その1から続く
【第3章】
しかし、この考え方は、NYに行って、何度か
ジャズ・クルセイダーズの演奏を生で観て(聴いて)変った。
ややこしいのだが、クルセイダーズの活動停止期間中、
オリジナル・メンバーで、一番最初にクルセイダーズを脱退した
ウェイン・ヘンダーゾンが、昔のバンド名「ジャズ・クルセイダーズ」を名乗り、
ウィルトン・フェルダーをサックスに迎えて、NYでライブ活動もし、CDも何枚か出していたのだ。
ライブの時の、他のメンバーは誰だったか、ちょっと思い出せないのだが、
マーカス・ミラーやヴィクター・ベイリーなど、みんながあっと驚くようなメンバーだったと思う。
そのNYで何度か観たジャズ・クルセイダーズの演奏を体験した結果、
クルセイダーズの音楽の「核」は、ウェイン・ヘンダーソンだったのではないか、と思い始めた。
スティックス・フーパーも、ジョー・サンプルもいない、ジャズ・クルセイダーズは、往年のクルセイダーズの名曲をすごいグルーブ感で演奏し、
・ウェイン・ヘンダーソンのトロンボーンと
・ウィルトン・フェルダーのサックスによる
2ホーンは、まさにこれがテキサス・ファンクだったのか、という凄いノリだった。そして、バンド全体をコントロールしていたのは、ウェイン・ヘンダーソンだったのだ。
さて、ここからさらにややこしくなる。
【第4章】
クルセイダーズ、突然の復活。
活動を停止していたクルセイダーズは、オリジナル・メンバーの3名すなわち、
ジョー・サンプル(キーボード)
スティックス・フーパー(ドラムス)
ウィルトン・フェルダー(サックス)
に、ゲストに
エリック・クラプトン
レイ・パーカーJR
などを迎えて、「ルーラル・リニューアル」というアルバムとともに復活したのだ。2002年のことである。
しかも、翌年2003年、来日したのである。
だが、不覚にも、ぼくはこのライブには行かなかった。
なぜかというと、
・ウィルトン・フェルダーがかつてほど豪快にサックスをふけなくなっていることを知っていたから。
・スティックス・フーパーは来日しなかったから
・ジョー・サンプルの「クルセイダーズ」は、あんまり黒っぽくいないだろうと思っていたから。
復活し2003年に来日したクルセイダーズは、完全にジョー・サンプルのリーディング・バンドである。このことは間違いない。
そして、4名のオリジナル・メンバーのうち、一番繊細な音を出すのがジョー・サンプル。
「メロディーズ・オブ・ラブ」や
「カーメル」など、すごくメロディアスで情緒的な曲を、彼はソロで書いていたからだ。
だから、ジョー・サンプルがリーダーシップを持った、新しいクルセイダーズは、
もう前ほどウィルトン・フェルダーは豪快に吹けないし、スティックス・フーパーもいないので、ぐりぐりくる豪快なテキサス・ファンクなサウンドは出せない、と思ってしまったからだ。
しかし、これは大きな誤算、大きな誤解だった。
2003年の来日時のライブを収録したCD「Live in Japan 2003」は、
トロンボーン奏者を入れ、
レイパーカーJr.が大活躍する、見事なサウンドに満ちていたからだ。
そして、今年、そのクルセイダーズが、今度はドラムスにスティーブ・ガッドを迎えて来日した。
これは、もう観にいくしかないだろう!
(その3に続く)
【参考】
クルセイダーズ「ストリート・ライフ」
彼らの大ヒット・アルバム。Jazz. R&B.Pop等あらゆるチャートでTop5入りした。

ストリート・ライフ / クルセイダーズ
クルセイダーズ/ストリート・ライフ
クルセイダーズ/ストリート・ライフ
ストリート・ライフ / クルセイダーズ
お気に入りのビデオ・クリップ
バラク・オバマ氏の演説に感激した
will. i. amが、仲間を集めてたった2日で制作したそうだ。
オバマ氏にい依頼されて作ったわけではないという。
こういう自主的な動きが出てくるところが、
アメリカの凄さかもしれない。
スティーヴ・ガッドをドラムスに迎えて、クルセイダーズが帰ってきた!
