“くそ雑魚の思想遊び ”

 「生長の家」(別名「きちがいの家」)の熊本大学教育学部小学校国語科(S58入学)出身の田中和子さん(日本青年協議会の田中和子氏というのは別人物なのかな。ジャーナリストとも紹介されていたが、もし本当だとしたら冗談にも程があるぞ。)、熊本県職員の藤川昭嗣君(まだ総務部税務課なのかな、また職場にFAX送ってやろうか?)、お元気ですか。お3人はまだ「生長の家」というインチキカルト宗教を信じて、「雑魚の思想遊び」をしているのかな?




「相手が悪いのは自分に悪い原因があるからだ。他人の悪を見ず、相手の神の子の実相を拝む」とかいったたわ言を今だにほざいているのかな?
 うぎゃうぎゃと喚いて、他人に自分の思想を押し付ける前に少しは自分が教えを守ろうね。こう言っても無駄か、宗教は人間を狂人にする道具だからな。狂人に何を言っても無駄だな。ほんと宗教は怖いね。


「生長の家」が何故インチキ宗教であり(新興宗教など全部インチキだが)つまりは3流哲学者(アカデミズム、哲学の世界では全く相手にされていないので「哲学者もどき」とでも言った方が正確かな)の谷口雅春がペテン師であるかということについて、述べていく。


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「人間神の子」といった実相論は、大乗仏教の特に法華経や本覚思想をデフォルメしたもの。「物質本来無し、現象無し」という思想は、クリスチャンサイエンスが説いているもので、谷口雅春のオリジナルではない。一元論はインドのシャンカラチャリヤが、より高遠な哲学を何世紀も前にその著書で詳述している。「想念は実現する」といった安易な信念成功主義はニューソートから採り入れた。(注:クリスチャンサイエンスは単なるキリスト教の一派に過ぎないし、ニューソートや成功哲学の類は、宗教みたいなものであり学問扱いされていない。)



「大宅壮一との対談から逃げ回っていたペテン師・谷口雅春」                  

   大宅壮一著『昭和怪物伝』より
 ――これまで新聞社や雑誌社で何度も彼との対談を計画したが、彼の方で応じて来なかった。しかし最近私は、生長の家の本部に足を運んで、彼の説教を聴いた。(中略)彼は当年62歳だが、頭髪は黒々として、顔にツヤがあり、気味が悪いほど若々しい。 話すことは書いているものとほとんど変わりがないが、話の中に時事問題を取り入れることがうまい。ユーモアがあってよく笑わせるが、セックスの問題を大胆に取り上げる。それがまた非常に受けているようだ。古谷綱武の離婚事件なども早速持ち出して、古谷は月収30万円で彼より多いが、決して幸福ではないといったようなことを言うのである。
 谷口に言わせると、彼は“1個の労働者”である。沢山な雑誌に毎月書かねばならぬし、月の内半分は講習会のために地方巡業をしなければならぬ。彼の書いたものの著作権は社会事業団の所有になっていて、印税は彼の懐に入ってこない。全国に80いくつの別荘もあるが、彼の名前にはなっていない。かように「資本主義の中にありながら共生主義でもあり、無所有主義でもあり、自由自在の境地」だと言っている。
 


 「教祖は1日やったらやめられない」
 
だが、これらの別荘は、誰でも使えるわけではない。彼が行くと、一番良い布団、食器を出して、一番良いご馳走をして下さるのである。送り迎えにも最新型のビューイックが彼専用に使われている。おそらく彼もしくはその家族の名義になっている財産は莫大なものだと思うが、仮にそんなものが全然なかったとしても、 日本人としての最上の生活がいつも待ちうけている点で、一流会社の社長も及ぶところではない。
 
 そればかりではない。彼にサービスする男女はすべて信者で、彼を心の拠り所として、神として崇めているのである。これはいくら金を出しても買えないものだ。“神様業”は一度味をしめたらやめられない点はここにある。別に積極的に悪いことをしなくても、人間の無知と盲点の存する限り、その上にあぐらをかいて居ればいいのである。一方で出て行くものがある代わりに、新しいカモもぞくぞくやってくる。



  大宅壮一全集『宗教を罵る』より 

――かかる「奇跡」が事実有り得るものならば、日本の悩みの種である「農村更正」問題もたちまち解消するのであろうし、莫大な費用をかけて消防設備をする必要もなくなる。第一、医者も病院も不用になり、人間は無病息災でいつまでも生きていることになる。この素晴らしい奇跡の恩恵に浴するにはどうすればよいかと言えば、谷口雅春の著書を読むなり、話を聞くなりして「我の置き換え」をすればよいというのだから笑わせる。こんな馬鹿げたことを書いた書物が公然と出版され、それを信じる者が次々に出てくるのだから、この世に詐欺師が後を絶たない訳だ。
 
