「ソレとって」
「ソレって?」
「・・・・・・」
相互確証破壊。もう、いいや。
光あれよ、誰かがうっかりそう言うと、光ができた。
光は言葉によって創造られた。
光の前には、天地があった。
何によってかは、書かれていない。
初めの言葉は何だったのか。
私は、貴方は、あの場所で、どちらが、どんな言葉を発したのか。
貴方はとても素敵なデザインのショルダーバッグを提げていた。その事を覚えている。私は、それ、どこのバッグ?と聞こうとしてやめたことも覚えている。どんなデザインだったのか、それが思い出せない。
「そんなの、わかんない」
何度目かにあったとき、貴方が言ったその言葉を覚えている。私は貴方に何かを訊いたのだ。貴方の肩越しに瞬く鉄塔の灯りが、美しかったことを、覚えている。私は貴方に何を訊いたんだろう。思い出せない。
アレの話だ。ソレらしくいけばいい。今の所、正解は、わかんないままだ。
両親が共働きだった私は幼い頃、誰もいない家ではなく、どちらかが帰ってくるまでのあいだ、隣の家に帰った。どちらか、といっても先に帰ってくるのは基本的に、母だ。父の帰りは、いつもとても遅い。隣の家に帰る、という言い方が相応しくないことは分かってはいるけれど、便宜的に。
小学校に歩いて向かう私に近所の人たちは、「いってらっしゃい」と声をかけ送り出してくれた。私は少し恥じらい「いってきます」と応えた。
家に帰る途中、「おかえり」と言われると、酷く返答に困った。「ただいま」とはどうしても言えず、もごもごと口淀んだ。
隣の家には、春夏秋冬、昼夜問わずタンクトップに短パンのおっさんがいた。いつも同じ白いタンクトップにベージュの短パン。パテントレザーのオペラパンプスでも履いていればまた意味合いも違ってくるのだろうけれど、そんなものは履かない。おっさんは家の周りでは雪駄、家を離れる時は色の褪せた紺色の地下足袋を履いた。彼はひどいガニ股で歩いた。
親戚でもなんでもない、Absolute tonari no ie no ossan, Yeah.
私は隣のおっさんを、「かっちゃん」と呼んでいた。おっさんを「ちゃん」と呼ぶことに大きな違和感はあったけれど、両親も、死んだ祖母もそう呼んでいたし、本当の名前も知らなかった。
玄関はいつも開けっぱなしだった。かっちゃんがいてもいなくても「ただいま」と言って入っていって、ランドセルを、入ってすぐ左手の部屋の奥に放り投げ、歩く度ぎしぎしと軋む音を立てる廊下の奥にある居間に上がった。かっちゃんは家にいる時は、大体いつも居間で胡坐をかいてテレビを観ていた。点いていてもいなくても。
胡坐をかくかっちゃんの短パンの脇からは、疎らに毛の生えた金玉が覗いていた。当時の短パンは、今の短パンとは「短さ」が違って、本当に丈が短かったし、その下の下履きもゆるゆるのトランクスが主流だったのだ。金玉は、冬はカマキリの卵の様に“きゅっ”としていて、夏は酔い潰れた詩人のように“だらり”としていた。私は夏と冬では金玉の様子は随分と違うものなのだと知った。
当時の私は人の名を呼ぶということは難しいな、と思ったし、仄暗い隙間から覗くおっさんの金玉と、その先の濃い闇の中にあるであろうものは、私にざらつくものを残した。
かっちゃんは私がただいま、と帰っても、おかえり、とは言わなかった。その度、私の中で、きぃ、と音を立てて何かが閉ざされた。
