むせるような甘い香りがした。
「スイートピーだよ。きれいでしょ」
白くやわらかそうな花が花瓶に活けられていた。
「花とか、好きだったっけ?」
コーヒーをいれるためにお湯をわかしている背中に声をかける。
「私、お花習ってたこともあるのよ。
それに、何度も話したことあるわ。お花のこと」
声に抑揚がなくて、少し様子がおかしい気がする。
水が沸騰するくつくつという音が大きくなってきて、
ジュッという音ともに佐江子はお湯を流した。
シンクにやかんの中身全部。
「佐江?」
「血液型」
シンクを見つめていた佐江子がこちらに向きなおっていった。
「え?」
「私の血液型を、知りたいと思ったことはある?」
「私の名前の由来を、聞きたいと思ったことはある?」
「私の小さい頃のことを、私の将来の予定を、聞きたいと思ったことはある?」
熱い湯気をあびたせいだろうか。佐江子の方がほてっている。
「どうして何も聞かないの?
私の口癖を、どうして知らないの?
私の使う食器を、どうして覚えられないの?」
こんなに面倒くさい女だったろうか。
いや、面倒くさくない女なんてはじめからいないだろう。
こんなに面倒くさいところを、
佐江子が隠せないほどに、俺は何をしたのだろう。
「あなた、何も知ろうとしないわ」
「何もしないから、怒っているのか?」
わけもわからず、とにかく答えを求めて聞いた。
「考える気もないの?もう、いいわ」
泣きそうに垂れていた眉が急によって、それは嫌悪の表情だった。
もうすぐ1月。佐江子の誕生日が近い。
プレゼントは花にしよう、と思っていた。
「帰って」
「なんだよ、それ」
「今は、はなしてもしょうがないでしょ」
きっと、後悔するのは佐江子のほうだ、とわかりながら、俺は何も言わなかった。
じゃあ、といって玄関に向かうと、ガシャン、とやかんをコンロに置く音がした。
ドアを閉めると、風圧でまたあの甘い香りがした。
そして俺は、あの白い花の名前をもう忘れてしまっていることに気がついた。