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今日、新渡戸稲造の「武士道」を読む会というものに、初めて参加をさせていただきました。
マダム恥ずかしながら、この本は、ぱらぱらとめくるぐらいで、読んだことはありません。あわてて、今日お勉強する章を読んで、参加したのですが、案の定、おっちょこちょいのマダムは、読むべき章を間違い・・・ただ黙って皆様のお話を聞いていました。

新渡戸稲造先生が、約110年ほど前、英語で書いた文章を(武士道(英文)1900年発行)
を、約70年前に矢内忠雄先生が訳された格調高い訳文です。現在の自分の生活や社会などと比較しながら、疑問や、意見を語らいながらの交流会です。(1938年に日本語訳)

場違い場な会に参加してしまった、と思うものの、リーダーの先生が、わかりやすく、ざっくばらんに説明をしてくださるので、マダムでもどうにかついていくことができました。

そんな中で、感じ入ったことがありました。

キリスト教的な結婚観の「一心同体」と日本的な「一心同体」とは意味が異なると言うことです。

新渡戸稲造自身アメリカ夫人と結婚していたわけですから、アメリカと自身の育った日本を比較していると思うのが自然と思います。

日本男性が妻を「愚妻」と呼ぶことに対して面白い意見を述べています。

以下、「武士道」新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳 岩波文庫からの抜粋です。
-――
わが国民の結婚観はある点において、いわゆるキリスト教徒より進んでいるのではないかと思われる。日本人が妻を軽蔑し「荊妻」などと呼ぶをみて、妻を軽蔑し尊敬せざるもの(西洋から)となす皮相の見解がなされるが、それはもし、夫婦が一心同体であるならば、自分の半身を他人に、――善し悪しきは別として-愛らしいとか、聡明だとか言うのは、不合理に響く。自分自身のことを「聡明な私」とか「私の愛らしい性質」と呼ぶのはよい趣味であろうか。われわれは自分の妻をほめるのは自分自身の一部を誉めると考える‐―と述べています。

なるほど、そういう考えもあるのかと、マダムは深く思い知ったのです。
今まで、自分の妻を「愚妻」とよぶ習慣は単純に「よくない」と思っていたからです。
そんなに単純なことではなかったのですね・・・

ただこの読書会のリーダーである先生の奥様もアメリカ夫人、「妻のことを愚妻などと言ったら追い出されます。」と笑っておられましたが。。。にひひ



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