Bunkamura オーチャードホールで開催された、JVC Jazz Festivalに、そんな彼らを観に(聴きに)行ってきた。
クルセイダーズには、今までに2回のピークがあったと思う。しかも短期間のうちに。彼らの略歴をご紹介する。かなり入り組んでいるので、章にわけて書こう。
【第一章】
クルセイダーズは、もともとは、ジャズ・クルセイダーズと名乗っていて、
オリジナル・メンバーは
ウェイン・ヘンダーソン(トロンボーン)
ウィルトン・フェルダー(サックスZ)
ジョー・サンプル(キーボード)
スティックス・フーパー(ドラムス)
の4名。
彼らが、名前を「ジャズ・クルセイダーズ」から「クルセイダーズ」に変え、
ジャズのみならず、ソウル、ブルース、ファンクなどあらゆる要素を取り入れたサウンドを生み出し、フュージョンという言葉が生まれる前から、フユージョン的な音楽を創り出してきた。
それがひとつのピークを迎えたのは、
ゲスト扱いだった、ラリー・カールトンも正式メンバーとなって大活躍している、1976年の作品
「The Crusaders Those Southern Knights」(南から来た十字軍)
だと思う。
このアルバムの発表後、リーダー的な存在だったウェイン・ヘンダーソンが脱退。しかし、バンドのエネルギーはまだ持続していて。
1977年発表の
「Free As The Wind」(旋風が舞う)でも、黄金期の演奏を残している。
しかし、ラリー・カールトンも脱退し、クルセイダーズは方向転換を志向する。
【第2章】
それまで、自らを「アンサング・ヒーローズ」(歌わないヒーローズ)と称していた彼らが、
ランディ・クロフォードをゲスト・ボーカルに迎えた
1979年の
「Street Light」は、大ヒット。
ジャズ、R&B、ポップ・チャートでも上位に入り、
日本では、ディスコでもかかっていた。
このボーカルを迎えて、ポップ志向を強めた、クルセイダーズは、1980年に
「Rhapsody and Blues」(ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」にひっかけたタイトル名)を発表。
やはり、ボーカルにビル・ウィザーズをフィーチャーして「Soul Shadows」という名曲を残している。
ぼくが、クルセイダーズを聴き始めたのは、「南から来た十字軍」「旋風に舞う」くらいからだが、ラリー・カールトンは脱退しており、
オリジナル・メンバー4名+ラリー・カールトン(g)という
黄金期のライブは観たことがない。
ライブ・バンドとしての定評も高かった彼らだけに、残念だったが、
「ラプソディ and ブルース」発表後に確か2年連続して来日しており、bくは両方とも喜び勇んでライブを観に行ったと思う。
この時のツアー・メンバーは、
ウィルトン・フェルダー(サックスZ)
ジョー・サンプル(キーボード)
スティックス・フーパー(ドラムス)
のオリジナルメンバー3名に
ベースにアルフォンソ・ジョンソン(元ウェザー・リポート)
ギターに
バリー・フィナティ(元マイルス・バンド)
David T Walker(いぶし銀のギター)
2回目は、David T. Walkerに代わり、
ローランド・バウティスタ(元Earth Wind & Fire)
という超強力メンバーで、来日している。
ラリー・カールトン在籍時と2-3年しかたっていないが、
・ウェイン・ヘンダーソンの脱退(2ホーンが1ホーンになった)
・ボーカリストの起用
・David T. Walkerのように、ラリー・カールトンのようなリード・ギターではなく、グルーブ感を生み出すサイド・ギターの重用など、
全く違う性格のバンドとして再度全盛期を迎えていたと思う。
しかし、クルセイダーズは、その後失速し、
スティックス・フーパーまで脱退して、しばらくバンド活動停止(ていうか、解散に近い)していた。
クルセイダーズは、そのうねるようなグルーブ感から、
テキサス・ファンクとも言われていたが、
ぼくは、そのグルーブ感の中心人物は、サックスのウィルトン・フェルダーだと思っていた。
ひとつには、
・ウィルトン・フェルダーのサックスが豪快な音を出していたこと
・来日と同時期の1980年に出したソロ・アルバム
「インヘリット・ザ・ウィンド」では、ボーカルにこれまた濃いボーカリスト、
ボビー・ウーマックをフィーチャーしており、黒い塊のような演奏をしていたこと。
・ウィルトン・フェルダーはベーシストとしても有名で、多くのR&B系のセッションでベースを弾いていたこと。来日メンバーのアルフォンソ・ジョンソンは、ベーシストとしてのウィルトン・フェルダーから学びたいためにクルセイダーズに参加していたこと
などが理由だ。
(その2に続く)
【参考】アルバム紹介
クルセイダーズ「南から来た十字軍」
ラリー・カールトン在籍時の名盤。勢いあるラリー・カールトンのギター・ソロがカッコいい。
クルセイダーズ/南から来た十字軍
南から来た十字軍 / クルセイダーズ
南から来た十字軍