 実際人間に、そういう能力が神から与えられているのなら、人類が発生して何千万年もの間、とっくにそれに気がついて、もっと違った文明を建設していたに違いない。 またこれまで谷口以外にもそれを悟って、この思想を普及する者も出たに違いない。そしてその思想が本当に正しいものならば、今頃は全人類がその思想によって動いていたろう。
 
 これに反してこの思想は、人類始まって以来谷口にして初めて悟りえたものとすれば、それこそ谷口は神に近い存在だということになる。ところが、この「類似神」は決して万能でないのである。私達は自分の身辺に「生長の家」に入って、病気が治らなかったばかりでなく、そのために医療を疎かにして生命を失った実例を無数に知っている。またそれが当たり前だと信じている。 もっとも、谷口らに言わせると、前に挙げたようなのは、こういうこともあるという 実例にすぎないのであって、誰もがそのとおりうまくいくことを保証するわけではない、と弁明するであろう。ここに手品の種が隠されているのである。彼らはこの手で巧みに法網を潜っているのだ。




“他の宗教を歪曲して紹介、引用”

「‥‥そこに『生長の家』があって、全ての宗教を一堂に和解せしめているというのが、我々の主張なのであります。」

 これは新しい宗教運動に共通した特色で、既成宗教が何千年、何百年もかかって固めている地盤へ割り込んでゆくには、一応、超宗派を標榜しないと損である。‥‥‥従って仏教ないしキリスト教の専門家的な立場からみれぱ、谷口の書くことがでたらめで、例えぱ越智道順氏がそれを批評して、「業の輪廻無明論、仏性の本体論といったものが至るところに飛び出し、怪しくも採用されている。特にそれが、近代科学によって証明されているのだが、仏教者は失礼ながらそれに徹するもの少なしと気炎をあげているあたり、やや児戯の観がある。谷口氏の博引傍証は、時に博学を示すつもりであっても、却って反対の結果を招くことがある。氏の仏教に対した偏したる引用の限りではこの反対の結果を招くものが多い」と述べている。

 キリスト教の専門家からも、やはり同様の非難を浴びているが、そんなことはどうだっていいのである。彼のお得意先はそういう専門家ではなくて、宗教のアマチュアである。そのアマチュアにわからせ、感心させる程度の知識を示せば充分だ。ちょうど夜店で法律相談の本を売る香具師が、紋つきの羽織を着て、生かじりの法律を振り回すようなもので、それ以上の正確な知識は、正確であればあるほど却って商売の邪魔になる。






 『哲学入門』(S23年刊、仮説社)三浦つとむ(在野の言語学者)著  より


「くだらぬ人間・谷口雅春」

――実は、私もあの団体の本部で仕事をしている講師を1人知っているんですよ。ほとんど1年中日本の各地を歩いて講演をしています。この人も自分の子供さんが病身だったので、いろいろなインチキ宗教に助けを求め、「ひとのみち」だ、なんだとあちらこちら調べた結果、「生長の家」の説くことが気に入ってここに落ち着き、後に講師になったのです。しかしこの人始め幹部たちは、信者ほど谷口を崇めてはいませんね。終戦直後、財産税の噂が立つと、早速、現金を物に替えようと10何万かで家を建てたりする人間ですから、陰では軽蔑されています。 その講師もこう言いました。「谷口がくだらぬ人間だということは私も知っています。 しかし彼の教えは正しいと思う。だから、私も講師をやっているのです」とね。
 
 しかし、谷口がくだらぬ人間であることを知っていながら幹部がその側を離れず、一灯園の西田天香さんに対する、人間らしからぬ態度にも目をつぶっていたり、幹部の「左派」である京都の石川貞子さんが私行を糾弾したり谷口の引退を要求したりしても耳を覆って知らん顔をしているというのは、やはりそこに物的な利害関係があるからですね。その講師が例え教えの正しからぬことを知ったとしても、良心の指図に従ってすぐ手を切れるかどうか、それはわかりませんよ。
 ――僕はまだ谷口の本を読んだことがないのですが、彼の言うように本を読んで病気が治る位なら、科学者が命懸けでバイキンを探したり、ペニシリンを研究したりする必要はないじゃありませんか。

