与謝蕪村
中学の同窓会があり、数十年ぶりに会う多くの同窓生に会え、楽しい時間を過ごすことができました。その時、よく交わされた会話は「--ちゃん、お母さんそっくり・・」あの子もこの子も記憶に残っている、お母さん似になっているわけです。よく考えれば、私たちが中学生であったときの母親達は40代始め、あるいは、私の母のように30代であったはずで、現在の私たちの方が年齢をかさねています。にもかかわらず、イメージは当時の母親たちのほうが、現在の自分たちよりも年とっている(落ち着いている)感じなのです。
思えば、夏目漱石 49才没 野口英世 52才没これらの偉人たちは、ずいぶん若いうちに亡くなっているのですね。(もっと年とってるような気がしていました。)
単純に、自分たちが子供で相手は成人だったということかもしれないけれど。なにか腑に落ちません。
そんなことを考えていたら、興味深い記事が1月10日の経済新聞の夕刊に載っていました。
「芭蕉は41歳で野晒し紀行に出、51才で亡くなりました。今からみると、どんな年齢に対応するかというと、平均寿命が縄文時代31歳 弥生時代30歳、古墳時代30歳、室町時代33歳、江戸時代45歳、明治時代43歳、大正時代45歳、 昭和10年 男47歳、女50歳。人生を平均寿命に比例すると考えれば、芭蕉がなくなった51才は現代人にとっては87歳ぐらいだ。ですから後期高齢である私(著者)は、後期高齢はまさに最も活躍すべき年代であることを芭蕉は教えてくれているようにみえる」そうです。
「平均寿命と比較として」という説明は理解できますが、当時も今も、人がこの世で生きた時間は同じわけですから、どの時代の人も、月日の過ぎ去るのは本当に早いと感じていると思います。平均寿命まで生きることができるなんて保証は、どこにもないのに、知らず知らずに「平均寿命まで生きることができるはず」と妄想し、毎日を生活しているように思います。
芸術家の岡本太郎氏の言葉に、
「いくつになったらとかね、そういう考え方が人間を堕落させるんだよ」という言葉があります。
やっぱり、与えられた時間の中で、いかに濃く生きていくかなるわけですが、濃い時間というのは、けっして特別なことをするのではなく、与えられた一時一時を大事にすることだと思います。(理想ですが・・怠惰な私にはこれが本当に難しい・・)
寿命が50歳代の時代、仮に成人になるまでの18年間かかるとすれば、成人になるまで人生の約36%とかかることになります。寿命が80歳代の今なら、成人になるまでに28年かかるということになります。そう考えると、私たちいい大人(自分も含めて)の行動や思考が昔の人に比べるとやけに幼く思えるのも納得できる気がします。
ところで聖書の世界では、300歳、600歳、などの人がざらに出てきます。1年の単位がちがうのでしょうか?(例えば、12ヶ月でなく、3ヶ月で1年とか・・・)様々な説があります。でも300年も400年も寿命があったら・・?どうしましょう。