忘却曲線 -6ページ目

愛あるツールの使い方。

 
先週の仕事で、気になることがあった。
関係者(お客様)からみるとさほど気にすることではないようだけど
意外と気にし屋な私の様子を見て心配してくれていたみたい。
 
今朝届いた一通のメール。
そのこととはまったく関係のない文脈なのだけど
ものすごく励まされ、元気の出る内容だった。
きっと気遣いしてくださったのだと思う。
 
1人で行う作業も多い仕事だし、そもそも個人事業主。
仕事内容によっては、ものすごく孤独になりがちなことある。
だが、不思議と会社員で働いていたときよりも孤独に感じることは少ない。
きっと、いつも気遣いしてくれる仲間やお客様のおかげなのだ。
 
やさしい気持ちに心から感謝。
 
メールで業務連絡を取るようになって久しいが
こういうときは、特段急ぎの用がないのに電話をかけるより
メールは気楽に出せるのかもしれない。
メールでのコミュニケーションは賛否両論があるけれど
今の時代、当たり前に使われるようになった背景には
単なる利便性だけではなくって、
こういう心理的な何かもきっと影響しているのだと感じる。
 
誰にでも使うことができるツールも、使い方によって
 
武器になったり・・・
愛になったり・・・
 
なのだな。
 
 
 
 
 
 

切り替え日。

 
12月からしばらく
一つの顧客先で業務支援をする日々が続いた。
まだ終わりではなくて、
それはそれで心配なのだ。

しかし、今週途中からは別の仕事。
いろいろ切り替えなきゃ!
少し、うーん、かなり、焦りがあるのだろう
なんだか私はそわそわしていて落ち着かない。

昔からあまり器用なほうではなく、
一日にたくさんの種類のことを元気にこなすのが難しい。
 
今のことからなかなか頭や気持ちが抜け出せない感じで
頭や気持ちの切り替えに人一倍時間がかかってしまう。
やっかいだと思うこともあるけれど、これも自分。

切り替えの方法はいくつかあるけれど
一定時間は仕事を頭から放り投げて
家事にいそしむというのが、定番。
家事にいそしむといっても、
理想的な完璧な家事をするということでもない。

基本的には私のスペースのこと。
ダラダラしてたことを一度リセットするのも重要みたい。
 
植物に愛情を注いだり
季節の飾り物をしたり
延び延びになっているクローゼットの衣替えをしたり
期限を延長して使っているブリタのカートリッジを替えたり
友達に手紙を書いたり
ラジオのリスナーとして反応したり
冷蔵庫の中を整理したり
ひたすら料理をしたり
今回は、そんな感じ。
 
↓ 顧客先のお弁当に入ってきた小さな春を持ち帰ってきた
 
↓ 風なしピーカンお日さまにキノコを広げてみた
 
そして一番は
切り替えのために勇気をもって日程を開けること。
なんやかや難しいことなのだろうけど、私はこれを大切にしている。
今やりかけの仕事に関して心配ごともあり、かなり勇気がいった。
でもよかったんだと思う。
 
そんなわがままを理解してくれるお客様に感謝したい。
 
さあ、この時間から次の仕事に向けて走りたいと思う。
 
 
 
 
 
 
 

自然な流れがいい。

 

たとえば、

仕事があふれかえっている人がすぐ傍にいたとして

自分が何か手助けできる状態だったとする。

 

それは物語の中の小人さんのお仕事のように

「細かな作業ではあるけれど、難易度も普通。

たくさん作業できる人がいると一気にはかどります」

といった仕事だったとする。

 

じゃあ、手分けして終わらせてしまいましょう!

 

と仕事の一部分をおすそ分けしてもらって作業を行う。

 

それは私や周りの多くの人にとってはとても自然な流れであり

誰かに命令されたから気づいた、ということもほとんどなく、

その一粒一粒に関して誰かにOKをもらわないと手助けできない

といった環境でもなく、

与えられた時間配分やこまかな作業内容に関しては

比較的自由度が高い。

 

特別にいい人ということでもなくて

ただ単に見て見ぬふりはできない、衝動的な行動ともいえる。

 

そして、成果として大きな仕事も、

細かな仕事の積み重ねで、よりよい成果を得られることが多い。

 

そんなこともあり、

単に手助けをしている、ということではなく

結果的には目指している大きな成果に繋がることがほとんどなのだ。

 

私生活ではほとんど感じることはないのだけれど、

仕事をしていると、ときおり、ものすごく居心地が悪い瞬間がある。

 

日ごろはなんともないようなのだけど

あるとき突然、感情の何かにふれてしまったのか

そういった人の行動に集中的に不満をぶつける人物がいる。

あるとき突然、年に4回位は事件が発生する。

私の周りではたった一人なのだけど、大変困ってしまう。

みんなが同じ作業をしているのに、自分はしていないので

どうも、自分ひとりが疎外されている気分になってしまうようだ。

 

もちろん、周りにそんな気持ちは一ミリもない。

しかも、掘り下げていくと、その作業は本人はできないという。

難易度の問題ではなく、やりたくないということなのだと思う。

 

どうすればいいのだ?

事件がおこってしまうと、大変困った感情になびかれてしまう。

それはなぜなのだろう?と考えてみた。

 

人として好き嫌いの感情を特別に高く持っているわけではないが

仕事をしていく上ではとても困った人だと思ってしまう。

 

その人は、あふれかえった仕事を抱えている人がすぐ隣にいても

なぜだかまったく気づかない。

悪いことに、そこにもちろん悪意はない。

なので、まったくもって自然な流れで自分のことだけに集中する。

 

逆に、仕事場の多くの人は

まったく自然な流れで隣の人の様子が気になってしまう。

 

互いに自然な流れで行うことは気持ちがよいのだと思うのだけど

事件が起こると、それができなくなってしまう。

すべてのことを行う前に、逐一たった一人の顔色を伺い

何か言うべき言葉をさがす時間が必要になる。

そして、それを口で言葉にするだけではなく

そのために新しい情報共有ツールまで使おうと言い出す。

面前のコミュニケーションが取れないのに

何がツールだ、ちゃんちゃら可笑しい

と、私は思う。

そんなこんな、感覚的にはその人が飽きるまでの間

なんだか不自然な仕事の進め方となってしまいがちである。

 

 

じゃあ、その一人は、

自分の自然な流れに逆らっている私たちの行動が影響するか?

というと、感情なのか状態なのか、私にはわからないけれど

年に4回位以外は、他人のことはまったく目に入らないので

その4回位のときだけ自然な流れじゃない何かに気づくのか。

そして事件発生。

 

う~ん、互いに自然な流れがいい。

ということはよくわかったけれど

不自然になっちゃうタイミングとか影響を考えると

なんだかちょっとどうにかならないものかと思ってしまう。

でもきっと、どうにもならない。

人は難しい。

 

 

この3日間はストレス全開の日々。

そろそろご機嫌に仕事したい~。