gooブログが閉鎖になるというので、過去に書いたものを積んでこちらに引っ越してきました。

どうぞお見知りおきをよろしくお願いいたします。

引っ越しを終えた嬉しさで、ご挨拶がてら、以下に今年1月以来の投稿をいたします。

 

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いつの間にか、晩秋に差し掛かっている。

あわただしくも、やりたいことをやっている内に、齢をまた一つ重ねた。

 

やまちゃんが彼岸に行き、春になったある日、愛猫のジジが珍しく朝にパトロールに出かけた。

そして、いまだ帰ってこない。もう半年以上が経つ。

かつて、外に出たいと訴える彼の自由を奪うことを嫌い、僕らはガレージに開いた小窓の柵の一つを切り、彼が通れるようにガレージ側にタワーを置いた。

帰宅するか否かは賭けだったが、ジジは毎日出かけ、毎日帰った。深夜や明け方に窓から飛び降りる足音を聴くのが日課だった。

外に出る彼の背に、ヒロコさんは、ガレージに暮らすやまちゃんには優しくしてやってほしいと、よく言っていた。

 

コロナで途絶えたライブを再開したのが昨年の夏だった。

以来、週に二三度、夜に家を空けるようになり、それは彼なりに何かを感じざるを得ない日々だったのかもしれない。

そして、ついに意を決したのだろう。

 

 

ライブを終え帰宅すると、玄関で待っていたことが何度かあった。

名を呼び、急いでドアを開けた途端、かわいい鳴き声とともに足にすり寄られる喜びは、同時に、申し訳なさを掻き立てられるものでもあった。

 

帰ってこないことがあるという覚悟はしていた。それでも、目は家のそこここに彼を探し、耳は彼の声を戸外に探す。胸は共に生きた日々を鮮やかに映す。お節介にもスマートフォンまでも、時折ジジの特集を編んだから見ろと言ってくる。

会いたい。撫でたい。抱きあげたい。聴きたい。匂いたい。遊びたい。

心底に愛惜が堆積し続けている。

 

やまちゃんが元気だったころ、彼は一度玄関の前に座った。家に入りたいと言わんばかりだった。すりガラスを通してそう訴えていると感じた。

ドアを挟んで向かい合い、僕らは初めてもの言わぬ彼らの思いを感じ取り、ドアを挟んでいるから、彼らの思いを満たしてやれなかった。そんな皮肉を感じている。

否、正確には限界を感じている。何より、どうか赦してほしいと願っている。