スピードスケート田畑真紀選手 | 栄永英幸オフィシャルブログ「スポーツを話そう!」Powered by Ameba

スピードスケート田畑真紀選手


先週の日曜日、携帯に一通のメールが来ました。


送り主はスピードスケートの田畑真紀選手でした。


「ナショナルトレーニングセンターで一週間合宿を張ります。

14日の午前中で合宿終了しますので久しぶりにランチでもどうですか?」

という内容でした。


私は「喜んで!」と約束しました。



田畑選手との出会いは3年前のトリノ五輪終了後。

友達の紹介でトリノ五輪、お疲れ様会をやったのがきっかけでした。


それ以来、シーズン終了後に食事をしたり、合宿をのぞきに行ったりと

親交を深めながら色んなお話をさせてもらっています。



13時待ち合わせ。時間通りに待ち合わせ場所に現れた

田畑選手を見た印象は

「めっちゃ絞ってるな~」でした。


いかに過酷で厳しい練習を自らに課しているのかを垣間見ました。


彼女のバンクーバー五輪にかける思いが

ビンビン伝わってくるではありませんか!


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そんな田畑選手を見た私は
「焼き肉メラメラ行きましょうビックリマーク

田畑選手も「お腹すいてますビックリマーク


決まりです。



トラジという焼肉店に行きました。


最近、はらみに凝っているという彼女のために

特上のはらみとカルビを頼みました。


トラジのはらみは最高にうまい!絶品です。

みなさんもぜひご賞味下さい。

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田畑選手は

来年のバンクーバー五輪でオリンピック4回目になります。



1回目は1994年リレハンメル五輪


荻原健司選手、阿部選手、河野選手が

ノルディック複合団体で金メダルをとり

ジャンプの原田雅彦選手が金メダルを目前にして

失速してしまったあの大会。


当時19歳だった田畑選手は1500メートルに出場。

はじめてのオリンピックは16位でした。



地元開催で沸いた1998年長野五輪

田畑選手はメダル確実と言われながら

オリンピック直前に足首骨折。出場を断念。

挫折と苦しみ、地獄を味わいました



2回目は2002年ソルトレーク五輪

4種目に出場し3000m、6位入賞。

5000m、8位入賞を果たしました。



3回目は2006年トリノ五輪

荒川静香選手が金メダルを獲得したあの大会。


チームパシュートでメダル寸前まで行ったあの滑りに

日本国民は感動しました。


ゴール寸前で転倒した選手を田畑さんは

一生懸命かばいながらインタビュー受けていたのを

思い出します。


あの涙のインタビューから3年。



来年2月に迫ったバンクーバー五輪

4回目のオリンピックは彼女の集大成です



彼女は3回のオリンピック出場を経験し

年を重ねていろんな人の気持ちがわかるようになって来たといいます。



「今回のオリンピックはもちろん自分のためでもあるのですが

子供たちに夢を与えられるオリンピックにしたい。

そのためにもメダルは絶対に獲る!」



残りの8か月間、絶対に後悔のない準備をしていきたい。

出来ることは全てやる。


強い決意が伝わって来ました。



彼女が常々思っていること・・・それは


「夢と希望と感動」



必ずバンクーバー五輪の田畑選手の滑りを見て

日本中が夢と希望と感動で包まれることでしょう!


来月からまたバンクーバーはじめ海外合宿が始りますが

悔いのない練習をして来てください。


ランチを共にして

今まさに体力と精神のバランスが最高潮なんだと感じました。

その状態で迎えるバンクーバーオリンピック。

きっといい結果が待っていると思います。


田畑選手の最後になるであろう滑りを

私はバンクーバーのリンクでこの眼に焼き付けます。



今後、バンクーバー五輪まで田畑選手の

リポートして行きます。

皆さん一緒に夢を見ましょうアップ



田畑真紀オフィシャルサイト

Maki Blog (田畑真紀ブログ)