三沢光晴社長、安らかに・・・ | 栄永英幸オフィシャルブログ「スポーツを話そう!」Powered by Ameba

三沢光晴社長、安らかに・・・

かつて、私が演出した長嶋親子のドキュメンタリー

スーパーテレビ「父よ俺が見届ける!親子で闘ったアテネへの道」

という番組があります。


三菱UFJ信託銀行のCMでキャッチボールのシーンが

使われていたので目にした方も多いと思います。



その番組の中で、長嶋茂雄終身名誉監督が

こんなことを言ってたのを思い出しました。


「人の人生というものは計算できない。


あと5年生きられるか10年生きられるかわからない。


その中でどう自分の人生を全うできるかが重要なんだ!


だから私は残された人生の中で、与えられた仕事を


やり遂げないといけない。これは天命だ」と。



長嶋監督が自らの残りの人生を初めて語った瞬間でした。


家族の反対を押し切ってアテネの監督を引き受けた時

一茂さんにそう伝えたのです。




昨日、三沢光晴さん(46)が試合中のアクシデントにより急死しました。

あまりにも早すぎる死。


突然の訃報に関係者、レスラー仲間、ファンも

驚きと深い悲しみに包まれていることと思います。


私も何度かお仕事をご一緒させていただいたことがあります。

三沢さんの笑顔、真摯な態度、いかなる時も全力で走り続ける

その姿勢はとても魅力的でした。


かつてプロレスは、高度成長期の日本のシンボルでした。

小さな日本人が大きな外国人を倒す。

まさに自分の夢を重ね合わせていたのでしょう。


時代は移り変わり、地上波でも放送がなくなり

プロレス人気は低迷。


経営者としての三沢社長の心労は

相当なものがあったと思います。

その上、レスラーとしての長年の蓄積疲労、満身創痍。


それでもプロレスの復活を信じ、自らの意思を

貫き通した三沢社長の情熱に共感した仲間、

ファンは多かったのではないでしょうか?



人の人生は計算できない。



今一度、人生を見つめ

天国に旅立った三沢社長のメッセージを

受け取ろうと思います。


三沢光晴、2代目タイガーマスクそしてノア社長

あなたの残した功績は偉大です。

ありがとうございました。


謹んでご冥福をお祈りいたします。



★三沢社長のプロレス経歴
 

1962年6月18日  北海道・夕張市生まれ
1981年3月     全日本プロレスに入門
1981年8月      プロレスデビュー
1984年7月     メキシコから極秘帰国後2代目タイガーマスクに。
1984年8月     タイガーマスクデビュー戦、見事勝利
1985年8月     NWAインターナショナル

             ジュニアヘビー級王座を獲得
1986年11月     世界最強タッグにジャイアント馬場と初出場
1988年5月     結婚。タイガーマスクの正体を公表
1992年8月     ハンセンとの3冠統一ヘビー級王座を奪取。

1999年5月     全日本プロレス社長に就任
2000年6月     全日本プロレスに退団
2000年7月     新団体「株式会社プロレスリング・ノア」設立
2000年8月5日   ディファ有明で旗揚げ戦開催
2001年4月      初代GHCヘビー級王者