さみしさ | caféゆうこ〜心に一杯の優しさを〜

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──毎日を頑張るあなたに、そっと寄り添う心のひととき。

一人で行動することを好んでいるとしか思えない私の人生は


さみしさと共に歩んできたかのようです。




大勢でワイワイしている人たちをみて羨ましくて

なぜ私には友人が少ないのだろうと僻んでいたのです。




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親友と呼べる友人もいるのかどうか。



幼いころには

直接「私たちって親友だよね。」などと交わしたことがあったから

そうなのだと納得できたけれど


大人になってからそのような口約束を交わしたことがないので

仲良くしてくれる友人には

私のことを一番好きであってほしいと願っていた――






私は結婚と同時に

地元から離れた場所へ引っ越すことになり

交友関係が少し変わっていった。

新しい交友関係を作らなくてはならないと思った。

けれど思うように友人ができなくて

公園や児童館など周りの人がママ友とおしゃべりするのを

みて羨ましく思った。

嫉みたくなかったから自分は友人がいない状況がふつうであると

感覚を麻痺させるかのように

一人であることを選ばざる終えなかった。


娘たちも同年代の友人がいなくてかわいそうに思いつつ

二人いることが幸いし仲良く遊んでいるのをみて

ほほえましくも思った。



それから5年ほどたち

再び引越し。


引っ越しを機にご近所付き合いで少し交友関係が広がった。

けれども付き合い始める人達は

私以外の人とどんどん交友が深まってくる。

そこでまた私は孤独を感じて身を地締めてしまう。


周りが気になって毎日の生活にも影響が出てしまう。

私だけなぜ毎日こんなにも予定が埋まらないのだろう。



心の中では実はスケジュール帳が真っ新であるかのような生活を

求めているのだろうか?

そうならしょうがない。


結局どうどうめぐりで

再び一人であることを納得しなくてはならなくなった。






そんな私に転機がやってきた。

娘の保育園でのPTA活動。

自主的にイベントを何度か開催して先生や親たちからも喜ばれて

自分にも自信が持てた。


こんな私にも友人が出来た・・・




あれから約1年・・・




友人とはいえど、数か月に一回会えればよいような友人。

娘の友達の親程度にしか思われていないのでは・・・・


結局自信を無くして、思えばクヨクヨと孤独の殻へ入ろうと

しているかのよう。



しかし、次に娘が小学校になり、新しい親たちとの交流が増える。

みんな家も近いし、今度こそ仲良くなって頻繁に会うような

友人が出来るぞ!

なんて思っていた矢先。


娘が「・・ちゃんのお母さんと・・・くんのお母さんとが今日

遊んでたんだって。


そして、明日は別の・・ちゃんと・・・ちゃんが遊ぶんだって・・・・・


なんでお母さんは・・・ちゃんのお母さんと友達じゃないのさ


私だって下校後にお友達の家行って遊びたいよ!」




なんてことを言われて

私は相当なダメージを食らった。


子供からもそんなことを言われるとは

トホホな母だ。





結局私は寂しさを人と会うことで埋めようとしているのかな。

友人を作ろうとしていることは私にとって

姑息な手段になっているのではないか。


私は本当に友人がほしいのか

ただ寂しさを紛らわすために友人を作ろうとしているのでないか

間違った選択をしているのではないか。





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さみしさを勉強するには今だと思ったのです。

タイムリーな出来事で全く心の整理はできてはいませんが

私には何か越えなければいけない

大きな壁が目の前に立ちはだかっているようなのです。


その壁にどう立ち向かえばよいのか

何度も失敗しているのでよくわかりません。

けれども今回は失敗できないような気がします。


絶対乗り越えて見せなければと思っているところなのです。