――日本の神道もキリスト教もアメリカの心霊学も「生長の家」も根本的に同じ神懸かり哲学を持っているのですから、軍国主義華やかだった頃は「神代」を賛美して、古事記を自分の理論の中心に置き、天皇絶対論を事々に振り回していた谷口が、敗戦後いち早くキリスト教やアメリカ心霊学に看板を塗り替える芸当ができたのも実は何の不思議もない当然のことです。階級的立場も昔と今と何ら変化してはいません。戦争中は日本式の神懸かりの方が本や雑誌の売れ行きがいいし、また谷口の理論を間違いだといって反対するまともな人間や医師や科学者たちを、自分の説に反対するからにはお前は神を疑い国体を疑い天皇の生き神様であることを否定する非国民だ、と脅かして黙らせるという、極めて悪らつな手段としても利用したわけです。

 ――谷口が公職追放になったのも当り前ですね。今はアメリカ流行りだからキリスト教やアメリカ心霊学に転換しているとは、実に商売上手ですね。

 ――哲学的観念論や宗教がアヘンの役割を果たすことを実に端的に示している点で、社会のどういう種類の人間に奉仕しているかを露骨に物語っている点で、これはたいへん興味ある教えだと思います。戦争中も信者は随分多くて、先生――谷口のことをこう呼ぶのですが――は全国各地に講演して廻っていました。「天皇は、この宇宙の全ての『いのち』の創り主である神様の子孫、生き神様であって、絶対に負けない。諸君が苦しくても心を変えれば楽になるのであり、苦しいと思わず勝つ勝つと思えばこの心が戦局を左右して勝つのである」と必勝の信念を理論付けて説いていました。しかし戦いはますます不利になる。内情を知っている政治家たちは、もう日本も長いことはないなと感付いた。谷口の所にもこの連中からニュースが入っていたので、このまま今までのように必勝の信念を唱え続けていたのでは自分も滅亡だと、降伏の数ヵ月前この講演を止めてしまいました。ついに降伏は実現する。占領軍が上陸する。そこで「生長の家」もアメリカ流に看板を塗り替えて再出発しようということに決める。

 昔出した本も天皇の所だけ取ればよかろうし、「甘露の法雨」にはテの字も入っていないからGHQに睨まれもしなかろう――などと幹部は相談していましたが、収まらないのはつい先日まで谷口の「天皇絶対必勝論」を信じていた信者諸君です。全国の信者から続々と手厳しい抗議や不信の手紙が殺到しました。初めは谷口も言い訳のようなものを印刷して送っていましたが、後には「君子は豹変する」とはこのことだ、不思議はない、と大いに強心臓ぶりを発揮したのですから河内山そこのけのいい度胸でした。

――相当のインテリでこの「生長の家」に迷っている者がたくさん居るそうですね。正体を見みれば天理教や「ひとのみち」と大同小異のようですが、同じ神懸かりでも璽光さんなどは子供らしく馬鹿馬鹿しくて何か滑稽味があるに引き換え「生長の家」はあくまで科学的に作られた落し穴というような恐ろしい感じがしますね。




「ゴーストライターがいた疑い」
 それは、教主の谷口を始め、本や雑誌をこしらえたり企画を立てている幹部や、谷口の名前で文章を作っている連中が、その辺の邪教のように精神上の欠陥がある妄想狂患者と取り巻き連の集りではなくて、全て正常の人間であり、しかも大学程度の高等教育を受けて世間にも通じた教養ある年輩の人間ばかりだからです。左翼運動の転向者も関係していました。

 本部は「研究」機関としても立派な組織であって、日本はいうまでもなく全世界にわたって文献を集め、谷口の教説に役立ちそうなものは残らず体系に採り入れて、絶えずより新しく、ますます豊富なものにしているのです。何度も言うように神懸かり理論は全て根本原理が一致しているのですから、谷口の教えの「正しさ」を証明する文献は全世界に転がっているわけです。こういう事情を知らない人は、谷口がキリストや釈迦やヘーゲルやカントと肩を並べる大宗教家大学者で、あらゆる理論が谷口の偉大さを示していると買被ります。



