なんて殺伐とした内容のメールなんだ!!
日ごろ案件を受注するときに必ず行うことがある。
当たり前のことなんだけれど
その当たり前のことを行わないまま業務依頼をされることもある。
そんなときにもお願いしてまずは必ず一度は顔を見て打ち合わせを行う。
なんでもないことだけどとても大切にしている。
顔を見ると、まず7、8割方は相手のことがなんとなくわかる。
いやな予感がするときもあれば素敵な人柄にワクワクすることもある。
相手も同じように自分に対して何かしらの感想を持っているんだろう。
私はIT業界で働いているけれど、とかくメールでのやり取りが多い。
メールでのやりとりは時にとても殺伐とした感じになる。
用件が伝わりやすくするために、論理的な記述をすることが多いからか。
考え方をロジカルにすることは大切だけど
すべてそのまま文面にすればよいというもんじゃあない。
たとえ感情が先走ってしまったとしても曲がって伝われば本末転倒じゃないか。
そこで生まれてしまう誤解はなんだかやっかいなことになったりする。
そんなとき一度でも顔をみて話をしたことがあると
お互いの人となりが想像できて誤解なんだなぁと思えたりするもんだ。
だがしかし、、、
時としてこんな風にはいかないこともあるもんだなぁ。
こんなの久しぶり。
たったひとつのメールに血圧が無茶苦茶上昇しているのを感じる、、。
特に自分にはCCでチームメンバ宛だったりするとあまりの怒りに倒れそうになる。
自分宛のものは意外にも冷静に受け取れるもんだからね。
少し時間をおいて冷静になればプラスに考えられる自分に戻れるんだけど。
直後はいかん、、、

早く顔をみて話さなきゃ。
そう、明後日、明後日。
ご近所は猫がいっぱい。
住居の近隣に猫の親子が数組。
おそらくどこかのおうちの猫っていうわけではない。
真夏の暑いときにはご近所の軒下日陰でゴロゴロ。
大雨のときにはうちのマンションの階段下でゴロゴロ。
わ~い!!かわいいなぁ。
近寄るんだけどさすがになかなか触らせてくれない。
門をくぐっていろんなところに出入りする姿が見える。
地域猫っていうわけではないのかもしれないけれど
ご近所さんは猫の出入りを快諾しているみたい。
猫たちの動きはまさに自由、自由、自由。
近辺まだわからないことだれけの土地なんだけど
なんとなくよい処なんじゃないかなぁと思わせてくれる日常の風景。
本。
仕事で必要な本。
私事で読みたい本。
子供のころから本は大切な友達。
本さえ持たせておけばご機嫌に過ごしていたと母は言う。
図書館、本屋、兄のおさがり、古本屋街、図書館でもらえるリサイクル本。
気づけば周りは本だらけ。
私の小さな世界を何倍にも広げてくれる本にはいつも感謝している。
以前は本とは直接出会っていた。
出会いは貴重なので気になった本は即決、直接持ち帰っていた。
ところが今はネットで注文することが多くなった。
直接出会っていたころの自分と比較してずいぶん変わってしまった。
「気になる本」を「あとで買うリスト」みたいなものに入れる。
そのまま買わないときもあるし、あるとき大量に買い込むことも。
本の内容もわからなければ直接的な重さもわからずに買う。
主観だということはわかっていながらも
買うときに読者レビューをついついみちゃう。
直接出会っていたときは内容以外の面では断然装丁重視。
紙質や素材感もわからないままネットで購入したものの多くは
なぜだか「積読」になってしまいがち。
実際、買ったまま読んでいない本もあるのよね。
以前ではそんなこと考えられなかったのだけど。
こんな生活になってしまった今
しまいには電子書籍なるものまで登場してきた。
ページを手でめくっていく段階で、あぁあと少ししかページがない、
という何とも言えぬ寂しさを味わうこともできないだろう。
便利さの代償はあまりにも大きいと感じてしまう。
これからはやはり本は直接手にとって持ち帰ることにしたい。