「総合的判断」ここで終わると確実に笑われます。
※このご時世、どなたの発言かはすぐわかりますよね。
普通の会社のトップが言ったら、、、まず許されません。着いていきません。
とある会議で社員が言ったら
「あなたは、何をどう読み取って、そう判断したの?」って
聞かれます。
この一点は課題が残ってますが、いついつまでに解消されるように調整済みです。
その間にリリースされる分については、課題が顕在化することは、こんな理由で
限りなくゼロです。
と。ぐらい付け加えないと、組織は動きません。
あとは、正直に、「わかりません」という。
いい組織では、嘘よりも、「分かりません」が組織の衆知を集めることになります。
こんな見方はできないか?
過去のデータではどう?類似の商品なかったか?
最後は、「分かった。顧客へのリスクについて説明をして、問題があれば後日交換する
からと納得、了承得られないか? 不安な顧客には商品交換を保証すると。
きっちりと件名を管理するように。」
ここまで言うと、言ったトップの責任の元、全員行動に移ります。
何か、問題があったら、ここの判断ストーリーが大事なんです。
振り返って、ここの判断間違ってたよね。
この点だけは確認しないとだめだね。と。
この積み重ねが組織を強くするんですね。
私の所属する組織では、「分かりません」と、いうと、
嘘でもいいから理屈を立ててみてと言われます。
一番理解している人間が、まったくわからないではないでしょ。
おぼろげにでも、何かを見て、感じて判断してるはず。
出てきたものをみんなで、議論して判断しよ。
そうしないと、あなた個人の責任になってしまう。
それはお互いに不幸だと。
みんなで決めたら、あとは、トップが責任を持ち、組織の責任になるから。
地道な行動ですが、ある種、組織の文化なんでしょうね。