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モザイクワールド

W大学の学生がアウトプットの場としてありとあらゆる物に対して思い、考える

前回の①(http://ameblo.jp/passionjames/entry-11240173115.html)では
登場人物の多さそしてストーリーについて考えました。

今回は、登場人物ののキャラクター(特徴)について気づいたことがありましたのでそれについて考えてみたいと思います。

相手を「惹きつける」ためには、それだけその物語(ストーリー)に対して共感してもらわなければいけません。すなわち水戸黄門のように「ああ、そろそろ45分だ。解決するぞ」という感じで見てもらっては本来製作者側としてはおもしろくありません。(もちろん、水戸黄門の場合は例外です。長寿番組としてしっかりブランドが成り立っていますので逆に視聴者の思惑通りにしてある種の『安心感』を持たせるという部分はありますが)
要するに話の最後まで、そしてストーリー全体の最後までハラハラ・ドキドキな展開にする上で重要になってくるのが登場人物のキャラクターなわけです。共通しているのは何か抜けている、物足りなさに尽きると思います。
読者・視聴者に対して「俺だったらそれはやらねーよ」「私だったらこんなんありえない!」
というような心持ちにさせる。しかしその登場人物に憎めない部分があることが最高な条件ではないのでしょうか。同じ失敗を繰り返しても「次こそは・・・」と期待を持たせつつ悉く期待を裏切り、忘れた頃に大逆転打を放つ、といったように相手の心を離してから再びガッツリ掴みにいくまさに柔道の組手のようなやり方です。

というように考えてみたのですが、非常に主観的な意見だと自分でも思っています。
実は自分はこういうフラストレーションが溜まるようなものを見ているとだんだんと
ハラハラ<イライラ
となってしまうものでして(笑)
といいつつ結局見ちゃうんですけどね。

言ってしまえば読ませたもん勝ち・見させたもん勝ちですからあながち間違いでも無いかもしれませんね。
勝間和代や大前研一の本も個人的にはあまり快く読めないイメージがあるのですが、やっぱりまた読んでしまいますしね。

本は上梓した後どう読んでくれるかは出版社や書店、そして読者次第ですが、テレビや映画となるとスポンサードする企業との関係もあるのである一定の結果を伴わなければいけません。本や漫画のように自分の自由にストーリーを描くことができる一方、実写においては様々な障害があるでしょう。

多くの方が『家政婦のミタ』の高視聴率について考えてらっしゃると思いますが、やはり何かしらの理由がない限りキムタクのドラマを抜く程の成果を収めることはできなかったでしょう。


ああ、、、
結局ドラゴンボールはどこいった。。。

普段から思っていたことなのだが、
店で食事しているとごくたまーに音楽を聞いている(耳にイヤホンを挿している)人がいる。
自分も一回やってみたのだがあれは非常に気持ちが悪い。噛んでいる音が強く頭の中に残るし、なんだか味も感じにくいなあ。。。と。

そうしたら今日Gizmodeで以下の記事を見つけた。
【最新記事】 あなたの味覚は音に支配されてる!? http://dlvr.it/1WQSw5

とまあ、音楽と食事(味覚)の関係性はなにかしらあるものの、詳しくはわからない、と。

たしかに自分は聴いている音楽がちょっとハードだからかもしれないが、聴覚と味覚がリンクしあって満足感(おいしい!)を得るのでは無いだろうかとも思える。

何にせよ、記事の最後にある『お家でもお店でも食事の時のBGM選びってちゃんと考えなきゃなぁって思いますよね。』という部分が強く印象に残る。

となると基本的には心を落ち着けたほうがいいので甘い食事がよく出るカフェではピアノやバイオリンのような高音チックなものが流れている理由もわかる。酒を飲むバーで低音のジャズが流れる理由もわかる。
人の感覚が飲食物それぞれにあうような音楽を潜在的に求め、堪能しているのだろう。

