[The 2nd movement of Tchaikovsky's Symphony No.5 and Pas de Deux in Swan Lake]
ママさん飛行士山崎直子女史の
スペイス・シャトル搭乗が決定したらしい。が、同女史と
「トワ・エ・モワ」の白鳥英美子女史との顔の区別が
つかなかった拙脳な私は、
♪或る日突然♪
歌謡歌手が宇宙飛行士に転身したのかと思った。それはともかく、
単身で米国にいたころ山崎女史は、
マツドナルドのハンバーガーばかり食ってたかどうかは知らないが、
それではいけない、と、ご亭主は仕事を辞め、
米国に随伴して、家事一切を受け持ってる、という。
“アッパレ!”である。ところで、
女性宇宙飛行士といえば、私は向井千秋女史の夫、
向井万起男の「感性」が好きである。病理屋にしとくには
モッタイナイほど、研ぎ澄まされた文章を書く。もっとも、
だからこそ、癌かどうかなどという絶妙な細胞診が下せる、
のかもしれない。が、世の中には
まったく向いてない職業に権威として居座ってるものが多い。
あれほど小室容疑者を“持ち上げて”た細木数子女史なのに、
金がなくて保釈してもらえない同人のために、
保釈金も細木金も積まない同女史は、“アッパレ!”である。
この前の土曜夜にNHKハイヴィジョンで放送してた、
「NHK音楽祭2008」の一環らしい、
サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団の
演奏会の模様を録画しといたので、見てみた。
案の定。まず、
前半、開始の「オネーギン・ポロネーズ」からして、
「交響曲第4番」冒頭の「宿命のファンファーレ」と
オソロイのファンファーレを、ヘナチョコふうな宿命として
奏させてた。金になるからとりあえずやっテミルカノフ、
という按配で、チャイコフスキーをまったく勉強してない。
人の受信料でこんなものに金を払うとは、NHKとはまこと
懐が深いが不快である。次の「vn協奏曲」も酷いものだった。
独奏者は権威があるらしいコンクールの優勝者だそうだが、
vn演奏のイロハもへったくれもなく、ボウイングの
基礎からしてまったくなってない“ヴァイオリニスト”である。
“ニュアンス”などはおろか、まともに弾くことさえできない。
あんな繊細な曲を乱暴に弾いてごまかそうとしてた。
あの杜撰な“チャイコン・ウィナーズ”より酷い演奏である。一部に、
いまや死後の“とっつぁん坊や”という語をそのまま
女性に置き換えた風貌な同女史を、
“可愛い”などという“ファン”がいるようだが、
テミルカノフに媚を売る目つき・表情はじつに気持ち悪い。
「イミテイと、目にはサヤカに見えねども、
プアな音にぞ、驚かれぬる」
後半の「交響曲第5番」……その前に、アンコールが
エルガーの「愛の挨拶」では、チャイコフスキーに対して
不遜である……は、個々が下手なうえにアンサンブルも揃わず、
テミルカノフのチャイコフスキーを無視し愚弄した減速・加速、
など、ソ連時代に指揮者になった輩にありがちな、
いいかげんな音符の再現に終始してた。が、
もっといけないのは、そんな代物に声をあげる
“ブラヴォー屋”のベラボーさ加減である。ときに、
この中継番組の解説者が浮腫んだ風貌になってて、
声まですっかり変わってしまってた。
♪昔の光今何処♪
病気とは、そして、時間の経過とは、じつに怖いものである。
元事務次官宅が相次いで襲われたというニュースの中で、
「犯人が省関係者でないことを祈願する」
という省関係者なる者の言葉が切実そうだったのが印象的だった。
チャイコフスキーの「交響曲第5番」の第2楽章は、
「I│-A-B-A-B│-C-F│-A-B-F│-A´」
(I:導入句、F:固定動機=宿命の動機)
すなわち、
「導入句-主部-中間部-主部再現部-結尾部」
という「三部形式」である。
このうちの「B」の
♪do--・>mi-<la・・>so--・--,so│
<la<ti・<do>la・・<mi--・-- ♪
が、バレエ「眠れる森の美女」の第15曲aの
「オロールの幻影とデズィレのスィーン」の
♪do--・>mi-<la│>re--・--,<so│
<la<ti・<do<re│>so--・-- ♪
と“似てる”(作曲順は交響曲が先である)と
鬼の首でも取ったかのようにはしゃぐむきも、
以下のことにはまったく触れない(誰かが指摘したのを
読んだり聞いたりしない限りは気づかないだけだろうが)。
中間部のCにあたる主題の前半は、
「モデラート・コン・アーニマ(四分音符=100)、
