生物学者リチャード・ドーキンスの著書に「延長された表現型」というものがある。
前著「利己的な遺伝子」同様、著者が擬人的な比喩を多用することもあってか読む者の誤解を招きやすく専門家の批判も多い本だ。
生物の生態を観察するとき、その最小単位は「個体」となるだろう。ある個体が同種の他の個体や外部環境とどんなやりとりをしているのか?
では個体とは何か?より正確に言うならば「個体」と言う時、その表現型の一番外側はどこになるのか?それが彼の問いだ。
ザリガニの一番外側は甲殻か?と聞かれれば多くの人は「そうだ」答えるだろう。ザリガニの外側は殻である。よし。
ではミノムシのミノはミノムシか?どうだろう、ミノムシの外側はどこだ?
ロイコクロリディウムというものがいる。この奇妙にも美しい芋虫状の生物はある種のカタツムリに寄生する。ロイキーはカタツムリに取り込まれ体内で成長するとやがて触覚部分に移動し、スカコンスカコンと激しく脈動運動をするようになる。カタツムリは本来日陰の湿った場所を好むものだがロイキーに寄生されるとより高く、より明るい場所を目指し、開けた葉の上や枝の先に移動する。そんなところでスカコンスカコンと激しく動く芋虫なんて非常に目立つわけで容易に鳥の目につき食べられてしまう。ロイキーの最終宿主は鳥なのだ。
実はこいつは芋虫のようで芋虫ではない。筋膜でできた袋に米粒状の幼体が大量に詰まっているのだ。その幼体自体は動かないし、幼体を取り出すと袋も動かなくなるという訳のわからない生態をしている。
カタツムリがより高く、より明るい場所を目指している時、その主体はカタツムリなのか?ロイキーなのか?
宿主を誘導するものだとカマキリのハリガネムシも有名だ。
クロカタゾウムシという昆虫がいる。黒くて堅い象虫だ。とはいえ所謂ゾウムシのようにずんぐりとはしていない(きゅっとくびれたウエストがある)し、名前の由来となったゾウのような吻もない。人間が踏んづけたくらいではびくともしないし、堅すぎて消化できないから鳥も食べないという話もある。
クロカタゾウムシの体内にはナルドネラという細菌がいる。このナルディーがアミノ酸の一種であるチロシンを大量に合成し、そのチロシンが堅い外骨格を作るキチン質とタンパク質の結合と黒色化に関与している。
抗生物質を使ってナルドネラを減らしてやると黒くもなく堅くもない、ふにゃふにゃで茶色いフラジャイルな「ムシ」になる。さらに頑張ってナルディーを死滅させてやると成虫にさえなれない。
個体の境界が曖昧になってくる。
人間の腸内には細胞の数よりたくさんの細菌がいることが知られている。今の所実は細菌死滅させると人間セックスしなくなっちゃうんだよねえ、というような話はないようだが体調に影響を与える位のことはあるようだ。
私は今仕事中に自らの意思でこの文章を書いているつもりだが私は定時と同時にPCの電源を落として帰宅し妻が妻の意思で作ったかぼすうどんを食べる。妻の作るかぼすうどんの出汁は絶品で私は「延長された表現型」など読んだ事もなく、単に暇なのだ。
さあ、家に帰ろう。