寝る前に・・・乾杯♪ 戦う女起業家の真夜中の独り言

3月2日 父が永眠しました



1日の午後、いったん呼吸も止まりましたが

人工呼吸で 命を吹き返し 自己呼吸までもどり

東京に住む弟が駆けつけるのを 半日近く待ち

そして、その日があけるのをまち

引き潮とともに 旅立ちました



最後まで 苦しんで あがいて 息をしておりました





葬儀を無事終え、

後処理も少しずつ進め、

気が張った数日が 終わり、

こんなブログを書いていると、

じわじわと悲しさがこみ上げてくるのが不思議です




私がブログを書く一番の目的は

普段は 向き合ってゆっくりしゃべることのできない

私の子供たちに 

いつの日か 私の生き様を

わかってもらえたらなぁ~なんて

そんな想いですが



そういわれて、私が 父の生き様をわかっていたかというと

まったく知らなかった父の人生が

葬儀にお弔いにいらしてくださった人々の

その口から どくどくと あふれ出し

その父への誇りと 父の生き様の発見が

その場の悲しみや涙を押さえつけていた様な気がします



父の闘病生活 八年半

その間は ほとんどしゃべることも、立つことも、

食べることもまったくできませんでした



ただただ、目の動きで その感情を感じておりました



脳内出血で倒れた その八年半前も

いったん呼吸も止まり、命をつなぎとめていただいたことだけに

お医者様に感謝しました



その 八年半前、秋の真っ青な空を見て

空が青く澄み渡っていることさえが

悲しく感じたのを覚えています



体温があることだけに感謝しました

目の動きがあることだけに感謝しました




父が健常のころ

 離婚後の私の当惑状態を心配し

 よく言い争いにもなったものです



父が倒れたころから

父を安心させるために 起業し、走り続けた自分です

いつの日か 安心させてやらなければと


『サヨリ、よくやった』と 

父にほめてもらう事を その支えとして・・・




まだまだ あなたを 安心させてあげられる状態ではありませんが

「もう 大丈夫だよ ひとりで 頑張りなさい」



そういう想いで、父は最後まで 

一呼吸 息を吸うのも身体全身をひきつかせる 

その辛い苦しさのなかでも

父の精一杯の頑張りを見せてくれたのでしょう



小さいころ

3月28日生まれの私に 父は ずっと 言い続けてました

「お前は 誕生日も遅くて、背も小さくて、動作も鈍いのだから

なんでも 人の倍して それで 皆と同じなんだから」と・・・


宿題で 音読5回なら 10回読むまで 許してもらえませんでした



ワンマンで 大酒飲みで 仲間を集めて騒ぐのが好きで、泣き虫な父



常興院大海壽源居士


退職後、数年でしたが 

船を買って 瀬戸内海をクルーズして

皆で 船上で 真っ赤な顔して ビールを飲む父は

幸せそうでした



その 父に ぴったりの戒名をいただきました



火葬場で 父が 焼却炉に 入るとき

叔父達に お願いしました


「父の船出を 皆で 万歳して 送ってやって」と

にぎやかなことが好きな父でしたので・・・



「・・・・・万歳ぃ~!」の 声で 父は旅立ちました




そして 私は 大好きな


父に 乾杯ぃ~~~♪





くつ今日の嬉しかったことくつ

闘病中、父も身体障害者でした

娘の父親も 大病していまは身障者です


娘が 葬儀の翌日 学校で表彰されました

身障者のことを書いた

「人権作文」が校内で一人入選したとのことです



そうそうに父のご加護かもしれません



寝る前に・・・乾杯♪ 戦う女起業家の真夜中の独り言