Bunkamura オーチャードホールで開催された、JVC Jazz Festivalに、そんな彼らを観に(聴きに)行ってきた。
クルセイダーズには、今までに2回のピークがあったと思う。しかも短期間のうちに。彼らの略歴をご紹介する。かなり入り組んでいるので、章にわけて書こう。
【第一章】
クルセイダーズは、もともとは、ジャズ・クルセイダーズと名乗っていて、
オリジナル・メンバーは
ウェイン・ヘンダーソン(トロンボーン)
ウィルトン・フェルダー(サックスZ)
ジョー・サンプル(キーボード)
スティックス・フーパー(ドラムス)
の4名。
彼らが、名前を「ジャズ・クルセイダーズ」から「クルセイダーズ」に変え、
ジャズのみならず、ソウル、ブルース、ファンクなどあらゆる要素を取り入れたサウンドを生み出し、フュージョンという言葉が生まれる前から、フユージョン的な音楽を創り出してきた。
それがひとつのピークを迎えたのは、
ゲスト扱いだった、ラリー・カールトンも正式メンバーとなって大活躍している、1976年の作品
「The Crusaders Those Southern Knights」(南から来た十字軍)
だと思う。
このアルバムの発表後、リーダー的な存在だったウェイン・ヘンダーソンが脱退。しかし、バンドのエネルギーはまだ持続していて。
1977年発表の
「Free As The Wind」(旋風が舞う)でも、黄金期の演奏を残している。
しかし、ラリー・カールトンも脱退し、クルセイダーズは方向転換を志向する。
【第2章】
それまで、自らを「アンサング・ヒーローズ」(歌わないヒーローズ)と称していた彼らが、
ランディ・クロフォードをゲスト・ボーカルに迎えた
1979年の
「Street Light」は、大ヒット。
ジャズ、R&B、ポップ・チャートでも上位に入り、
日本では、ディスコでもかかっていた。
このボーカルを迎えて、ポップ志向を強めた、クルセイダーズは、1980年に
「Rhapsody and Blues」(ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」にひっかけたタイトル名)を発表。
やはり、ボーカルにビル・ウィザーズをフィーチャーして「Soul Shadows」という名曲を残している。
ぼくが、クルセイダーズを聴き始めたのは、「南から来た十字軍」「旋風に舞う」くらいからだが、ラリー・カールトンは脱退しており、
オリジナル・メンバー4名+ラリー・カールトン(g)という
黄金期のライブは観たことがない。
ライブ・バンドとしての定評も高かった彼らだけに、残念だったが、
「ラプソディ and ブルース」発表後に確か2年連続して来日しており、bくは両方とも喜び勇んでライブを観に行ったと思う。
この時のツアー・メンバーは、
ウィルトン・フェルダー(サックスZ)
ジョー・サンプル(キーボード)
スティックス・フーパー(ドラムス)
のオリジナルメンバー3名に
ベースにアルフォンソ・ジョンソン(元ウェザー・リポート)
ギターに
バリー・フィナティ(元マイルス・バンド)
David T Walker(いぶし銀のギター)
2回目は、David T. Walkerに代わり、
ローランド・バウティスタ(元Earth Wind & Fire)
という超強力メンバーで、来日している。
ラリー・カールトン在籍時と2-3年しかたっていないが、
・ウェイン・ヘンダーソンの脱退(2ホーンが1ホーンになった)
・ボーカリストの起用
・David T. Walkerのように、ラリー・カールトンのようなリード・ギターではなく、グルーブ感を生み出すサイド・ギターの重用など、
全く違う性格のバンドとして再度全盛期を迎えていたと思う。
しかし、クルセイダーズは、その後失速し、
スティックス・フーパーまで脱退して、しばらくバンド活動停止(ていうか、解散に近い)していた。
クルセイダーズは、そのうねるようなグルーブ感から、
テキサス・ファンクとも言われていたが、
ぼくは、そのグルーブ感の中心人物は、サックスのウィルトン・フェルダーだと思っていた。
ひとつには、
・ウィルトン・フェルダーのサックスが豪快な音を出していたこと
・来日と同時期の1980年に出したソロ・アルバム
「インヘリット・ザ・ウィンド」では、ボーカルにこれまた濃いボーカリスト、
ボビー・ウーマックをフィーチャーしており、黒い塊のような演奏をしていたこと。
・ウィルトン・フェルダーはベーシストとしても有名で、多くのR&B系のセッションでベースを弾いていたこと。来日メンバーのアルフォンソ・ジョンソンは、ベーシストとしてのウィルトン・フェルダーから学びたいためにクルセイダーズに参加していたこと
などが理由だ。
(その2に続く)
【参考】アルバム紹介
クルセイダーズ「南から来た十字軍」
ラリー・カールトン在籍時の名盤。勢いあるラリー・カールトンのギター・ソロがカッコいい。
クルセイダーズ/南から来た十字軍
南から来た十字軍 / クルセイダーズ
南から来た十字軍