 医学者の中村古峡氏は、谷口のことを「誇大妄想症」と断じているが、その氏の著である『迷信に陥るまで』には、「ある有力な新聞記者が、谷口雅春に『果たして君の本さえ読めば、君が大袈裟に吹聴しているごとく、病気が実際に治るのかい』と問うたところ、彼は頭を掻きながら『いや、あれは単に本を売り出すための方便に過ぎない。本を多く売るためには、先ず多くの人々を集めねばならぬ。多くの人々を集めるためには、何等かの方便を用いなければならぬ』と答えたさうな」と記されている。
要するに谷口雅春は、本を売るために「読めば病気が治る」と宣伝しただけのことで、実際にはそんなことはないと、自身が認めているのだ。つまり生長の家という教団は、単なる本の出版・販売を目的とする「営利団体」に過ぎないのだ。




生長の家の元本部講師で後に白光真宏会を開いた五井昌久氏はその著『宗教問答(正編)』の中で次のように谷口を批判している。

 ─教祖自らが教えを生活に現わせないことが、生長の家の教え自体に無理があることを如実に示している─
 生長の家だと、実相完全円満の人間が、どうしてこのような不完全な悪や不幸に満ちた人間世界を創ったのですか、の問に対して答えることが出来ません。谷口教祖は『悪は無いから、無い悪を探すことは出来ない』式の答をしているのですが、谷口教祖の実際言動、実際生活は、すべてを実相完全と拝み、誰れの悪をも認めない、という実相論を踏みはずすこと数段の生活言動をしているのです。その例は枚挙に暇はありません。教祖自らが教えを生活に現わせないのです。それは教えに無理があるということを如実に示しているのです。



谷口の孫である雅康氏は次のように谷口の娘である自身の母・恵美子氏の人間性を暴露している。

神宮前の通称「お山」でも恵美子お母さんは廊下を歩く時に窓の桟に人差し指を置き、埃の状態をいつも確認し「石垣さん、永田さん、汚れていますよ。雑巾を持っていらっしゃい。拭き掃除をやりなおしなさい。」更に、「全ての人に、事に、物に行き届くべしという事は隅々まで行き届かせると言う事なのよ。」と住み込みの教団職員を「お手伝いさん」代わりに使い、一切の家事もせず暗黒面の指摘を繰り返していました。こんな家庭が嫌で家を出ました。


 
 
“無限供給を唱える者に警戒せよ”

 生長の家の元本部講師で後に高橋信次氏に師事しその後「正法会」という宗教団体を開いた園頭広周氏は次のように述べている。
 
 『天と地とを結ぶ電話」(J・クレンショー著、谷口清超訳、昭和30年、日本教文社刊)という、アガシャという高級霊よりの霊界通信がある。米国のアガシャ教会には、 霊媒が高級霊からの通信を2200回にわたって記録したテープが膨大に存在し、テープレコーダーのなかった時代から通信があったというから、その量たるや想像を絶する。


 ここには、肉体は肉体の法則に順って大事にしなければならないと書かれているのであるが、生長の家が聖典としている『生命の実相』には「肉体本来なし、心で病気なしと思えば病気はなくなる」と、心だけを重視して、肉体の法則を無視している。だから、生長の家の会員は病気になると手当はせずに、医者にかかることを罪悪のように思い、心で「病気本来なし」と念じている内に病状が悪化して死ぬという例が多かった。ここでは肉体としての法則を大事にしなければならないと書いてあり、この本を正しいとして出版したのであるから、生長の家の「肉体本来なし」という教義は改めるべきであったと思うが改めてない。

 生長の家は無限供給の法則として「念ずれば反映する。繁栄しないのは念じ方が足りないからである」と教えている。ところが『天と地とを結ぶ電話』には、「無から有を生ずると説くニセ宗教家に注意せよ」と書いてあるのである。「ありがたくなくても、ありがとうございます、と言えばありがたくなる」と教えている。だから、ありがたくないことがあると、「ありがとうございます」と念仏みたいに唱えるのである。

「無限の供給がある」と祈れば必ず「無限の供給がある」という生長の家の教えの欠陥は、「足ることを知ったら安らかな心」で祈るということを教えていないことにある。だから生長の家の信者が熱心であるのは、信仰によって心をきれいにするのではなくて、自分の飽くなき欲望を達成したいということで一生懸命に時間をかけて祈っている人が多いのである。私はそれを「信仰を利用した欲望肥大症」と名付けていた。生長の家が教えている「無限供給の祈り」というのは間違っているのである。このことは、アガシャが、得られるべくもないものを、得られるかの如く説く宗教家に注意せよ」と、警告しているのはそのことである。」生長の家の教義と、生長の家が出版した『天と地を結ぶ電話』の中で説かれていることが相反すると言うのである。

