『旅の指さし会話帳④ 中国語(麻生清一郎著)』
「あとがきに代えて…」より転載 【その3】
こんな大勢の人が、たかが一外国人旅行者の身の上
を心配してくれる。ぼくの頭は泥棒に遭ったことよりも
そのことに対する不思議な思いが支配していた。彼らの
姿はぼくが頭に抱いていた中国人の印象とはまるで
異なっていた。この人たちと一緒に暮らしてみたい。
みんなの心配顔をよそにぼくはそう考え始めていた。
やがて主人が筆をとり、メモ用紙に走り書きした。
「警察に届けてもいいし、私が盗まれた額を弁償しても
いい。ただ、警察に届けたら私は捕まるかもしれない」
とあった。
ぼくの答えはとうに決まっていた。身振り手振りを
交えながら「あなたがたが好きだ。ここにしばらくいたい。
弁償しなくていいし、警察にも届けない」と書いた。
主人はぼくが弁償を選ぶと思っていたのだろう。
明らかに意外そうで、またうれしそうだった。静かな
調子で「われわれは朋友だ」と言った。
そして、ぼくの不法就労生活が始まった。住み込み
で月給2500円。同僚はみなぼくと同世代の出稼ぎの
若者だった。
ぼくは不法就労がバレないために、そしてなかば
好奇心から、彼らの話し言葉を一つ一つ真似していった。
夜が更けると彼らは毎日のように夢を語り合った。
「大連にでっかいホテルを建てる」「ハルビンの美人と
結婚する」などなど。ある時、ぼくは夢を尋ねられて、
「君たちとの暮らしを続けていきたい」と言って笑われた。
主人は給料はもちろん、帰国費用も出してくれた。
彼はつねづね「朋友だから気にするな」と言った。
あれから十数年が経つが、彼は今でもお金を受け取ろう
とはしない。
ハルビンでの体験がなかったら、二度と中国には
行かなかったかもしれないし、ましてや中国に関わる
仕事などしていなかったに違いない。その意味で朋友に
出会ったことは今のぼくの原点だが、そのきっかけを
作ったのがあの泥棒である。持ち金をなくす経験なく
しては、友情のありがたみをあの時ほど感じ入ったりも
しなかったであろうから。
ぼくは今でもふと泥棒を思い出して、彼に巡り会った
幸運に感謝したりなどしている。
1999年8月 麻生晴一郎

