20年来の友人、野良猫のウズくんがとうとう姿を消しました。
その10日くらい前から、1日1回しかご飯を食べにこなかった。
普段は、1日5回も6回も食べてたのになぁ。
家族みんな、心配しながらも「もう20年生きてるもんね…。無理に食べさせても、点滴で延命するようなものだよね…。」と、切なく見てた。
私が二十歳かそこらの時、うちの周りには野良猫が溢れていた。
なかでも、小顔で目が大きくて、ピンクの鼻をした猫の家族は頭が良かった。
かわいい『かーさん』の子供達は、ウズくんを含めて8匹くらいいたみたい。
最初は気にしてなかった。
子猫たちは、散り散りに縄張りを作っていった。
のちのち見かけたのは、3匹だったかな。
ウズくんは、いつの間にかうちの縁側に居た。
中に入るでもない。
餌をねだるでもない。
ただ家人が帰ってくると、ひょっこり顔を出す。
始めは鳴き声も出さなかった。
ただ、キラキラした目でこっちを見てるだけ。
そのうち、夏が来て。
冷房のない我が家は、夏の夜は外に出てダラダラ話すことが日課になり。
足元には、ウズくん。
あやしながら、ダラダラ話すのが普通になった。
野良猫だから、触ろうとすると避けるのだ。
…猫じゃらし越しのコミュニケーションだった。
夏から秋まで、猫じゃらし。
冬の間は、庭に停めてるバイクのカゴに入ってた。
もう1匹の兄弟と折り重なって、ぬくぬく眠ってた。
朝ウズくんを確認する。
夜ウズくんを確認する。
そんな日々が、何年も何年も続いて。
その間に私は家を出たり、仕事変わったり、また家に戻ったり…。
ウズくんも公園に捨てられて家族離散したり、ウズくんだけ拾われて戻って来たり、3ヶ月消えたり、2週間消えたり…。
色々とあった。
それでも変わらずにお互いを確認して、たまに遊ぶ。
特に撫でるでもなく、鳴くでもなく。
ある日、ウズくんに新しい友達が出来た。
泣きそうなライオンみたいな顔…。
茶トラのでっぷりしたチャーくんは、いつも泣きそうな顔をしてた。
まだ大人になり立てだろうに…動かない。走らない。とにかく泣きそうな目で、遠くを見てる。
その子が来てから、2軒隣のおばさんに時々エサを頼まれるようになった。
おばさんは猫好きだけど、おじさんは猫嫌い。
夫婦喧嘩すると、うちにエサを頼むらしかった。
そうこうしてたら、いつの間にかウズくんは我が家を訪ねるようになっていた。
家人が帰ると一緒に入る。
あおー?
あおん。
ああ〜。
おうん?
いつの間にか、話をするようになっていた。
…いや、何いってるかわからないけども。
「ご飯食べるの?」
「あおーん!」
「それとも水?」
「あーおーん?」
…どうやら、ご飯ぽい。
「お母さんお風呂に入るんだってば!」
「あお?」
「ウズくんも入るの?」
「…あうおう。」
「えっ?!入るの?!」
そんな感じで曖昧にコミュニケーションをとりつつ、5年くらいが過ぎたんだろうか?
もう当たり前過ぎて、色々と普通になり過ぎて…。
いつ何があったのか、思い出に溶け込んでよくわからない。
初めて膝に乗ったのは、2年くらい前だったろうか?
初めてうちで眠ったのは、まだ去年だった気もする。
…チャーくんが、2年前の夏に急逝したから。
ウズくんは、とにかく甘えんぼだった。
大人になっても、老猫になっても、ずーっと赤ちゃんみたいな鳴き声で。
キラキラうるうるした目で、こっちを見るのだ。
けど。
今思えば、猫エイズの発症だったのかも知れない。
一気に毛艶がなくなり、食欲も衰えた。
父ちゃんも母ちゃんも、私も、まだウズくんにいてほしいと思ってる。
けど、今や野良猫たちは姿を消し、ウズくんはひとりだ。
いくら私たちがいても、猫は他にいない。
いつも他の猫に甘えて、遊んで、生き生きしてたウズくん。
今もう、おしっこするのも痛そうだった。
二階だって上がれない。
スズメも獲れない。
それで永らえて、彼は楽しいだろうか?
人間しかいない中で延命して…ましてやもう若い肉体に戻れるわけでもない…コッチのエゴで生かすのは、どうかと思った。
生きてりゃいいってもんじゃない。
それは、人間と動物の圧倒的な違いに思えた。
私たちは、ただ見守ることにした。
ご飯食べたいそぶりをしたら、ご飯を好きなだけ。
眠りたそうなら、そっと見送る。
うちにいたいのであれば、好きなだけ。
…私は外出を減らした。
なるべく、ウズくんの自由を尊重したかった。
いつでも要望に応えてやりたかった。
せめてそれくらい…。
何せ言葉が通じないのだ。要望だって100は汲めない。
ウズくんが幸せだったかは、わからない。
できるコトしか、できなかった。
フランクな付き合いは、できたと思う。
お互いにワガママしたし、お互いに気配りした。
ポッカリと。
ブラックホールみたいに穴が空いた。
やる気も食欲も眠気も、ブラックホールに吸い込まれてる。
文字通り、何も手につかない。
後悔じゃない。
ただ寂しいだけだ。
亡骸は見つからない。
みんなお盆で、帰って来てるし。たぶん。
母ちゃんは「あの最後の朝、やっぱりアンタも呼んどけば良かった」と言った。
ウズくんが消える直前の姿を…私は見れなかったから。
「そんな事は、気にしてないよ。
いつ見送ったって、寂しさは変わらないよ。
どのタイミングだって、誰と会えなくなったって、寂しいもんは寂しい。」
子供の頃に亡くした猫は、後悔で見送った。
もっとああしてやれば…ばっかり浮かんで、一個一個が涙になった。
7年ほど前に祖父ちゃんを亡くした時。
ただ寂しかった。
後悔は浮かばなかった。
あの時にわかったんだ。
生きてるってのは日常で、あの時にどうとか思っても、その時は最善を尽くしてるんだ。
そういうもんなんだ。
その時は最善だったから、生き延びてきた。
そういうもんなんだ。
ありがと。
ありがと。
バイバイ、愛すべき僕らの日常。