 〝生長の家〟では、〝神が天地を創造されたのであり、人間は神の子であるから、神が何もないところから全ての物をつくられた創造の力を持っているのである〟と教える。ここが「正法」と少し違うところである。「正法」では、〝神が天地を創造された〟というが、人間がそのまま神の子として神が天地を創造された力を持つのではなくして、神が創造された法則によって、神が創造された物質を素材として魂の勉強をすることによって、そして永い輪廻転生の経験を通して「宇宙即我」「神と一体となる」と教えているから、「正法」を正しく学ぶ人は、〝生長の家〟や〝GLA〟のように、人間がすぐそのまま神になってしまうような思い上がりをする者は一人も出てこないなである。

〝生長の家〟では、〝神は何もないところからすべてのものを創られたのであるから、神の子人間も何もないところからすべてのものを創ることができる〟と教えているのである。

 私が鹿児島で生長の家の地方講師をしていた時である。宮崎にそれこそ情熱に燃えた私より少し年長の地方講師の人がいた。その人は、「自分は神の子であるから、神に無条件にお委せしているから、神が私を生かしていて下さるのであるから、神さまにお委せして置けば神様が生かして下さるのである。」といって、妻子があるのに仕事もやめて〝生長の家〟の祈り行を一生懸命やっていた。いくら祈ってみたって、お委せしたといってみたって、ご飯がみそ汁がぽかっと空中から出てくるわけでない。出てこないのはまだ自分が神に全托することが足りないからであるといって、仕事もせずに祈ってお委せばかりしているから、遂に奥さんは子供を連れて実家に帰った。

 祈っていても食事が空中から出てくるわけではないから腹が減ると近所の農家に行って食べさしてもらう。食べさしてもらってもお礼はいわないのである。全宇宙は神さまのものである。自分は神の子として神のものを引き継ぐ力がある。みんな神の子の自分のものである。自分のものを自分が食うのであるからなにもお礼をいう必要はないと考えているのである。欲しい物があればそれも自分の物と思って「もらっていくよ」といって平気で持ち去ってゆくのである。祈ることも徹底しているからその強い念力で少々位の病気は治してしまう。そして、自分だけが〝生長の家〟で〝神の子〟で、そうでない人は〝罪の子〟に見えてくるから、〝生長の家〟以外の人に対しては横柄になってくる。

 
 ここも〝生長の家〟と「正法」の違う点である。「正法」では、正法を勉強している人も、していない人もみな〝神の子〟に見えるが、〝生長の家〟では〝生長の家〟を信仰している人だけが〝神の子〟であって、〝生長の家〟でない人は皆〝罪の子〟に見えてくるのである。ついにその講師はその村にいられなくなってしまった。勿論、親兄弟や親戚からも見放されてしまった。

 魂の進歩向上がない内に、急激に神に全託するという心境になると、そこは神と、その神と直結していると信じている自分だけがあって周囲が見えなくなってくるのである。
           
 
 清超氏夫人恵美子氏は最初北海道の青年と結婚され、ほどなく離婚になった。「生長の家」では「夫が悪いのは妻が悪いからである。妻が夫の実相を見ないからだ。どんな悪い夫であっても、妻が夫の実相を見れば離婚にはならず、夫婦は円満になるのである。」と、説いているのであるが、そう説いている教祖の娘が、夫の実相を見ず、また谷口教祖は自分の娘を擁護して、その婿であった人の批判を月刊『生長の家』に公表された。この問題があった頃、私はまだ鹿児島の生長の家の一会員であり、どうも教えていることと実際とは違うという矛盾を感じたものであった。
 



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 後に谷口が出版屋の名目で新宗教を作った、いや事実は逆で、新宗教の名目で出版屋を始めたのも、決して偶然ではない。とにかく彼のファンがその後ぽつぽつ増えて、出版屋で食ってゆける見込みがついてきたらしい。そこでついに翻訳係の職を棒に振って昭和九年九月上京、同志二百六十三名に謀り、資本金二十五万円の株式組織で光明思想普及会というものを作って、彼の著書『生命の実相』の出版を始めたのである。

 この不景気に1サラリーマンの腕で二十五万円の金を集めることができたのだから、この一事をもってしても彼はありふれたセンチな宗教青年でないことがわかる。その後まもなくこの株式会社は七十五万円に増資し、続いて百万円になった。その新株一万二千がたちまち満株になったというから、まったく軍需そこのけの凄い景気である。(大宅壮一『宗教を罵る』)




