昨日ブロトモさんのブログを読んで、速攻でチケットを買って本日見てきました。
いやぁすごかったです!!特に第三幕。オシポアの踊りが狂気に満ちてるんですよ。踊りだけじゃないです。顔がアップになるともう目がイッちゃってるんです。バレリーナの演技力をなめんなよっと言ってるかのようです。
あらすじと背景をざっと説明すると、ロシアの2月革命で皇帝一家は処刑されてしまうんですが、四女のアナスタシアは瀕死のところを親皇帝派の兵士に助けられて生きている、といううわさがあったらしいです。実際その後何人もの自称アナスタシアが現れたらしいんですが、その中のひとりをモチーフにして作られたバレエだそうです。最初は第三幕の精神病院のシーンだけだったらしいんですが、その後第一幕と第二幕が付け加えられて今の形になりました。
第一幕はアナスタシアがまだ少女時代の船上パーティーのシーンです。あどけないアナスタシアがふんだんに描写さえていて、更に弟のアレクセイが病気のことやラスプーチンがそれを治すことで王妃の信頼を得ること、四姉妹の仲の良さなどが描写されています。ほとんど踊り中心の幕なので、ちょっと中だるみするところもありました。史実としても皇帝家はヨット(と言っても大きな船です)を所有していて、夏は良く利用していたらしいです。
第二幕は冬の宮殿でのアナスタシアにとっては社交界デビューとなるパーティーのシーンです。ここでボネッリとヌニェスがバレエダンサーの役で登場します。見所はこの二人の踊りと、豪華な衣装を纏っての群舞かな?この衣装は17世紀のものですが実際にこの時の舞踏会は仮装舞踏会で、17世紀の衣装限定だったそうです。
私はヌニェスびいきなので、ヌニェスばかりみてました。やっぱりこの人はうまいね。
そして最後に革命軍が押し寄せてきます。
そしていよいよ第三幕。ここからがこのバレエの真髄です。前のふたつの幕がクラシックだったのにここから急にコンテですが、違和感はないです。むしろ必然性を感じました。舞台の上でも時代が変わったのだと。
アナスタシアは記憶をなくしたうえ精神に異常をきたし精神病院に入れられています。そんな彼女の前に家族やラスプーチンの幻影が現れて、第二幕の最後のシーンのあと一家に何が起こったのかが観客にわかるようになっています。家族や従者が次々と殺され(メイドがクッションを抱えているのは史実に基づく)、アナスタシアにとっては思い出すのもつらい出来事。アナスタシアは平民に扮装した従者たちに守られて難を逃れます。どうもラスプーチンが裏で手配していたようです。婚約者の将校もその中にいます。後にその将校との間には子供もできますが、生まれた赤ん坊は病院に取り上げられてしまい、夫も殺されてしまいます。再び全てを失った彼女は、心のバランスを保とうと、つかの間かつての家族との楽しい時間を思い出しますが、ラスプーチンの幻影に母親との抱擁を引き裂かれます。彼女はラスプーチンに激しい怒りをぶつけ・・・
解説でしきりにアイデンティティークライシスと言ってましたが、アイデンティティー、つまり自分は何者かという認識はどこから来るのでしょうか?多分自分自身の記憶と、他者が自分をどう認識しているかにかかっているんじゃないかと思います。もし、周りの人間は誰も自分を知らず、自分も記憶がほとんどないとしたら、何をよりどころにすればいいんでしょう?わずかでも残っている記憶があれば、たとえそれが本当の記憶かどうかも分からず、しかも受け入れるにはつらすぎる結末を含んでいても、その記憶の断片に頼るしかないんではないでしょうか?それとも、もし辛い記憶ならそれを拒否して、「誰でもない人」として狂人のまま過ごすほうがマシなんでしょうか?
そんなことをしみじみ考えさせられるバレエでした。
最後に一言。
オシポワすごいよ!