なんだかすごいスッキリした。それだけ。
実は今まで読みたかったけど読んでいなかった『ドラゴンボール』をやっと読破しました。
熱があって頭が回らない時は漫画とかをカーっと読み進めるのがいいのかな、というように思っております。

あらすじは自分がここで書く必要もないとは思いますが、「なぜこれだけ多くの読者がこの漫画に魅了されたか」について考えながら読み進めていました。
そのうちふと気づいたことが、これと関連付けて比較的最近話題になったドラマ『家政婦のミタ』も一週間前ほど前に一気に見た感想です。

人にはそれぞれ個人差があります。それぞれのキャラクター(登場人物)にどこまで感情を移入するかは本人にしかわかりません。どのようなキャラクターがウケるかというのは次の回で説明するので割愛させて頂きます。すると必然的かもしれませんが多くのキャラクターが出てくるものほど多くの人をひきつける下地が出来上がるような気がします。
ここからはどうストーリーの展開を持っていくかですね。

ただ多くのキャラクターがいるのではなく、
「重要なキャラクターのサブストーリーがメインストーリーに絡んでゆく」というようにある一定数のキャラクターに重要感を持たせること、加えてそれぞれのファンのニーズを満たせることが可能となるでしょう。ずっとメインストーリーの脇役とわかりきってしまう展開では特定の視聴者に対してネガティブなフラストレーションをためるだけですからね。

この脚本上においての戦法は漫画では無限大に可能である一方、実写であるドラマでは難しいでしょう。
理由としては、製作費と役者のプライドです。サブストーリーをたくさん作らなければいけないというのは多くの俳優を起用しなければいけないため、人件費がかさむと考えられます。一方で多くの人気俳優ばかりで固めてしまうと主役俳優をどう扱うか、俳優同士をどうまとめるかという難しさが生まれるためなかなか監督やディレクターの思うようには編集することが難しくなると思います。それを逆にうまく活用する手段として「若手俳優・子役」というものがあります。ギャラは少なくて済む、若手俳優にとっては飛躍のチャンスです。『木更津キャッツアイ』や『ルーキーズ』のようなイメージでしょうか。

『家政婦のミタ』も3人の子役と父親役である長谷川博己によって構成された『家族』がほぼ主役状態です。彼ら中心のストーリーが展開されます。主演である松嶋菜々子が主役のはずなのになんかそんなかんじじゃない、「ドロドロ家族のホームドラマ」に絶妙なスパイスを与える役割のようなイメージを与えていると思います。そのうちいよいよ謎に包まれた松嶋菜々子演じるミタさんが引っ張っていくのが大変視聴者にとってウケたのでしょう。

このように、どのようなストーリー仕立てにすると多くの視聴者をまきぞいにできるかという点についてはうまく整理できたかと思います。
『ドラゴンボール』はどこいったんだ、ってまさに『ドラゴンボール』のストーリーみたいですね。

長くなりそうなので次に行きましょう。
いろいろと最近思うことが多いのでここで簡単にまとめさせてもらいます。


 自分は、高校の頃から漠然と抱いていた『スポーツビジネスの期待や可能性』を見出すために理工学部を蹴ってまでして現在の学部に入学し、スポーツビジネスを取り扱う教授のゼミにも所属させて頂きました。そして、早い時期から大学院でより自分の考察を深め、研究してみたいという気持ちも持っておりました。
 当初、「スポーツビジネス」と、いわゆる一括りにされる「ビジネス」との違いがあると思っておりました。それはスポーツには勝ち負けがあることです。自分がスポーツを定義する際「運動性・競技性・遊戯性」の要素が含まれるものを『スポーツ』と定義させて頂きますが、これらには必ず「競技性」による結果の白黒がつくと思っております。それは見るものに対して明らかにわかるものです。すなわちスポーツ組織においては利益だけでなく、それと同等の価値と考えられる「勝利」を目指さなければいけません。しかし、いくら経営陣が努力して勝率はあげられるかもしれないけれど、そこには「絶対」というものはありません。また、絶対にしたところでそれは「遊戯性」を失います。プロ野球の巨人のように、サッカーのレアルマドリードのように、どんなに戦力を補強しても負けてしまうチームもあります。逆説的になりますが一方で、観客はそこに魅力を感じるのです。戦力的には劣るかもしれないけど一瞬の駆け引きや戦術で勝てるかもしれない、そういった点に人々は希望を託す。この流れが競馬や競輪といった公営競技やサッカーくじといったものの誕生に起因していると思います。

