2017年の夏、何故か家に帰ってきてぼーっとしていると毎日涙が止まらなくなった。理由は沢山あったけれどどうしてこんなに辛いのか分からないまま数ヶ月経った時、自分の抱えている症状を検索して出てきたのは鬱病の自己診断のサイトだった。違うといいんだけど、と思いながら打ち込んで出た重度のうつ状態という結果を飲み込めず何度かサイトを変えたけれど答えは同じだった。結果を見せて病院に連れて行って欲しい、と頼んだ時母が凄く悲しそうな顔をして「そんな事言わないで。」と言われて"あぁこれはやっぱり言ったらダメなことだったんだ"と思い会話を終わらせた。次の日、母が(きっと色んな事を考えてくれたんだと思う)朝から連れて行ってくれた病院で出された結果は同じで診断書を書くので仕事を休んでくださいと簡単に言われた。ツアーを控えていた10月半ば、仕事はどうしても休めないというと「死にたいならばそのまま続ければいい」と言われたことに驚いた。とりあえず薬だけを貰って病院を出たけれど結局向き合い方は分からないままだった。

そのまま迎えたZENITH TOURの初日、リハーサルをしようとすると突然声が出なくなって歌うことも話すことも出来ない状態になった。ユニバーサルの担当北田さんにお願いして近くのカラオケボックスに連れて行ってもらったけれど改善するわけでもなく会場の時間を迎えた。初日から東京、大阪、大阪と3日連続のライブは40度近い熱もあって殆ど記憶はなかったけれど後から毎回撮ってもらっている映像を観たらなんとか(本当になんとか)最後までライブをやりきれていてよかったと思った。眠ることもご飯を食べることもできない状態が続いていて唯一食べることが出来たアンパンマンチョコをライブ制作のたにむがコンビニに行くたび買ってきてくれてずっと鞄にチョコを入れてツアーを回った。薬を飲んでも悪くなる一方でどうすれば、と考えれば考える程症状は悪くなっていった。これは何度か話したことがあったけれど中盤からは薬を飲むのをやめてお酒を飲みながらツアーを回った。お酒を飲んでいるのにライブが出来なかったら駄目だ、という自分に訳の分からない責任を上乗せしたことによって何故かライブがしっかり出来るようになった。ただお酒に逃げているだけに聞こえるだろうけどその時の自分にとっては必要な選択だったと思う。ライブがちゃんと出来ると少しだけ心が楽になった。追加公演が全て終わる頃お酒を飲まなくてもなんとなく自分に合う病気との向き合い方が分かってきた。ライブに来てくれた人たちがどんな日でも受け止め続けてくれたことと、悪いコンディションでもツアーを最後まで回り切れたことは自分にとっては凄く大きなことで、この時に改めてPassCodeをこれ以上の理由がない限り自分からは辞めないと決めた。

たまに手紙や、SNSで精神的に辛い思いを抱えて苦しんでいる方からメッセージを貰うことがある。なかなか理解してもらう事が難しい病気でもあるし、私も最初診断された時に"自分が弱いから病気になってしまった"と凄く悩んだんだけどその時置かれている状況や、タイミングで誰しもがなる可能性のある病気だと治ってから時間が経ってから気づいた。自分を責める必要もないし、休めるならゆっくり休むのもいい。自分に優しくして、その分余裕ができたら周りに優しくできたらいいなと思う。原因がそれぞれ違うように治るスピードも治し方も違うもので、私は病院もカウンセリングも、薬も、効かなかったけれど、メンバーやチーム、家族、友達、先輩、近くにいてくれた周りの人と、ステージを待ち続けてくれるみんながいてくれるこの環境があって、ライブで強い言葉を話せるステージ上の南菜生が居ることで、少しずつ時間をかけてバランスを保てるようになっていった。
今回ヤフーニュースでPassCodeを取りあげてもらえることが決まった時に今までで1番辛かったことは?と聞かれてもう今ならば話せると思ったので今回この話をすることにした。インタビューが終わった時、北田さんに「やちいの場合はPassCodeがあったから強くいれたのかもしれないね」と言われてその通りだと思った。

2021年あの時以来初めてPassCodeを辞めることを考えた時、脆い自分が強くなれる場所だと思っていたステージがどこよりも自然に自分らしく居れる場所に変わっていることに気づいた。「ありがとう」としかいつも伝えられないんだけど、ステージに立つ度 "生きていてよかった"と思ってる。あなたがずっと私の光。