【怒りの根元は愛?それとも恐れ?】 | 《ポジショニング》川端 知義のブログ

《ポジショニング》川端 知義のブログ

あなたへの心のメッセージ

先日、Facebookで【怒り】について、投稿させていただきました。その投稿のコメントで『怒りの根源は愛?』というご質問がありましたのでブログにアップしておいきたいなと思いました。

まず、今回アップしたのは僕自身が向き合った対話の内容です。全ての人にあてはまるかどうかは別です。そして、この【怒り】の根源は愛ではなく、恐れです。

僕自身も過去の体験を通じて思うのですが、【怒り】を出しまくっている人は、敬遠されたり距離を置かれたりしますよね。

【怒り】という感情の出し方は、他者に出すのではなく、ひとりの時に出すを心がけています。他者に出せば、当然出された方も嫌悪的な感情になる。ですから、誰もいない寝室で、車を運転している最中に、山で、海で、大声をだす(笑)

そんな表面上の恐れの中でも、【愛】を見つけるとするならば、自分自身に向けた愛です。表が愛、裏が恐れ、その裏の裏は?ということを自問自答します。少し難しい表現になってしまいますが、自己愛、自己理解を探っていくのです。

『なぜ、あなたは怒りという感情が強いの?』ということを自分自身に問うていく。
例えば、過去の体験で他者から【怒り】をぶつけられていろんな痛い感情を感じた。
だから、自分が逆の立場になった時に他者に怒りの感情をぶつける。

 
これもひとつの自己理解ですよね。

怒りというのは、《心の葛藤、防衛》です。

僕の心の中の裏の裏…。実はこの部分に
『自己愛へのきっかけ』というものが詰まっている。

ひとつは、感情に良い悪いはないという上で、どんな感情も解放し、感じ切ってあげたという意味での愛。

 
もうひとつは、その【怒り】の感情の裏側に、『本当は愛してほしかった。』『本当は愛したかった。』気がついた時の自己理解の愛。

『本当は愛したかったんだよね』
『本当は愛して欲しかったんだよね』
『本当は寂しかったんだよね』
『本当は自分の意見を聞いて欲しかったんだよね』
『本当はわかってほしかったんだよね』

こうやって、自分自身に優しく声をかけてあげる。

自己理解というのは、自己愛に繋がる。自己愛があってから初めて他者愛になる。
どんな自分でも無条件で愛してあげることからすべては始まる。


このブログのきっかけになった、Facebookの投稿はこちらです。
【怒り】

怒りでしか感情表現できなかった自分。

怒れば人を変えられると思っていた自分。

怒ることで他者をコントロールしていた自分。

怒ることで他者を抑えつけていた自分。

怒ることで自分の思い通りにしてきた自分。

正義という大義名分を怒りとして出してきた自分。

間違えを認めず、怒りで正当化してきた自分。

そんなことしても逆効果なのはわかっているのに…

本当は自由になりたかった。

本当は愛したかった。

本当は愛されたかった。

これが自分との対話。

これが自分の心と向き合う楽しさ。

ひとつの感情、ひとつの出来事を平面的ではなく立体的に捉える。その裏側に隠されているものを探る。それはいつでも愛というものが中心にあるはず…

感情に良い、悪いはない。だから、自分とたくさん向き合って対話し、自分をたくさん理解し、どんな自分でも愛すること。

それができることでたくさんの幸せにフォーカスできる。

愛と光と感謝を。

 

どんな自分でも

無条件で愛してあげよう

全てはそこから始まる

愛と感謝と光を
 

 

有限会社 passion
イメージトレーナー 川端知義
成長早し、射れば戻らず、​​永遠の連鎖也