 これは元神戸の1サラリーマンだった谷口雅春の個人雑誌を支持経営するために生まれた株式組織の発展したもので、昭和九年の九月、同志二百六十三名によって、資本金二十五万円で光明思想普及会を設立、十年に入って別に百万円の新会杜をつくり両者合併して現在は資本総額百二十五万円、四分の一払い込みになっている。社長は元陸軍主計総監辻村楠造、常務は元盛岡銀行にいた佐藤勝身、谷口はその顧問格だが、夫婦で約七千株をもち、最大の株主である。最初、「神様」は最低三割、うまくいけぱ五割の配当を保証すると言われたそうで、一咋年は二割の配当をした。ところが、あの企業がそんな利益の上がるはずはなく、たこ配くさいと言われ、非難が起こり、当局の目も光ったので、昨年度下半期は利益八千八百二十円、法定積み立金その他を控除した残り七千八百十二円、年五分の配当をしたそうだ。

 それにしても「本来物質はない」という思想を宣伝して、こんな利益が上がったのは、注目すべき現象である。全国千数百名の株主兼信者が信仰と欲得と二道かけて、血眼になって新しい信者を獲得した結果だということだが、なるほどうまいことを考えたものだ。谷口という男は企業家としても相当なもので、一般企業家は彼について大いに学ぷべきである。
                       (『経済マガジン』昭和十四年六月)



「物質無い無い教」の教祖は「お金有る有る」

 また現在の「生長の家」そのものは、まだ詐欺罪を構成するには至らないかもしれないが、同じ仲間によって計画された「日本理財協会」というモリス式の組織は、月に二、三割の配当を保証するといって一般から十五万円の金を集めたが、検挙されたときは現金は七万円ぐらいしかなかったという。それから「生長の家」白体の内部でも、しばしぱ紛争を繰り返し、近くは佐藤彬といって、ここの芸術、宣伝の方を一手に引きうけていた有力幹部が、谷口に反旗を翻して独立、伊藤証信の「無我の愛」一派と提携して、別に一派を開くことになったという。
 いくら「神想観」によっても「我の置き替え」によっても、この種の内紛はどうにもならぬらしい。結局人間の道は人間の道であって、それ以外に特別に変わった珍奇なものがあるように言い出すものがあれば、結局眉唾物で、詐欺あるいはそれに類するものと思えば間違いはない。「ひとのみち」教団の御木徳一は「お振り督え」を発明して、数年間に「私財百万円」をつくった。“物質はない”“肉体はない”その他「いろいろ無い無い教」の教祖谷口雅春は、現に資本金百二十五万円の株式会社の最大の株主であるという事実を忘れてはならぬ。
                            (『奥の奥』昭和十二年九月)





佐藤勝身
「先生(谷口雅春)は驚くべき言行不一致だ。乱離骨灰(めちゃめちゃになった様子。さんざん。)それでいてなんら恥じるところがない」

松本竣介( 谷口と交流があった昭和前中期の洋画家)
「(谷口雅春は)野狐の正体を現わす」





次は、生長の家の掲示板から


330 名前: 医師に質問 投稿日: 02/08/18 20:15
>>327
生長の家にも医師がいるけど彼らは馬鹿医師かい?



07 :名無しさん@3周年:04/02/18 15:4
 
 私の知り合いで信者のおばあさんがいました。死の半年前に入院して「肉体なし 病なし」と言っていました。看護婦さんは、気味悪がっていました。痴呆を発症したと思ったみたいです。
この人は、正直者のいい人でした。息子に自分の土地を勝手に売り飛ばされ自宅にいられなくなり、借家住まいの晩年でした。ちゃんと法的手段をとれば、土地も戻ってきたと思います。子供の実相を観ていたのでしょうが、現実を見ないと不幸になります。肉体なし、病なしも現実から目をそむけたのでは、幸福にはならないと思いました。このお婆さんが、幸福とはいえません。
息子さんは、まだ生きています。おばあさんは、元教師。私も絵を習いました。息子にきっと生命の教育を施したはずです。むなしい結果ですね。ほめる教育も当てになりません。
 入院先の病院長が、葬式を出しました。奇特な方です。彼も私同様、そこで絵を習っていました。院長の人間味に感動しました。信者でもないのにね。
 葬式には、1人の信者も来なかったですよ。生長の家には不幸な人が多いですよ。如何したものでしょうか?


