マダムが中学生の頃、もう数十年も前・・・海外がまだ遠い異国であった頃です。

それでも海外にあこがれている少年少女たちは「海外文通」・・(文通なんで死語かな?)で好奇心を満たしたものでした。

マダムも例外ではありません。

本屋さんで「海外文通のあんちょこ」を買って、
「わたしの名前は___です。日本人です。髪は黒くて・・・趣味は・・」

のような事をそっくりまねて書いて、ペンパルクラブ(?)のような協会を通して文通相手を探してもらったような気がします。

そしてイギリス人の男の子とセイロンと呼ばれていた頃のスリランカの女の子と文通を始めたわけです。

数行のたどたどしい英語の手紙でもイギリス人の男子もセイロンの女子も長い返事を書いてきてくれました。

イギリスの男子の名前はマーチン、お人形を送ってもらった記憶があります。お返しに何か送ったと思うのですが覚えてはいません。

セイロンの女の子からはお茶、私からはストッキングを送った記憶があります。

ただとにかくこちらの英語力が弱い・・・あんちょこの内容も底をつき何を書いていいかわからなくなり・・・数回の手紙の交換で終わったような気がします。(ちなみにこの手紙は自分では訳せないので明治生まれの祖父が訳してくれました。だからもしかしたらずいぶん誤訳もあったかもね。)

たぶんこの頃から海外への憧れが芽生えていたのでしょう。。。その後のことを考えると、海外生活と日本の生活が半々になっていったのですから・・・夢をみることって実現へ一歩って本当ですね。

インターネットで世界中の人たちとオンタイムでコミュニケーションが可能になりましたね。
海外ペンパルなんていう言葉も「?」でしょう。

でも今でも、赤と青の海外手紙の封筒で郵便受けに入っていたときのワクワク感は宝物としてずっと記憶に残っています。