
新フリーペーパーの「笑う街」一応、創刊という形をとってはいますがまだまだ不十分な点が
たくさん残っています。
この「笑う街」では、記事は書かなくても大丈夫と言われつつ結局私も記事を書く事になりました。
それならば。。。と書いた記事がこれから紹介するお話です。
私、「風俗」って好きなんですよね。最近は「性風俗」が一般的に使われてしまうこの言葉ですが
「風俗」って生活習慣やしきたりやならわし、風習の事を指します。
「笑う街」は、ススキノ関連のフリーペーパーです。ターゲットは、30~50代くらいの
サラリーマンです。そんな訳で、ススキノに関する小ネタを一つ。
興味の無い方は、スルーして下さいね。
開拓時代の姦通罪 現在「姦通罪」というのは存在しない。もちろん、「姦通罪」の刑罰が存在しなくてもそれ相応のことをしている人たちは多々いるだろうが…。開拓期の北海道は女性が少なかった。そのため、男女をめぐるいさかいは多かったという。明治の頃、札幌の町はほとんどが丸太組みに草ぶきの家ばかりだった。この現状を見て当時、開拓判官の岩村道俊は草ぶき小屋を禁止し、そのかわり夫婦で家を建てたい者には家作料として百円を貸与することを決めた。夫婦で建てることが条件のため、独り者の男たちは他人の妻を借りて出頭し金を借りた。役人たちも大目に見たので家作料の支払額は瞬く間に巨額となった。それにもかかわらず草ぶき小屋は全く減らず、怒り心頭の岩村は「御用火事」と書いたのぼりを立てて草ぶき小屋に片っ端から火をつけて回ったという。 さて、姦通罪の話である。女性の少ないこの明治初期の開拓期では、独り者の男の性欲のはけぐちを見出すのも大変だったため、女房持ちがやってくると何かにつけて言い寄り中には夫の目を盗んで深い仲になるなどのトラブルも多かった。 「不義をやらかすとは断じて許せぬ」と岩村は、密通した男女を見せしめのために処罰した。その処罰とは、女は全裸のまま、四つん這いになり本庁前を歩き、男も全裸となりムチを手にして女を追うように歩かされたという。周囲の人間も「今日は「四つん這いがあるぞ!」」と面白がって見物していたというから、なにも娯楽のないこの地での興行のような感じだったのかもしれない。 岩村は、厳罰の一方で政府公認の売春つき飲み屋「東京楼」をススキノに建てた。これがススキノ遊郭の始まりとなり、ススキノの歓楽街への第一歩となったのである。のちに岩村は北海道長官となった。今の時代、若い人は「姦通」という言葉を知らない人もいると思います。
「姦通罪」がありながら、開拓団の男性を引きとめるための「遊郭」を作ると言うこの矛盾。
どれだけ北海道の開拓というのは、大変だったのかを知る一端にもなるような気がします。