2000/10/07(土) 15:22,
 まず、真理が分かっていない東京本部の飯野とかいうおっさん。偉そうに勘違いをしている。私は、以前 生長の家宇治別格本山という所に行ったことがある。そこには、地下に食堂があるのだが 利用時間をとっくに過ぎた頃、(私は利用時間内に入っていた。)5人くらいの集団で 生長の家東京本部の豚共が入ってきた。偉そうに、大声で話をしながら慌てる様子もなく、のろのろと歩いてくる そして、だらだらと話をしながら食べ始めた。一般の信者が急いで食べているのに、その馬鹿豚どもは、のろのろと食っているのだ
挙句の果てに、おかずが1人分足りない・・と大声で言い出した。 食堂には小学生の女の子もいて、その子の分も、食堂が閉まる前だったので無かったのだ。しかし、小学生の女の子は「仕方がないね。」と言って我慢していた。にもかかわらず、東京本部の馬鹿男 飯野~は 大声で「おかずを作って!!!」と食堂の人間に向かって発言していた。食堂の利用時間や、食堂で働く人の気持ちを考えているのか? はっきり言って、小学生の女の子の方が、職員に見えた。 これでは、どんなに谷口雅春の教えが素晴らしくても意味を持たない。
                    ↑   ↑  
 素晴らしい教えにはとても思えないが、そんなことは関係ないこと。例え素晴らしい真理であろうと「豚に真珠」という諺の方が紛れもない“真理”。




204 名前: 驚くべき実態 その一例 投稿日: 02/08/12 18:38
 私は「地方講師」の集まりがあるとかで連れて行ってもらったことがある。驚きました。「精神世界のこと、魂を磨くにはどうしたらよいか?」なんて話題はまったくなし! 一貫して話題にしていたのは、どうしたら組織の拡張ができるか、という話だけ。、信者を増やせ!冊子をもっと注文しろ!・・・こればっかり。

 結局、これが教団の向いている方向であって、「人類光明化」という看板とはしていることに随分開きがある、随分どころか正反対。
酷いもんですね~。 しかし、私が驚いたのは教化部長など幹部の行状ではない、彼らは本部から突付かれているので(所謂中間管理職の憂き目)そうせざるをえないのだから無理は無い。驚いたのはそこに集まった地方講師の面々で、誰一人 「こういうのっておかしくありません?」と疑問を投げかける人が居なかったという驚くべき事実。やはりカルトだから仕方が無いのかしら? こりゃーあかんわ! そう思ったのを今でも鮮明に覚えている。




【生長の家の実相観(神想観)の欠陥】

(1)実際問題としては、実相を現実に現わすことは実に至難なことである。

(2)偉い人間になったように思い上がり、高慢になる。

(3)反省なき偽善者(嘘つき)になり、正直に生きられなくなる。



 私は別に生長の家の教えのことを「自分だけが神の子だという教えだ」、とは言っていない。生長の家が「他人も神の子だ」と説いていることは、もちろん承知している。その上で批判しているのだ。だからこそ他人の欠点にやたら目が行くのだろう。
「あの人は、私と違って、神の子の自覚を得ていない。だからあんなふうなんだ」と見下す。

 他人の世話をする前に自分の欠点を直せ。いくら神想観やったって「自分のこういう欠点が改まりますように」なんて祈ったことないだろ。あるはずない。生長の家からはそういう教えが全く欠落しているから。念じるのは「自分は神の子だから完璧だ」という自己暗示。

こんな信仰やってて傲慢な人間にならない方が不思議だ。




 生長の家の考え方の特徴として「物事を良いように考える」ということや 「悪しき考えは光の前では消滅する」とか「欠点や悪行を指摘しない」なんてのがあるけれど、結局、こういうことを続けていると物事を屁理屈で別のことのように変換する癖がついてしまい、ついには自分自身の悪行を反省しないで、生長の家特殊変換でもって事実を変えてしまうから、罪の意識も無くなり「涼しい顔」を続けて行けるんでしょう。また周囲の人から「悪行の指摘」もされないからダブルで都合が良いことになり、ますます自分に甘い人間を大量生産してしまう。・・・これが生長に家の考え方の大きな弊害だと私は思うのです。




203 名前: 186さんへ 投稿日: 02/08/12 18:23
>>200

>宗教も何も知らない人の方が生き生きしていて、美しいなと思う今日この頃です。

仰るとおりだと思います。 そういう考えになることができてよかったですね。私の友人もすっかり今では生長の家から足を洗って、すがすがしい素敵な表情に生まれ変わりましたから、あなたの気持ちが分かります。


