前の記事の続きです。
前回からもう一度見直して気が付いたことがあるので、一応書いときます。
夢の中でネズミに襲われるシーンで、クララがネズミに服を脱がされる場面があります。
ちょっときわどい感じですが、夢の中では「服」はいわゆるペルソナ、つまり社会に向けて見せている自分の人格の一部を表すことが多いです。ここでもクララが大人のたちに見せているよい子としての一面を表しているのかもしれません。大人から与えられた服を脱ぎ捨てることで本当の自分が発見できるわけですが、それは本人にとっては不安を伴うこともあり、ネズミのイメージと重なったのかもしれません。
また頭の大きな大人たちのシーンでは人形を投げ合うなど、現実の世界の場面が反映されています。クララがこの大人たちにいいように操られている感じも出ています。しかし王子が現れて大人たちが仮面をとるとごく普通の人間で、恐れることはありません。クララも王子に後押しされて大人たちと向かいあいます。
ここで自分のコンプレックスをある程度克服したことで、クララの中に新しいエネルギーのようなものが生まれたのでしょう。それがスペインの踊りの激しさで表現されています。
クララの心の旅は続きますが、次のアラブの踊りでは数人の人が一枚の大皿の食べ物を囲んでいます。首領らしき人が誰にどれくらい食べさせるか完全に仕切っていて。部下らしい人たちは自分では手を出すことができません。しかしその内の二人がその場を離れパ・ドゥ・ドウ(以下PDD)を踊ります。その間もほかの部下たちは首領に媚びを売って食べ物をもらいます。PDDの二人は隙を見て首領から財布を奪い、あばよ(死語)と言って立ち去ります。つまり支配から解放されたわけです。これがクララの心の中の出来事だということを考えれば、クララも何かの支配から解放されたのかもしれません。
次のロシアの踊りでは仲間同士がふざけ合いながら楽しく踊ります。このひとりひとりがそれぞれクララの人格の一部を表しているなら、ここでいろんな部分が顕在化してきたことになりますが、まだこの段階では各自自由奔放という感じです。
次の中国の踊りではそれが一変して三人が一糸乱れず踊ります。ある種の統一感を感じさせます。先ほどのロシアの踊りに比べると人格の再統合という意味で一段レベルアップした感じです。
そして次のパストラーレでは3人の美しい身なりの高貴な人たちが踊ります。クララの精神性がある高みに上ったことを感じさせます。ちなみに3という数字は「三位一体」という言葉があるように「完成」や「安定」を表すそうです。
ここから背景がガラリと変わります。今までは屋敷の中の部屋のような薄暗い貧相は背景でしたが、ここからは宮殿の中の部屋のようです。花のワルツ(ヌレエフ版では特に花をイメージしてるわけではないようですが、便宜上そう呼んどきます)も金色の豪華な衣装で踊られます。部屋は心の状態を表しますから、ここでもクララの心ある高い次元にあることが分かります。
そしてここに登場するクララ自身ももはや少女ではありません。この宮殿の主であり女王(ドラジェの精?)です。自分の心の宮殿で堂々と踊ります。その姿は自信に満ち溢れています。
ちなみに王子とのPDDにも段階に応じて変化があります。人形が王子に変身した後のPDDでは王子に魔法の力で引き寄せられるようにして始まり、踊りも王子がリードしている感じです。クララは王子に抱えられながらフワフワと宙を舞うように踊ります。まるで夢見心地です。実際夢ですけど。
次の雪の精の踊りの後のPDDではもう少し自立した踊りになります。二人で同じ動きを並行して踊ったり、ジャンプも自分の力で飛びます。
そして最後のPDDでは完全に対等な関係です。高度な技を堂々と踊り後半ではむしろクララが王子をリードしているようにも見えます。
以上私個人の勝手な解釈ですが、こうしてみるとヌレエフ版では後半の夢の世界に関しては、すべての登場人物や踊りに意味があり、いわゆるディベルティスマン(ストーリーに関係ない余興としての踊り)ではないように思えます。
いずれにせよいろいろ深読みを誘われる作品でした。それだけでもいい作品といえると思います。
追記:何回か見直した後、2015年2月5日に一部編集しました。
