敢えての浪費はいいんだよ。と開き直る。
やらなきゃいけない事がある時ほど、普段大して気にもしていないどうでもいい事がしたくなる。
休みの日の朝早く、目を覚ます。仕事が立て込み、片付けなきゃいけないことが幾つもある。ある。
机の上に積み上がった付箋だらけの書類に目を遣る。カーテンを開け、外を見れば堤防の桜は満開で、穏やかに晴れ渡った空には雲一つない。もう一度書類に目を遣る。耳の奥でぷつっと細い何かが切れる音がする。
よし、今日は川原の草、同定しよう、そうしよう。そう思い立ち、植物図鑑片手に近所の河原にてくてく歩いて行く。私は貴方を雑草なんて言わないぞ、ってね。別に普段から草に興味があるわけでもないのに。
敢えての浪費は非生産的であるほどいい。
雨の中庭を見ながら朝から酒を飲んで酔いに任せて二度寝するのもエクセレントだし、かまぼこの材料はたぶん魚である、という前提知識だけでかまぼこを作ってみるのも興味深い。想う人を只管想い、滂沱たる涙を流したっていい。
意図せぬ、望まぬ、浪費。これは避けたい。最たるものの一つが通勤ラッシュの渋滞だ。
職場手前に大きな川を渡る橋がある。その橋のすぐ手前には信号のある交差点があり、交差点から橋までの短い坂道には信号のない堤防からの合流路がある。もちろん大渋滞が起こる。扇状地の土砂の様に車列が橋に向かって連なる。
人間とは賢いもので、その交差点には朝だけルールが存在する。
通常、右折車は、対向車線の直進車はもちろん、左折車が通り過ぎるのを待ってから進入する。そんな事してたらいつまでたっても右折できないワン!という事で自然発生的に始まったのだろう、朝だけルールでは、橋に直交する方向の信号が変わると、右折車は、太いうんこしてる時に飼い主を上目遣いで見つめるラブラドールのように、すんませんね、と取り敢えず交差点に進入して追い越し車線に入る。交差点の主権者である左折車は、太いうんこをするラブラドールを見つめる飼い主のように、ええんやで、と取り敢えず交差点に進入して走行車線に入る。人類の一つの到達点だ。
悪いことに、橋の終わりにもまた交差点がある。右折レーンはとっくのとうに埋まり、橋の半ばまで頑固な律速便秘のように右折車が連なっている。走行車線を走っていて、交差点を右折したいのであれば、それまでにぎちぎちに詰まった追い越し車線に車線変更しなければならない。逆もまたしかり。信号のない合流路からは桜花も飛来する。二月に一度は事故が起こる。渋滞が弥増す。
人間とは愚かなもので目の前で行われている人間の英知を理解できないものもいる。
ひたすら待ち続けクラクションを鳴らされる他県ナンバーの右折車、他者のうんこなど断じて許さぬ黒塗りのアルファード(だかヴェルファイヤだか)。センターラインを跨ぎっぱなしのべこべこボディに交通安全のお札をべたべた張ったミラが異様なオーラを放つ。災厄を告げる使者か?一昨日辺りを映す角度のバックミラーが小粒ながらきらりと光る。このタイプは一目散に逃げねばならない。
大体いつも信号手前150m辺りの浄土真宗の寺の前で渋滞につかまる。雨の日には250m手前になり、500m手前の時は橋で事故が起きているのだ、N/Nの確率で。
日差しが肌を焦がす夏の日。いつものように寺の手前で渋滞につかまる。まだ8時前だというのに速度計の脇の温度計は30℃をとっくに越えている。歩道のフェンスに留まるカラスがあらゆる波長の電磁波を吸収する仮想の黒体の様に空間に影を作る。カラスは歩道から路地に折れる角に設置されたごみ収集所をじっと見つめている。フェンスに留まっているのはそこに男がいるからだ。よく焼けた細くはあるが筋肉質の体にぴたっと張り付くカラフルなサイクルシャツにレーサーパンツを身に着け、男が歩くとビンディングシューズの金属クリートがかちかちと高い音を立てる。男はロードバイクを金属製の収集ボックスに立てかけ、溢れ出たごみを整理しているようだ。こんな真夏にロードバイクで出勤するような男だ、敢えての浪費は~などと言っている怠惰な私などとは違うのだ。意識が高いのだ。私も一時怠惰な大臀筋に喝を入れようと自転車通勤をしてみたが、雨がどうだ風がこうだと夏になる前に止めてしまった。男はとても丁寧に整理をしている。カラスも痺れを切らして飛び去ってしまった。随分先の信号が変わり、暫く経って、前の車がのろのろと動き出す。私も前の車に続いて車四台分ほど進み、止まる。上出来だ。三分毎に変わる信号がまた変わるころ、先程の男が私の左側を軽やかに追い抜いていく。ロードバイクの後部には大量のアルミ缶が入った大きなビニール袋が括り付けられている。
泥棒だった。