先輩との再会。
先週、十数年ぶりに先輩と再会した。
とっても久しぶりというのは再会前から痛感。
手土産を選ぼうにも先輩が何が好きだったのかとか、よく覚えていない。
つまんないことはたくさん覚えてるんだけど。。。
結局、少し高価なお茶をお供にお宅へ伺った。
商店建築の建築・デザイン会社に勤めていた私たち。
女性は他にいないため、あらゆる雑務的なことが回ってくる。
ありきたりかもしれないけれど(今の世はそうでもないのか?)
お茶出しとか掃除とか、そういうことかな。
買出しもそのひとつ。
先輩はとってもいいお茶(←味・値段とも)を当たり前に買っていた。
バブル崩壊後で会社の景気は芳しくない。
そんな中、お茶のランクを落とそうか・・・と躊躇していた私に一喝。
お茶は必ず、ソレ(いいお茶)を買うようにとの指令が。
先日、そのときの話をしていたのだけど。
当時も同じことを話したなぁって思い出した。
建築の仕事は事務所で施主と打合せをすることが多い。
そうして何度も何度も打合せをする中で
建築物が出来上がるのと同じように信頼関係も出来上がる。
お茶がおいしいと「いい会社」に思える、と。
そこは先輩のこだわりが強かったところ。
施主は、これからその建築物に住んだりあるいはお店を始めたりする。
事務所に来られた際においしいお茶でお出迎えしたい。
相談事に立ち寄ろうか悩んだとき、近くを通りかかったとき
「お茶を飲みに行こう」と思ってもらいたい。
よく「お茶、おいしいですね」といわれたもんだ。
社交辞令かな?と思うこともあったけれど、おそらく本当においしかったのだと思う。
その後、私も色んな会社を訪問することになる。
確かにおいしいお茶が出てくるところってとっても印象に残る。
思わず「おいしい」と言ってしまう。
そんなお茶談義も少ししながら
互いの近況報告であっという間に時間が過ぎていった。
先輩、変わらなかったな~。
私のことはほとんど何も聞かない。
先輩のことは沢山話してくれた。
「あなたの顔を見ればどんな年月を送ってきたのかわかるわ ^^」と。
終始、先輩のペ~~~~ス ^^
タイムリーすぎる先輩からの連絡。
先日「若かりし頃の自分を知る先輩に今聞いてみたいこと」
を思ったりしていた。
気持ちは通じるものなのだろうか。
昨日、突然大好きな大好きな先輩から電話がかかってきた。
15年間、まったく会うことがなく年賀状でのご挨拶だけだった。
今年は年賀状に携帯電話番号を書いてみたのだった。
一緒に働いているころは携帯電話なんてなかったもんな~。
昨年の年賀状に突然「電話番号を教えて」とメッセージが。
で、今年の年賀状に書いたのだ。
明るく豪快で表裏がまったく無い。
情が深く、一番嫌いなことは陰口。
潔く颯爽と街を闊歩する姿に惚れ惚れしたもんだ。
徒歩60分程度(地下鉄の駅でいうと5~6駅)は平気で歩いちゃう。
電話の奥から聞こえてくる声は隣家にも聞こえるんじゃない?
というほどの元気さ。
私の知る大好きな先輩とイチミリも変わらない印象がそこにはあった。
嬉しくて泣けてきた。
芯の通った美しさと、変わらないことの素敵さを改めて感じた。
結局・・・
すっごく久しぶりなので互いの近況報告しようにも目の前の話だけで恐ろしいくらい時間が経っていた。
わりと近くに住んでいるわりには生きているうちには必ず会おうって感じだったんだけど、すぐに会わないとね。と。
電話番号を聞かれたわけ。
一昨年、先輩の友人が若くして亡くなったそうだ。
それで「こいつにもさっさと会わんといかん!万が一のことがあったらあの世で悔いてしまう」となったらしい。
先輩、ありがとね。
再会したらあの頃の私ってどんなだったか聞いてみようか。
でも先輩は「なに?いまさら?過去はいいのよ、今を大切にしなさい!」てなことを言うんだろうな。
そのときの姿がすべて想像つく 笑。
青年。
仕事で知り合った26歳の青年。
すごくしっかりしていて、驚かされることが多い。
とってもきちんとしていて、それでいて自然。
その立ち居振る舞いがなんとも素敵で
すっごく年下なんだけどとても尊敬している。
年末年始も無いほど業務は多忙を極めている様子。
しかし彼からは「忙しい」という言葉を聞いたことがない。
以下、彼からのメールを抜粋。
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物理的に時間を拘束されるものは別ですが…。
例えば100やるべき事があるとして、
1日10消化するキャパがあれば10日、20消化できれば5日と、
忙しく「なる」のも「する」のも自分次第なのかなぁ~なんて思ってます。
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なんだか立派だなぁって思ってしまった。
何が立派なのか?
といわれるとうまく説明できないのだけど、、、
とても冷静ってことかなぁ。
彼は優等生タイプってわけではないんだけど
メールを一部抜粋すると優等生っぽくなっちゃうなぁ。
これもまた不思議。
また、仕事中は「自分を出さない別人」になっているとも言う。
「本当の自分」は、もっと我が強いから大変なことになる、と。
私の前でもやはり「別人」なのだろうか。
う~む、私が26歳のころってどんなこと考えてたんだろう。
あまりよく覚えていない。
潜在的には同じようなこと思ってたのかな?
「こうなりたい」みたいなのはあったような気がする。
だけどもっとふにゃふにゃした部分が多かったと思うし
少し先の楽しみを見据えて爆発的に頑張ったりしてたような気がする。
今度、若い頃お世話になった先輩に聞いてみたい。