自分のための感想メモですので、例によってネタバレあります。ありまくりです。

ご注意下さいませ…と言っても、特にストーリー的に何かあるような映画でも無いんですよね。

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これは映画館で見ないと…と思っていました。

私は同じようなシーンを繰り返して積み重ねていく映画が大好きなのです。
だから、これはきっと見ようと思ってました。

同じように見える日々は、決して同じではなくて、少しづつ違って重なっていく。
いつかは変わっていくしかない時間を感じて切なくなります。


平山の1日は、向かいの寺院(神社?)を掃く竹箒の音で目覚める。
布団を畳み、顔を洗い、集めた苗木に水を吹きかけ…
外に出て、必ず外を見上げて嬉しそうにする。
雨だとちょっとめげる。

朝ご飯代わりにアパートの前の自動販売機で(多分)甘い珈琲を買う。
彼だけでもってる自販機じゃなかろうか。

仕事には真剣そのもの。
ちゃらんぽらんな同僚のことが気に障るくらい。

仕事の後は開店直後の銭湯に行き、顎まで湯に浸かる。常連さんと並んで、テレビで相撲や野球を観る。


夕方には
浅草の魔窟(ごめんなさい)地下街の焼きそば屋。
このあたりは探検してみたい…とずっと思ってるところ。

ここに黙って座ると、甲本雅裕が笑顔で「おっ、お帰り〜」って言ってくれて、お決まりの物が出てくる…。
このシーン(もちろん複数回あります)だけでも無茶苦茶、幸せを感じた私です。

浅く長い人間関係や、行きずりの触れ合いには、癒される。




休みの日も違うルーティンが待ってる。

腕時計は…休みの日だけだったっけ?

コインランドリーで洗濯をする。

フイルムを出して、写真を受け取って、新しいフイルムを入れる。
写真を選別して缶にしまう。
彼の撮る写真は木…いや、光…かな。

本を読み終えていたなら
行きつけの古本屋へ。
100円の文庫を買うと、店番の女性の鋭い書評が聞ける。それだけで100円以上の価値がありそう。

彼の読む本はフォークナー、幸田文ときて、まさかのパトリシア・ハイスミス。
パトリシア・ハイスミスと言えば「太陽がいっぱい」。でももうアラン・ドロンも知らない人の方が多いのかも。
あれは確か映画と原作の結末が違ってたな。


石川さゆりがママで、カウンターに美味しそうなお惣菜が並ぶスナック。

声がいつまでも可愛くて色気がある。

その上、彼女に生ギターで歌わせる。
それも…「朝日のあたる家」を!
なんて贅沢な。何でも歌えちゃうんだな。


田中泯は最初、木の精霊かと思いました。
OLの長井短は見るからに不思議ちゃんで大好き。


柄本時生は仕事仲間だけど、不真面目だし、ちゃらい。でも平山はちょっとイライラしながらも、切り捨てたりは出来ない。
彼にも気の良いところがあって、障がい者らしい子に耳を触らせてやって、自然に仲良くしてたりする。

カラフルでかっこいい女の子も出てくる。




この映画のサブ主人公はトイレ。
私は掃除が本当に苦手なので

掃除をしている人を見ると

尊敬してしまう。

人の掃除はいつまでも見ていられる。

このトイレは隈研吾。そんな感じ。

東京のトイレで聖地巡礼が出来ちゃうな。
したいな。



ある日、帰ってくるとアパートの階段に姪が座って待ってる。

ここであれ?となる。
平山は二階屋に住んでるよね…でも入口はアパートの一階よね…。
それからアパートの外観が出るたび、一生懸命見ていると、一番手前の平山の部屋だけメゾネット。
姪の居た階段の先の通路は、平山の部屋には繋がっていなくて、その次の部屋から。
変わった作りです。なんで、そんなことしたんだろう。面白いけど。

川を辿って海に行こう、と誘われたとき、平山は「今度」と答える。

「今度っていつ?」
「今度は今度。」
「今度は今度、今は今。」

「今度」は「今」じゃない。

川を辿って行くのもきっと素敵な旅になる。その良さは否定しない。
でも平山は「今」を大事にしてる。


姪を迎えに妹が来る。
短い会話で、平山の過去とか家族関係とか今の状況とかが伺える。

姪とは予想できたけど、妹との思いがけないハグは「過去」への万感が溢れてて良かった…。




最後近く、三浦友和とのシーンになるんだけど…私はこのシーンはこの映画からは唐突で、浮いて感じたのですが、映画評などでは良いと言う人の方が多いので、そうなのかな。


平山が撮ってる写真。

私も木や木漏れ日を撮るのが好きなので、平山風にならないか、白黒に加工してみました…。

う〜ん。
やっぱり、だめですね。
被写体が似ていても…

何か、世俗感が抜けないというか。
煩悩が多過ぎるのでしょうな。