晩生の稲穂があらかた刈り終わった頃、長袖の制服が暑すぎる日。かっちゃんは居間の隣の台所で白菜を乗せた塩ラーメンを作っていた。私が無邪気な振りをしてお腹空いた、と言うと、たまにそれを作ってくれた。それ以外に何か作ってくれた憶えはない。私は縁側に座って、かっちゃんの庭に一本ある柿の木に僅かに実った、団栗を大きくしたような形の柿の皮を、鎌の形をした刃物で剥いていた。この辺りではどの家の庭にも柿の木はあった。どの家の柿の木も、忌々しいイラガも厚かましいカラスも何するものぞと食べきれないほど実をつけるのに、かっちゃんの柿の木はいつもきまって僅かしか実をつけなかった。金玉が雷紋のどんぶりを二つ手に隣に座ると、まだ皮を剥いていない柿の入った籠の隣にどん、とどんぶりを置いた。短い短パンの脇から夏模様の金玉が、だらりと零れた。かっちゃんの作る白菜塩ラーメンは、白菜がくたっと食べ頃の時は麺がだらだらの茹で過ぎで、麺が食べ頃の時は白菜がじゃきじゃきの生煮えのどちらかだった。
だらだらの麺を啜ると、金玉の小さな庭を、斜向かいの家の太りすぎたぶち猫がこちらをちらちらと見ながら前のめりにひょこひょこと通り過ぎていった。左の前足を失ったぶち猫は、庭の端のイヌツゲの垣根の手前で暫く座っていたが、やがて垣根の奥に消えた。
かっちゃんには歯がなかった。田んぼも畑もなかった。このあたりでは、みな田んぼと畑を持っていて、田植えや稲刈りの時期になると、子供も駆り出された。その時期のかっちゃんは、地下足袋を履いて村の中を歩きまわっては田植えや稲刈りの様子を眺めていた。
歯のない金玉は、猫が垣根をすり抜けて見えなくなると、「干しゃ、甘なる」多分、そう言った。
アレの半分はかっちゃんなのだろう。半数倍数体の事は知らない。
“スペシャル・デイ“水曜日を、私はそう呼んで、待ちわびた。さらっとテーマソングまでつくった。「あなたに会えてよかった」の替え歌ではあったけれど。水曜の夕方から次の水曜を侘び焦がれ焼けただれ、土日に少し盛り返し、月曜の夜には灰になっていた。ないないづくしの水曜日。水曜日には部活はなく、私のつるつるの脳をずりずりと摺りおろす鬼おろし、∫も㏖もθも登場しないのだ。
その日はお弁当もなかった。母から“ん、しょうが焼き”と手渡され、“しょうが焼き、LOVE”と口零れひしと抱きしめたまだ暖かいお弁当箱は玄関のあがりかまちで私の帰りを憔悴憮然と待ち続けた。勢い良く忘れがちな年頃だった。
日が短くなったとはいえ帰りの早いその日、西日の指す縁側はまだぽかぽかで、畑でちぎって蔕ごともげた蜜柑と、玄関で感動の再会を果たしたお弁当箱を脇に、廊下に敷かれたペルシャ柄の毛足の長い絨毯に陽を背に寝そべり気の合う美術教師に借りた雑誌を開いた。VOGUEだったかHarper's BAZAARか、ひょっとしたら装苑だったかもしれない。いずれにせよ、私が学校帰りに寄る本町商店街の山洞堂には置いていない雑誌だった。障子戸を挟んだ向かいの仏間から、沈香の辛い匂いが漂った。沈香の匂いは好きじゃなかった。“ジンコウ”という言葉が持つ響きもなんだかとげとげしくて気に食わなかった。
開いたページには、腰回りを絞りに絞ったチェック柄のドレスを着た真っ白メイクのケイト・モスがコレクションのバックステージでヴィヴィアン・ウエストウッドに頬をつけて笑っている写真が載っていた。ページをしゅ、とめくると、マルティーヌ・シットボンという耳慣れない響きを持つ人物の短いインタビュー記事が組まれていた。
シットボン。その時口に出したその名前は不思議と随分長く私の心に留まって、後に感嘆詞となって、時に口をついた。校門の脇を流れる用水路に迷い込んだ鮎を見かけたときや、公園のハリヨの池のホテイアオイの葉の上で、アオモンイトトンボの雄が雌の首根っこを引っ掴んで交尾している場面に遭遇した時なんかに。
ヴィヴィアン・ウエストウッド。
