「日本は世界と比較して
○○が遅れている」
「○○で差を付けられた」・・・等
そんなニュースが散見される。
それを見ると思う。

僕らが強いられてきた普通になる努力は
日本の教育に限らず
日本人の嗜好なんだろう。

 

恣意的な理論に思うことが多い。


僕は個性とかアイデンティティを重視する。
生まれながらのそれを注視したい。
僕のもそうだし
他の人のそれも。


親が、いや
大人が子供にすることは
安全な道を歩かせることじゃなく
自分の道を進ませることだ。
これが今日の結論


「将来困らないように」
とか
「道を踏み外さないように」って
いかにも「子供のためを思ってます」って言い分だけど
本当はそうなることで
自分の身に火の粉が降りかかるのを
回避したいだけなんじゃないか?
一人前の大人になって欲しいと言うのなら
「一人前の大人」の定義って何なんだろう?


ところで


僕は中学生の時は頭が良かった。
なぜなら勉強が楽しかったからだ。
高校受験の時は
難関校も突破できるレベルにあった。
でもその頃には勉強への興味が失せていた。
そんな僕は中学を卒業したら
働いてもいいと考えていた。
15歳にして
目標を持たずして進学することに抵抗を感じていた。

実力よりも下の高校を志願したが
先生からも親からも反発を受けた。
結局、
僕は自分の将来を他人に委ねるように
先生が勧める高校に進学した。
僕はそれを皮切りに7年間、
普通の人間になる教育を受けた


僕は「僕の個性」の息の根を止めてしまった。


高校では全く勉強をしなかった。
卒業したらフリーターになるつもりだった。
なのに「なんとなく」
大学進学を決めてしまった・・・。

さらに
事もあろうか
僕は大学卒業後、公務員試験を受けていた。
本気でやれば受かると思ったが
本当に受かってしまった。


他人の目からすれば
僕の「庭」は青々と見えただろう。
でも
僕には不毛と雑草の地だった。
なぜなら
僕は僕でありながら
僕の人生を歩んではいなかった
からだ。

中学の時も高校の時も
同調をはねのけてまで
自分の意見を通す勇気がなかったし
それが正しいのかどうか?
背中を押してくれる大人がたった一人もいなかった。


羊水という海原で培った個性をまとって
この世に生まれてきた命を
利己的なことに使ってはいけないということや
本質とは何か?ということに
15歳の僕は気付いていたんだろう。
ただ
恣意的な理論に抵抗できなかったのは
僕の未熟さだった。

この約20年に及ぶ自己と社会に対する齟齬や葛藤は
時空を越えて
今の僕の道を拓くきっかけになった。

勇気は必要なかった。
自分を信じていた。

だからもう
僕は「誰の人生も生きない」だけでなく
自分の命を私物化しない。
そして
個性を見だして背中を押すことも忘れない。
僕のもそうだし
他の人のそれも。


おおきに。