映画「三月のライオン」を
観るたびに思う事がある。

小学生の頃に
囲碁将棋クラブに入っていた
息子のこと。

人付き合いが下手で
アスペルガー障害が分かったのが
小学生中学年の時。

親目線にはなるけれど
息子は少し

神木隆之介くんに
似ていると思う。

特に桐山零くんの姿は
息子の姿と重なる。

ボサボサの髪

俯くように歩く姿

いつも何かを探し求め
自分を知ろうとする

見つからない答えを求め
諦めずに踠いている

伏せがちの眼の奥に
熱い炎が静かに燃えている





離婚したのは
後悔していない。

私が躁鬱になり

摂食障害になり

壊れていったから。

それでも息子の為に
生きる事は諦めなかった。

その思いを果たして
中学生の子供が

真に受け止められた
だろうか?

本当に私は
子供達を守れていた
だろうか?

桐山零の姿に
私は息子を重ねる。

将棋をさせていたら
違う人生はあっただろうか?

他の生き方が
できたのではないだろうか?





離婚に後悔はない。

だけど私は今も
償いを続けている。

何を言われても
「ごめんね」とだけ・・・

言い続けている。

償いは足りているだろうか?

時間がもしも戻るなら
打ち込める何かを

見つけてあげれば良かった。

それが私の呟きであり

後悔と償いであり

「三月のライオン」を観た
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