C、2♯(実質嬰ヘ短調」、
♪【mi---・--,<ti-・・<re->do-・>ti->la-│
>so---】・>fa---(tr)・・>mi---・----♪
である。この主題は、
「嬰ヘ短→嬰ハ短→嬰ト短→変ホ短→嬰ハ短」
と転がされる。いっぽう、バレエ
「白鳥の湖」(第1幕)第5曲「パ・ドゥ・ドゥー」の2
「アンダーンテ、2/4、2♯」では、(ロ短調)、
♪ 【 mi-・-->ti-|<re->do-・>ti->la-|
>so】(をdoに置換して嬰ヘ短に転)---・-->♯so-|
<ti->la-・ |<re->do-・>ti->la-|
>so-<do-・>ti->la-|
>so---・-->fa-|>mi---・----♪
というvnのソロで奏される。ふたつは、
miからtiへ上昇するのと下降するのと
だけの違いである。そして、「白鳥の湖」のほうも、
「ロ短→嬰へ短→嬰ハ短」
という転調を繰り返す。が、
それぞれの類似自体が問題なのではない。
重要なのは、それらが複合的に、
「同種の感情から生じる脳活動の類似した発露」
である、ということである。つまり、
「交響曲第5番の緩徐楽章」「宿命」-「バレエ」「二人の踊り」
という共通項(キーワード)が肝腎なのである。
「眠れる森の美女」の第2幕でデズィレ王子が踊ったのは、
生身のオーロラ姫ではない。同姫の「幻影」なのである。
そして、次に、
「交響曲第5番の緩徐楽章」「宿命の動機」
という共通項から、
「白鳥の湖」の第1幕第5曲の「パ・ドゥ・ドゥー」が
その「deux」のうちのどちらか
(おそらくは女性=danseurse)が
生身の人ではなく、「幻影」もしくは「精霊」だった、
可能性が高い、という推測が導き出されるのである。
チャイコフスキーの「交響曲第5番」には、たしかに、
「第4番」や「第6番」のような、
高邁な精神から湧いた泉ではないかもしれないが、
チャイコフスキーの脳の中の宇野さんと佐野さんの家の
柱をつなぐ梁としての重要な役割があるのである。
そして、それは「幻影」でもあるのである。
第3楽章の“スロウ・ワルツ”(イ長調)の主要主題は、
ベルリオーズの「幻想」交響曲の第2楽章
「ワルツ」(イ長調)の主要主題と、
始めのたった4音ではあるが、
♪mi>re>do>ti♪
がオソロイなのである。ファンタスティク!
ママさん飛行士山崎直子女史の
スペイス・シャトル搭乗が決定したらしい。が、同女史と
「トワ・エ・モワ」の白鳥英美子女史との顔の区別が
つかなかった拙脳な私は、
♪或る日突然♪
歌謡歌手が宇宙飛行士に転身したのかと思った。それはともかく、
単身で米国にいたころ山崎女史は、
マツドナルドのハンバーガーばかり食ってたかどうかは知らないが、
それではいけない、と、ご亭主は仕事を辞め、
米国に随伴して、家事一切を受け持ってる、という。
“アッパレ!”である。ところで、
女性宇宙飛行士といえば、私は向井千秋女史の夫、
向井万起男の「感性」が好きである。病理屋にしとくには
モッタイナイほど、研ぎ澄まされた文章を書く。もっとも、
だからこそ、癌かどうかなどという絶妙な細胞診が下せる、
のかもしれない。が、世の中には
まったく向いてない職業に権威として居座ってるものが多い。
あれほど小室容疑者を“持ち上げて”た細木数子女史なのに、
金がなくて保釈してもらえない同人のために、
保釈金も細木金も積まない同女史は、“アッパレ!”である。
この前の土曜夜にNHKハイヴィジョンで放送してた、
「NHK音楽祭2008」の一環らしい、
サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団の
演奏会の模様を録画しといたので、見てみた。
案の定。まず、
前半、開始の「オネーギン・ポロネーズ」からして、
「交響曲第4番」冒頭の「宿命のファンファーレ」と
オソロイのファンファーレを、ヘナチョコふうな宿命として
奏させてた。金になるからとりあえずやっテミルカノフ、
という按配で、チャイコフスキーをまったく勉強してない。
人の受信料でこんなものに金を払うとは、NHKとはまこと
懐が深いが不快である。次の「vn協奏曲」も酷いものだった。
独奏者は権威があるらしいコンクールの優勝者だそうだが、
vn演奏のイロハもへったくれもなく、ボウイングの
基礎からしてまったくなってない“ヴァイオリニスト”である。
“ニュアンス”などはおろか、まともに弾くことさえできない。
あんな繊細な曲を乱暴に弾いてごまかそうとしてた。
