「終の棲家」と「今日の気持ち」 | これから

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2019年5月
健康診断で癌マーカーが高く、大腸がんでした。
6月に腹腔鏡にて手術し1年後に多発肺転移。
そして転院。
その後骨盤内再発、再再発、
局所治療(手術、RFA.重粒子線、SBRT)
私の記録です。23/4/25 
その後マーカー値爆上がり。転院を決める。
23/6/10

父は国家公務員で2、3年おきに転々としていた。
私はどこに行っても転校生だった。
幼馴染みはいない。
大学生の時に両親は家を立てそれからそこにずっと住んでいる。
 
 
私は夫と結婚し、長く同じ土地に住んだ事がない。
いつでも家が2つぐらいあった気がする。
夫は田舎が、好きじゃないようだ。
私は皆が思ってるほど田舎が嫌いじゃない。
若い頃は、移動生活に疑問も感じていなかった。
 
 
今も家が2つもあるのに自宅に住んでなくて仮住まい。
今のこの時期ぐらい、田舎で良いので自宅に住みたい。 
夫はそれはどうしても許せないようだ。
地方と東京にそれはある。
娘は、そういう生活が嫌で今の落ち着いた生活を選び、今住んでいるところに生涯住むだろう。
それが幸せだと思っているだろうし、幸せだと感じている娘を良かったと思う。
 
 
私はそんなに長くない余生をたぶんこの仮の宿で終わらせるだろう。
本当は東京の自宅で死にたかった。
後3年生きれれば最後の半年位は住めるかもしれない。
でもたぶん時間切れになると思う。
 
 
夫にはわからない。
東京で暮らせば収入は失くなるしコロナ禍の中難しい。
私は時間のないがん患者だから。
再発が見つかったのもコロナで3か月遅れの経過観察中だった。
それは避けたい。
その病院から転院し、隣県の病院に変わることとした。
 
 
私はこの地が嫌いでここで治療したくない。
怪我で長く入院していたときに散々なめにあった。
それにさんざんいびられてきた姑にいるところは嫌だ。
今はいないけれど。
姑が亡くなり今から自由になれるという時に再発してしまった。
 
私は幼い頃、公務員宿舎に住んでいて家に憧れを持っていました。
やっと手にいれ、自分達で設計し建てた東京の家が私の家だと思っている。
住めないなんて泣けてくるな。
前回の抗がん剤の期間2か月ぐらいだけ夫と一緒に住んでただけのお家。
 
私は2年以内に死ぬだろう。
もしかしたら1年かもしれない。そんなに生きれないかもしれない。
今度の病院は隣県で、私の生まれて育った土地。
最期をここで終わらせるなんて思っても見なかった。
生まれたところで死んでいく。
皮肉なもんだ。
 
 
父は亡くなり、母とは距離をおいていているので会うこともないだろう。
ここで終わらせるメリットあるのだろうか。
あるとしたら大学時代をここでくらし、OBだということだけだ。
それを武器に後3年生きられないだろうか。
最期はホスピスで良いとおもっている。
今のこの地にはホスピスはない。
ここではどうしても死にたくない。
だから生まれた隣県で死ぬ準備をしなければいけない。
 
 
私の人生。
パパには自由にさせてもらったけど、幸せだと言えるのかな?
娘をひとり癌で亡くし、残った娘も遠くで地に足をつけている。
 
 
私は娘が大好きだ。
一緒に住みたい。
でも幸せを壊してはいけない。
 
 
夫こそ、ノマドで地に足つかず。
夫に振り回され、前は思わなかった私の心の叫び、パパには届かない。
最期位はわたし第一主義になってほしい。
 
後3年生きたい。
そうすれば願いが叶うかもしれない。
 
後で消すかもしれません。