原典版は、1867年だが、諸事情により演奏されなかった。ムソルグスキー没後、彼の才能を何とかして世に知らしめたいと考えたリムスキー=コルサコフが1886年に改訂版を発表し、初演は作曲後100年以上を経た1968年に行われ、以後、広く知られるところとなった。

 

 

●なお、今日3月28日は、ロシアの作曲家 セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)の命日でもあることを付け加えておきたい。

 

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■交響詩 「はげ山の一夜」 ニ短調  ーーーーーーーーーーーーー

 

 

■2019/03/17 23:20  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

■(演奏時間約12分)■A Night on Bald Mountain by Mussorgsky - Played by the Emory Youth Symphony Orchestra - YouTube

 

 

(※ロシア五人組に関する参考記事)
2013年
    1月18日 ・キュイ 「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」
     1月 2日 ・バラキレフ  「イスラメイ」(東洋的幻想曲)
2012年
  11月12日 ・ボロディン  歌劇『イーゴリ公』より,「序曲」,他
    10月 7日 ・リムスキー=コルサコフ 「4つの音楽的絵画」
    3月28日・ムソルグスキー  交響詩 「はげ山の一夜」
     3月18日 ・リムスキー=コルサコフ 「シェヘラザード」
    2月 6日・ボロディン  交響詩「中央アジアの草原にて」