前回からもう一度見直して気が付いたことがあるので、一応書いときます。
夢の中でネズミに襲われるシーンで、クララがネズミに服を脱がされる場面があります。
ちょっときわどい感じですが、夢の中では「服」はいわゆるペルソナ、つまり社会に向けて見せている自分の人格の一部を表すことが多いです。ここでもクララが大人のたちに見せているよい子としての一面を表しているのかもしれません。大人から与えられた服を脱ぎ捨てることで本当の自分が発見できるわけですが、それは本人にとっては不安を伴うこともあり、ネズミのイメージと重なったのかもしれません。
また頭の大きな大人たちのシーンでは人形を投げ合うなど、現実の世界の場面が反映されています。クララがこの大人たちにいいように操られている感じも出ています。しかし王子が現れて大人たちが仮面をとるとごく普通の人間で、恐れることはありません。クララも王子に後押しされて大人たちと向かいあいます。
ここで自分のコンプレックスをある程度克服したことで、クララの中に新しいエネルギーのようなものが生まれたのでしょう。それがスペインの踊りの激しさで表現されています。
クララの心の旅は続きますが、次のアラブの踊りでは数人の人が一枚の大皿の食べ物を囲んでいます。首領らしき人が誰にどれくらい食べさせるか完全に仕切っていて。部下らしい人たちは自分では手を出すことができません。しかしその内の二人がその場を離れパ・ドゥ・ドウ(以下PDD)を踊ります。その間もほかの部下たちは首領に媚びを売って食べ物をもらいます。PDDの二人は隙を見て首領から財布を奪い、あばよ(死語)と言って立ち去ります。つまり支配から解放されたわけです。これがクララの心の中の出来事だということを考えれば、クララも何かの支配から解放されたのかもしれません。
次のロシアの踊りでは仲間同士がふざけ合いながら楽しく踊ります。このひとりひとりがそれぞれクララの人格の一部を表しているなら、ここでいろんな部分が顕在化してきたことになりますが、まだこの段階では各自自由奔放という感じです。
次の中国の踊りではそれが一変して三人が一糸乱れず踊ります。ある種の統一感を感じさせます。先ほどのロシアの踊りに比べると人格の再統合という意味で一段レベルアップした感じです。
そして次のパストラーレでは3人の美しい身なりの高貴な人たちが踊ります。クララの精神性がある高みに上ったことを感じさせます。ちなみに3という数字は「三位一体」という言葉があるように「完成」や「安定」を表すそうです。
ここから背景がガラリと変わります。今までは屋敷の中の部屋のような薄暗い貧相は背景でしたが、ここからは宮殿の中の部屋のようです。花のワルツ(ヌレエフ版では特に花をイメージしてるわけではないようですが、便宜上そう呼んどきます)も金色の豪華な衣装で踊られます。部屋は心の状態を表しますから、ここでもクララの心ある高い次元にあることが分かります。
そしてここに登場するクララ自身ももはや少女ではありません。この宮殿の主であり女王(ドラジェの精?)です。自分の心の宮殿で堂々と踊ります。その姿は自信に満ち溢れています。
ちなみに王子とのPDDにも段階に応じて変化があります。人形が王子に変身した後のPDDでは王子に魔法の力で引き寄せられるようにして始まり、踊りも王子がリードしている感じです。クララは王子に抱えられながらフワフワと宙を舞うように踊ります。まるで夢見心地です。実際夢ですけど。
次の雪の精の踊りの後のPDDではもう少し自立した踊りになります。二人で同じ動きを並行して踊ったり、ジャンプも自分の力で飛びます。
そして最後のPDDでは完全に対等な関係です。高度な技を堂々と踊り後半ではむしろクララが王子をリードしているようにも見えます。
以上私個人の勝手な解釈ですが、こうしてみるとヌレエフ版では後半の夢の世界に関しては、すべての登場人物や踊りに意味があり、いわゆるディベルティスマン(ストーリーに関係ない余興としての踊り)ではないように思えます。
いずれにせよいろいろ深読みを誘われる作品でした。それだけでもいい作品といえると思います。
追記:何回か見直した後、2015年2月5日に一部編集しました。