強いこだわりがあるわけではないんだけれどなんでもいいってわけでもない。そういうものってある。考えてみれば大体の物はそんなものなんじゃないかとも思うけれど。
私にとっての例えば鞄。
鞄もくたびれてきたしそろそろ買い替えるか。
鞄なんてさ、必要なものが入って見てくれ良けりゃそれでいいんだよ、と思うけれどいざ捜してみるとなかなかこれという物が見つからない。両手は空いてて欲しいがリュックは中身出すの面倒臭いしな、一つくらい仕切りは欲しいし、あまりに開放的な作りもスマホ失くすは赤子と同義だから困る。う~ん、この皮のシボちょっとなあ、これはバックルのプラスチックがプラスチッキーすぎる、これではちょっと小さすぎるしこれじゃでかすぎる、お~、これすごくいいじゃない、ってブランドロゴ入ってるじゃねえか~~~~~~~!と結局頂き物の古参をくたびれさせ続けることになる。
最上と最低の間のどこかの着地点。選ばれる立場に身を重ねると怖くなる。
選ばれるほどの物を私は持っているのだろうか?
ふらりと靴下難民の私に救いの手を差し伸べてくれたハリウッドランチマーケットを覗くととても可愛いエコバッグが吊るしてある。
!!っ いっそのこと・・・とエコバッグを提げて街を歩く自分の姿を想像する。〇〇〇みてえだな。今じゃ使えない言葉が浮かぶ。
エコバッグは仮の姿だから成立するのであって本質ではないのだろう。スペアタイヤを二本履いた車、それは別の意味を持つのだ。
上を向いて歩こう
はるかな雲を見つめその下に有る者を想う
渇望する者に救いを