それぞれ信条を表すもの
私にとって大学で選考する学習内容が
その思い出の根源になってる
大学とは開かれた教育機関で、あるべきだと
アインシュタインは言っていたとか言ってないとか、
割と秀才でなくても入れたのだけど、
内容はキツかったりして初めて、
趣味に傾倒しだしたころずっと絵を描いたりしてきたことが慰めだったり
そうやってるうちに意外に馴染めたりしてくる、と
励んでいたけど、
早く楽になりたい、というのが実のところだった。
信条と言うのはそれぞれ違っていいと
無理に合わせることもないと帽子を見て思う。
色んな帽子がある中で
私が一番被りたかったのは学士帽
つまり卒業式のときに被るあの四角い縁取りのやつ
何かを成すときに何を学ぶかは自由であるともとれ
感じることを大事にしていけば、
いつか必ず繋がっていると思うのは私だけじゃないと思う
帽子は個性で言う自慢になるところの象徴のように思えて、どうしても学校で頑張ったことを
自由な校風だったこともあり思い出す。
その人の意志も個性も人となりも、総じて一番目につく頭の上、で表していると見えるから
一番のおしゃれだと感じるけれど
自分を一言で表すなら、というのをお洒落で着てみるというと、
ただのファッションでなくて、
意志を表すところ、なら
わたしはいつも帽子を似合う気がしないで
被るのが気が引けていた、
それでは寂しくて、でもいつか被りたいとずっと考えた挙げ句、思い出すのは学士帽だったのを不思議だったけれど、
好きなことに楽しみながらやっていくうちに、
分かってきたこと、好きだからとりあえず
キャスケット、ベレーなどに興味持ちつつ、
深く被ったりしながらやってると、
似合ってる気になって来たから、
結局自分が好きなものが一番似合うのように、
言い得て妙だけれど、
まわり道をしたことで、
流行に流されない、自分だけの一着を選ぶことができるようになったから、
たぶん、全ては繋がっている、
価値のないものが価値を上げたり、
それも楽しいから、
自分で楽しんでいることを表すには事欠かなくなった。
ブロカントのようなお洒落もあるけれど、
自由に伸びやかに学びながら
自慢になることを見つけたい
結句思えば、開かれていて学べるということに於いては自己主張すら個性として受け入れられるのだ
それはもしかすると大学や、学校の一番決まりきってない、それぞれの学び方にあるかなと思った