コロナ禍での生活が2年半を経過し、『Withコロナ』へ移行。
もやもやする日々。
感染者の数は今までになく多い。日々、亡くなる人も…。
テレビでもネットでも、
「医療が逼迫しています」とニュースを伝えた後に
「観光地の賑わい」「お祭り」を伝える。
その時の枕詞は、「十分な感染対策をとりながら…」。
十分な感染対策って?
手指消毒、黙食、控室でのマスクなしでの会話の規制。
お祭りでお神輿・やまをかく、踊る。
『密』以外の何物でもない。マスクもしている様子もない。
今の所、一般的に言われるマスクをしなくても安全な状況とは遠いような…。
学校での部活動、登下校は、熱中症対策のため活動中はマスクははずして、十分な距離をとって…。
実際には「十分な距離をとって」はどこへやら。
この時期は一生に一度しかない。お祭りを中止すると伝統の継承ができない。
経済活動が滞れば、別の犠牲者がでる。
どれもその通りである。その事に異論はない。
『高齢者や基礎疾患のある人を守ろう』
政府・自治体・マスコミ・ネット、どこでもスローガンのように言われている言葉。
いくら対象者の周りの人だけが気をつけてもどうにもならない。
人の活動はみんなつながっている。
『私は、大丈夫』そう思っているあなた。
ひとりを起点に次の次の次に感染した人が、たいへんな事になるかもしれない。
コロナ以外の病気やケガでも、元をたどれば、ひとりが起点で大変な事になるかもしれない。
今よりもっと想像力を広げて考えて欲しい。
昨年7月コロナ禍の中、母が3カ月の入院のすえ亡くなった。
コロナではなく、寿命である。
ただ、入院後、面会出来たのは亡くなる前の僅かな時間だった。
私の事を認識できたか否かは確信が持てない。
私は、病院の計らいで会うことができたが、顔を見る事すら出来なかった方も…。
仕方がない事と分かっていても、最後に意思の疎通ができなかった事が心残りだ。
きっと、「もう少し…」と、多くの人が同じ思いを抱いたに違いない。
何もかも「あきらめて」とは思わない。
間接的にでも、本当にひとに苦しい思いをさせたり、悲しませたりすることはないのか?
どうのようにすれば、苦しみ・悲しみを生まないのか?
行動する前に、少し立ち止まって考えて、工夫して欲しい。
そして、政府も自治体も専門家の方々も、自分の立場だけでなく、
よく検討して指針をはっきりさせていただきたい。
正解はないけど、皆どこかで迷っている。
誰もが今より少しづつ人を思いやることで、
この窮地を少しでも早く脱することが出来ると私は信じたい。
人はみんなつながっている。嬉しい思いも、悲しい思いも、楽しい思いも…。