 ただ、ビジネス(ここでは利益を追求する組織と定義します)においてもそれは同じなのかもしれません。絶対に利益を挙げられる保証はどこにもありません。彼らもスポーツビジネスと同様に、人を相手に商売をしています、自社の製品・サービスが売れるような環境づくりをしています。すると、デイトレーダーや証券会社のように企業に対して投資し回収する行為は一種の賭け事と同じなのではないでしょうか?スポーツくじに比べると勝ち負けははっきりと現れないですし基本的に「一か八か」という勝負はしていません。倒産しないためにリスクマネジメントをした上で、ビジネスを展開しています。そのリスクが小さいという部分において、投資を受ける企業は自分たちの価値向上や増益を投資家たちに説明することができます。繰り返しますが、彼らの世界において勝ち負けはスポーツほど明確にはつきません。それが投資家たちをスポーツではなく、一般の企業へと投資させる要因にもなっているのかもしれません。(スポーツ組織に投資する人はそもそもチームが強くなってくれればいいので、見返り(配当)をそこまで強く要求しないという部分はありますが)

 ではどうしてスポーツ組織を持つ企業およびスポンサードする企業が多いのでしょうか?それは、スポーツ組織や選手個人が、庶民にとってのヒーローとなりうるからです。たしかに松下幸之助の人気は経営者やビジネスマンからすれば絶大なものです。では長嶋茂雄やイチローと言うとどうでしょうか?国民栄誉賞のように人々に対して勇気や夢を与える職業というのは一般のビジネス界においてはそう簡単には生まれないでしょう。スポーツ界の強みを一点あげるとすると、自分はこれを挙げるでしょう。

 では勝負がはっきりつき、投資対象商品としてはハイリスクハイリターンであるスポーツ業界にさらなる投資を促すためにはどうすれば良いのでしょうか?答えは簡単で「世界に通用する競技レベルにあげる」「国内では戦力の均衡を目指す仕組みを作る」という事です。


今日は熱もあるのでここらでやめておきます。
明日もう一回読んでみて、考えなおしてみましょう。
ふとツイッターで流れてきた日経新聞の記事で

『ウルトラブック勢ぞろい、主力6機種どれを買う http://s.nikkei.com/J3BN2p 』

を見て思ったこと。

一時期省電力CPUであるAtomを中心としたネットブックが出ていたが、最低限の能力しか有していなかったために写真見るにもWEB見るにも仕様者に対して多少のストレスを与えていたのだと思います。

そこから生まれた『ウルトラブック』。もちろんインテルが提唱しているのでこれから家電量販店でゴリゴリ推してくるかと思います。これから新しいCPUを開発し売っていくので今までのCorei5とかは売り払わなきゃいけないのかな?

かと言って利用者のほとんどがOffice製品とちょっとしたネットライフが目的であると考えられる以上、ここまでハイスペックである必要はあるのかなという印象を受けます。
自分はWebデザイン等が趣味だったのでAdobeの製品を使っていろいろ作業をしなければなかったのでそこそこハイスペックが求められましたが、多くの人には使う場面もないでしょう。

ウルトラブックは値段もそこそこ高額な分、現在の市場に食い込めるか。
タブレット型PCに対抗する存在となれるのだろうか、成り行きには多少興味があります。