如何せん原発問題に関する議論では、ほぼすべてが正確な科学的論拠に乏しい。
よく言われることだが、公平を期する研究者と言えども雇用先や研究費の出どころの団体が喜ぶ結果を導きがちである。
特に世界で国家的プロジェクトや反対運動が展開される原子力については尚更だ。これらのデータにすがり、いかにも「科学的」だとして、賛否を論じるのは甚だ馬鹿馬鹿しい。
ただし比較的客観的なデータといえるものはある。その一つがチェルノブイリ原発事故に関して国連が発表したデータである。これには、子どもの甲状腺ガンが有意的に増加したことのみが極めて明確に記されている。
だが、皆がこれを見て議論したところで結論は出ない。私は被害者が多いと感じたものの、少ないと感じる人もいるだろう。詰まるところ、現在議論の根拠としているデータの凸凹が平らにされたとしても、抜本的な解決には至らない。加えて、いまだに研究途上の放射性物質の影響についてなぞ、公正であるからといって「科学的」とも言い難い。
ここまで、私は「科学的」という言葉を「真理は1つ」という概念のもと成り立っている「自然科学」の意味で用いた。原子力は化学や物理に由来し、極めて正確な1つの「科学的」真実があるといえる。しかし、上述したように、今はまだこの言葉を用いるに相応しくない。
その場合、これらのデータはバラつきのある統計的事実と位置付ける必要がある。つまりこれらを見て判断する際、自分にとっての損得や感情に流されることなく、総合的かつ客観的に理解し、自分の意見として昇華しなければならない。
但し、「総合的かつ客観的」というのは難しく、その過程で再び多様な解釈が生まれてしまう。
そこで、私は一つの基準を提案する。それが「倫理」である。クローンや再生医療問題と同様に、「倫理的」に議論すべきなのだ。
チェルノブイリや福島原発事故を筆頭に、原発が人間を含む自然界全体に与えている影響は計り知れない。まさに、生命に直結するテーマであり、しばしば医療倫理問題で語られるような宗教的な視点がなくとも、個々の人間、社会、地球の将来をも揺るがす問題であることは明らかといえる。
化学工学を専攻する私が記すのはいささか心苦しいが、「科学的」な欠陥は、「倫理的」に補完するしかない。決して私利私欲や偏見感情に依って判断してはならないし、そもそも無視してはいけない。
よく言われることだが、公平を期する研究者と言えども雇用先や研究費の出どころの団体が喜ぶ結果を導きがちである。
特に世界で国家的プロジェクトや反対運動が展開される原子力については尚更だ。これらのデータにすがり、いかにも「科学的」だとして、賛否を論じるのは甚だ馬鹿馬鹿しい。
ただし比較的客観的なデータといえるものはある。その一つがチェルノブイリ原発事故に関して国連が発表したデータである。これには、子どもの甲状腺ガンが有意的に増加したことのみが極めて明確に記されている。
だが、皆がこれを見て議論したところで結論は出ない。私は被害者が多いと感じたものの、少ないと感じる人もいるだろう。詰まるところ、現在議論の根拠としているデータの凸凹が平らにされたとしても、抜本的な解決には至らない。加えて、いまだに研究途上の放射性物質の影響についてなぞ、公正であるからといって「科学的」とも言い難い。
ここまで、私は「科学的」という言葉を「真理は1つ」という概念のもと成り立っている「自然科学」の意味で用いた。原子力は化学や物理に由来し、極めて正確な1つの「科学的」真実があるといえる。しかし、上述したように、今はまだこの言葉を用いるに相応しくない。
その場合、これらのデータはバラつきのある統計的事実と位置付ける必要がある。つまりこれらを見て判断する際、自分にとっての損得や感情に流されることなく、総合的かつ客観的に理解し、自分の意見として昇華しなければならない。
但し、「総合的かつ客観的」というのは難しく、その過程で再び多様な解釈が生まれてしまう。
そこで、私は一つの基準を提案する。それが「倫理」である。クローンや再生医療問題と同様に、「倫理的」に議論すべきなのだ。
チェルノブイリや福島原発事故を筆頭に、原発が人間を含む自然界全体に与えている影響は計り知れない。まさに、生命に直結するテーマであり、しばしば医療倫理問題で語られるような宗教的な視点がなくとも、個々の人間、社会、地球の将来をも揺るがす問題であることは明らかといえる。
化学工学を専攻する私が記すのはいささか心苦しいが、「科学的」な欠陥は、「倫理的」に補完するしかない。決して私利私欲や偏見感情に依って判断してはならないし、そもそも無視してはいけない。