蜜柑は裏の畑に採りきれないくらいあった。もっと甘くてちゃんとしたものが欲しければ、八百福に行けばよかった。沈香は永楽堂に行けば買えたし、つんつん気取った沈香なんかより八百福の売り場の端にある、私たちの見た光青雲の方が余程好感が持てるというものだ。八百福のお惣菜売り場は至福だった。緑色のバットに山と盛られた、特筆のない見た目に反して箸であれフォークであれ止まらなくなるスパサラとポテサラ。「信号機」と名付けられた赤と黄色と緑のピーマンが入った鯵の南蛮漬けは噛むとじゅわっと溢れる汁が舌よりも脳を刺激した。極めつけは衣がついてあとは揚げるだけの手作りコロッケだ。私はそのコロッケがなにより大好きだった。週末、母が八百福の買い出しから帰ってくると、整理を手伝う振りをして、今日は買ってきたかと買い物袋をガサガサと覗き込んだ。
商店街の北の端に店を構える総合衣料百貨店シラコーにヴィヴィアン・ウエストウッドは置いてなかった。小中高と母が私の制服や体操服を揃えてきたシラコーさんにはヘルムート・ラングもジョン・ガリアーノもピンクハウスもなかった。そのかわりに、と言っては何だが、右向きでも左向きでもない、椅子にこちら向きに座ってパイプを咥えたワニのポロシャツはあった。ぴしりとたたまれ蛍光灯の光が反射するビニール袋の中から私にウインクするワニに“馬鹿っ!”と心の中で叫び、ぎゅっとその袋を抱きしめた。レジの後ろの高みに設えた棚に、贈答用の箱に入ったヴァレンチノ・ガラバーニのバスタオルが神棚のように恭しく置いてあった。
写真ではない、実在のヴィヴィアン・ウエストウッドに触れたければ、バスと電車を乗り継いで、二時間かけてしかるべき街まで出なければならなかった。うまくいけば、二時間で、ということだ。我が街の公共交通機関の時刻表は、どれも禅寺の枯山水とどっこいどっこいに、すかすかだった。
窓の外から、きい、きい、と小気味よいリズムで耳障りな音が聞こえて外を見ると、石垣の向こうの道路を、隣のおっさんが自転車を漕いで“見回り”に出かけ行く所だった。低い石塀がちょうど首から下を隠して、生首が水平移動しているように見えた。
私達のかっちゃん。 微に入り、細を穿てぬ、みなしごたち。
そう、例えば、コロッケ。
テーブルを挟む善男子、善女人。テーブルにはコロッケの乗ったお皿。お皿の上のコロッケの隣には、ふわふわのキャベツの千切りの山。スーパーマーケットのお惣菜屋さんで買えば、驚くほど安く買えるのに、そのコロッケは、お手製だ。誰が考え付いたかコロッケを作るのはとても手間がかかる。蒸かせば食べられるものを、考案者は好熱菌とでも戦っていたのか、さらに揚げるという念の入れよう。正気の沙汰ではない。お箸にぐっと力を入れてザクっと割ると、中からふわりと湯気が立って、ごろりとしたじゃがいもの塊が見える。あえて潰し切っていないのだ。
一緒に食べればいいのにね。
一緒に食べられればいいのにね。
どぼどぼ、ウスターソースを二人でかけてね。
女の母が、七日を越えて家を空けた。そのようなことは、それまでなかった。
畑で男が、本を焼いていた。男を、子である女が見ていた。
八日目の朝「芋、焼くか」そう言って男は畑に出て行った。
“本を、焼く”
子は口には出すのを堪えた。“正しくない事”が行われている、そう思ったから。
畑の中の真ん中の、煙突のついた、ドラム缶。煙突の先っぽから、ごお、と音がして、炎と煙が交互に混じる。
男は、子を背に、子に言葉なく、本を焼べ、燃え滓のこびりついた火掻き棒で紺色の長靴の踵をこん、と叩いた。燃え滓は、たいして落ちなかった。
柿の木は実をつけぬ咎で切り倒された。柿の木は焼べた本の下で、ぱちと爆ぜ、火の粉が湧いた。
戦争に負ける二年前、山の際の、三つにまたがる県の際で男は産まれた。
男に戦争の記憶はない。
男を産み、女は、すぐに去った。女に種付けた男は、既に去っていた。
男は父なしごとして産まれ、すぐに、みなしごとなった。
男が産まれた集落は、やがて堰堤の底に沈む。
男は、産まれた場所も、失った。
往く者よ、往く者よ、渡河する者よ。
ほくほくのコロッケがあればいい。