あの杜撰な“チャイコン・ウィナーズ”より酷い演奏である。一部に、
いまや死後の“とっつぁん坊や”という語をそのまま
女性に置き換えた風貌な同女史を、
“可愛い”などという“ファン”がいるようだが、
テミルカノフに媚を売る目つき・表情はじつに気持ち悪い。
「イミテイと、目にはサヤカに見えねども、
プアな音にぞ、驚かれぬる」
後半の「交響曲第5番」……その前に、アンコールが
エルガーの「愛の挨拶」では、チャイコフスキーに対して
不遜である……は、個々が下手なうえにアンサンブルも揃わず、
テミルカノフのチャイコフスキーを無視し愚弄した減速・加速、
など、ソ連時代に指揮者になった輩にありがちな、
いいかげんな音符の再現に終始してた。が、
もっといけないのは、そんな代物に声をあげる
“ブラヴォー屋”のベラボーさ加減である。ときに、
この中継番組の解説者が浮腫んだ風貌になってて、
声まですっかり変わってしまってた。
♪昔の光今何処♪
病気とは、そして、時間の経過とは、じつに怖いものである。
元事務次官宅が相次いで襲われたというニュースの中で、
「犯人が省関係者でないことを祈願する」
という省関係者なる者の言葉が切実そうだったのが印象的だった。
チャイコフスキーの「交響曲第5番」の第2楽章は、
「I│-A-B-A-B│-C-F│-A-B-F│-A´」
(I:導入句、F:固定動機=宿命の動機)
すなわち、
「導入句-主部-中間部-主部再現部-結尾部」
という「三部形式」である。
このうちの「B」の
♪do--・>mi-<la・・>so--・--,so│
<la<ti・<do>la・・<mi--・-- ♪
が、バレエ「眠れる森の美女」の第15曲aの
「オロールの幻影とデズィレのスィーン」の
♪do--・>mi-<la│>re--・--,<so│
<la<ti・<do<re│>so--・-- ♪
と“似てる”(作曲順は交響曲が先である)と
鬼の首でも取ったかのようにはしゃぐむきも、
以下のことにはまったく触れない(誰かが指摘したのを
読んだり聞いたりしない限りは気づかないだけだろうが)。
中間部のCにあたる主題の前半は、
「モデラート・コン・アーニマ(四分音符=100)、
C、2♯(実質嬰ヘ短調」、
♪【mi---・--,<ti-・・<re->do-・>ti->la-│
>so---】・>fa---(tr)・・>mi---・----♪
である。この主題は、
「嬰ヘ短→嬰ハ短→嬰ト短→変ホ短→嬰ハ短」
と転がされる。いっぽう、バレエ
「白鳥の湖」(第1幕)第5曲「パ・ドゥ・ドゥー」の2
「アンダーンテ、2/4、2♯」では、(ロ短調)、
♪ 【 mi-・-->ti-|<re->do-・>ti->la-|
>so】(をdoに置換して嬰ヘ短に転)---・-->♯so-|
<ti->la-・ |<re->do-・>ti->la-|
>so-<do-・>ti->la-|
>so---・-->fa-|>mi---・----♪
というvnのソロで奏される。ふたつは、
miからtiへ上昇するのと下降するのと
だけの違いである。そして、「白鳥の湖」のほうも、
「ロ短→嬰へ短→嬰ハ短」
という転調を繰り返す。が、
それぞれの類似自体が問題なのではない。
重要なのは、それらが複合的に、
「同種の感情から生じる脳活動の類似した発露」
である、ということである。つまり、
「交響曲第5番の緩徐楽章」「宿命」-「バレエ」「二人の踊り」
という共通項(キーワード)が肝腎なのである。
「眠れる森の美女」の第2幕でデズィレ王子が踊ったのは、
生身のオーロラ姫ではない。同姫の「幻影」なのである。
そして、次に、
「交響曲第5番の緩徐楽章」「宿命の動機」
という共通項から、
「白鳥の湖」の第1幕第5曲の「パ・ドゥ・ドゥー」が
その「deux」のうちのどちらか
(おそらくは女性=danseurse)が
生身の人ではなく、「幻影」もしくは「精霊」だった、
可能性が高い、という推測が導き出されるのである。
チャイコフスキーの「交響曲第5番」には、たしかに、
「第4番」や「第6番」のような、
高邁な精神から湧いた泉ではないかもしれないが、
チャイコフスキーの脳の中の宇野さんと佐野さんの家の
柱をつなぐ梁としての重要な役割があるのである。
そして、それは「幻影」でもあるのである。
第3楽章の“スロウ・ワルツ”(イ長調)の主要主題は、
ベルリオーズの「幻想」交響曲の第2楽章
「ワルツ」(イ長調)の主要主題と、
始めのたった4音ではあるが、
♪mi>re>do>ti♪
がオソロイなのである。ファンタスティク!