久しぶりに書く。

どうも今さらだが、やはり自分は弱い人間のようだ。

やる前からあきらめたり、真っ正面から向き合わず、他のものに逃げたりする。

ああ、認めよう。

私は弱い人間だ。

意思や信念を強く保つことができない。

自分の欲望に負け、そのたびに言いわけを自らにしている。

そんな言い訳がまったく意味のないものであることを知っていながら。

そんな弱い私はせめて、ここに心の弱い部分の掃溜めとして、書くことによって

弱い自分をコントロールしようと思う。


ハングリー精神。

自分が自分であるために。

戦うために。

甘さを吹き飛ばすために。

常にハングリーであれ。

決して、満足するな。

決して、弱音を吐くな。



おはようございます。

今日の起床は午前11時・・。昨日寝たのは午前3時30分だから、7時間30分も寝てしまった。

ノルマは死守。

シンプルに考えよう。

そんな少ない時間でどうやって
試験にうかったのですか?とよく聞かれるのだが
“気合と集中”それのみである。
仕事と寝ている時間以外は勉強をしていた。
少なくとも気持ち的には、そんなもんだった。

10代の乙女が恋をすると、
その人のこと以外考えられらいように
当事の僕は“試験に恋”していたのである。
(丸山弁護士のブログより)

もう少し、いろんな事を真剣に考えるべき。

勘や気分でやることはもうやめよう。


もっと考える、もっと調べる、もっとよく見る、もっと現実的になる。


メリハリ

気合いと集中。

分析的な思考。

たとえば温泉に女性と二人で行くとして、2日以上は一緒にいられない。

だけど小説なら、2ヶ月でも3ヶ月でもそこに籠もって書いていられる。

僕もまったく同じです。

(村上龍・坂本龍一)


ピアノを弾いている時

もちろん考えているんだけど、それは言葉によらない考え・・音楽の言葉で考えている。

響きの思考っていったら変だけど、音楽の言葉の空間に入っている。

(坂本龍一)


雑誌ゲーテより

本が好きだった。活字による言葉によって構築される想像の世界にひたすら浸ることができた。

そして自分の内面的精神が形成されていった。つまり、私を作り上げてきたものは、言葉の数々なのである。

そういうわけであるから、私はおそらく言語的な人間なのであろうと自らを推測する。


言語的な天才は話し言葉や書き言葉に鋭い感受性を持ち、習得する能力が発達しているという。言葉や言語を愛する情熱があり、それを自在に操って表現する作家や、正確に言葉を組み立てる学者弁護士などがあるという。


私の内面を作り上げてきた言葉に対する愛情をもう一度呼び起こし、大切にしていこうと思う。


「自らの人生に関しての独特の感性 俺は俺なのだ、俺でしかないという画一性への拒否 自我への執着 自分の体の内にある自らの多様性への予感」(石原慎太郎)

感情の上げ下げ、やる気がしないとき、合理的でない行動、ずぼらで先送りの考え、まったく自分は弱い。

弱さを認めた上で、そこから立ち直る方法を見つけなければいけない。

まず形が大事だと思う。

整理整頓をして頭のなかを整理する。

このブログを書くことによって、自分を取り戻す。

書くという作業は自分を前向きにさせる。


他にも見つけて、それを実施することによって、負のスパイラルから抜け出す儀式を完成させなければ。

強くなりたい。

表面的な意味ではなく、本当の意味で。

金もパワーを持つ。

知識もパワーを持つ。

体力もパワーを持つ。

そして、どこまでもパワーを持ちたい。

決して、満足することはない。

強靭な精神力と闘争心。

癒しなどいらない。

負けを認めた優しさで自分をごまかしたくない。

あくまで、自分次第だ。


昭和57年に書かれた「資格三冠王」黒川康正氏著 を読んでいる。
今でもいろんな本を書いている方であるが、最初のこの本は自伝および
勉強法公開の内容になっている。
他の人たちが勉強法として紹介している内容はこれを参考にしたものも
多いのではないかと思う。

特に氏の敗因欠点を分析し、これを創意工夫でもって伸ばす原動力にしている
ところは大変参考になる。
反省ではなく、敗因分析とそれを克服し、学ぶことが大事なのだと思った。