「人類光明化運動」なんて聞くと、使命感に燃えちゃって、その担い手になることは価値あることだと錯覚しちゃい、自分の意識レベルが上だとこれまた誤解する。 こうして傲慢さが知らず知らずの内に身についてしまうことを気がつくのは、あなたのように、一度遠ざかり、外から冷静に見つめることができた人だけが持つことのできる正しい目と私は思いますよ。

神様の波長に合った生き方をすればよいのであって、それは教団に属す必要なんてまったくない。全く無いどころか、現在の「看板と違う方向を向いている」偽者の教団とかかわりを持つべきではないと私は思います。



32 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 02/08/03 21:31
>31
‥‥従姉はずっと独身で、40前でやっと脱会したとたんに結婚できました・・・。






次は「本当の生長の家を伝え遺す信徒連合」が開設している『今昔物語』というサイトからです。

* “ノーベル哲学賞”ありとせば、開祖・谷口雅春先生の「唯神實相・生命の實相哲学」は、真っ先に“それに価するもの”でありましょう。多少、難しいでしょうが、最高のものをじっくりとお読み下さい。

──ノーベル文学賞には哲学が含まれているのはこの人達は知らないのでしょうか? 谷口哲学が世界最高のもの? この人たちは図書館に行っても児童書のコーナーの本しか読んだことがないのでしょうか?





130 名前: 名無しさん 投稿日: 2001/07/22(日) 01:41
生長の家には、謙虚に自分の欠点を見つめて直そうとする教えがない!「自分は神の子で本来完璧なはずだ」と自分に言い聞かせる宗教だ。 しかし人の欠点はやたら目につくようになる。 「あの人がああなのは自分の祈りが足りないからだ。あの人のためにもっと祈ろう」と考える。 祈りが足りないんじゃなくて、自分の態度が悪くて相手を怒らせているかもしれないというのに。 俺の知っている生長の家の信者は傲慢な人ばかりだ。 生長の家の教えを知れば、そうなってしまうのもわかる気がする。


:神も仏も名無しさん:2008/08/03(日) 15:11:11 ID:mByxhCf4
言葉で、感謝といって感謝できるなら苦労しない。そんな社会なら哲学も宗教も要らない。いい社会だよ。幸福といって幸福が来るのなら1年に3万人も自殺者もいないよ。この宗教は嘘だらけ、騙されないようにしましょう。言葉の力なんて暗示が関の山。世の中を変える力など無い。誇大妄想である。「無限力」も同じだ。「無限力」を持つハウス(生長の家)がつぶれかけの教団、信者は年寄りばかりなど死にかけの集団とはこれ如何?

まっ一言で言うと生長ハウスの辞書に反省という言葉がないと言うことだな 「反省」もそうだけど「責任」もないよ。ここって自己責任論説いてるんだけど、自分らの自己責任はどこ行ったんだろうか?

●病気が治るとハウスのおかげ、病気が治らないと本人のせい。
●成功するとハウスのおかげ、失敗すると本人のせい。
●幸せになるとハウスのおかげ、不幸になると本人のせい。

この教団の騙す手口は、まず、君たちは神の子だと、誉め殺し、それに乗れば、金をしこたま取られる仕組みになっています。
アムウェイと同じやり方なんだな。




329 :神も仏も名無しさん:2008/08/30(土) 23:43:17 ID:l15dZFBt
 自己資金400億円の企業が、600億円以上の転換社債、プラント債を発行し、「こんなやり方をしていたら大変なことになる」という忠告には、「うちは生長の家を信仰しているから暗い面は見ない」と言って聞く耳を持たない。
 
 和田スマイルなんて言いながら、従業員は奴隷並みの労働条件で働かせる。幹部は和田会長の怒声が怖くて粉飾した数字しか報告できない。その結果が日本流通業界未曾有の大倒産だった。 和田元会長は、破綻した後は失敗学などといって日中をまたにかけて活躍しているようだが、紙くずを掴まされた地元の中小零細企業の親父たちは皆、塗炭の苦しみを味わっている。晩年はせめて静かにしているのが人の道じゃないのか。

 ここだけの秘密だが、大陸で和田元会長は純金をメッキしたギラギラなベンツに乗っていた。とんでもねー成金丸出しの趣味だったが日本ではおとなしかったな。中国で大物として待遇されて、その結果が・・・。 香港に14億円の大豪邸を買い、それを日本のジャーナリストにあご足つきで取材させる。それが記載された雑誌をねたにハウス信者に紙くず同然になる転換社債を買わせた。

 ヤオハン絶頂の時、既に邦銀は「ヤオハンは危ない」という認識で一切の融資をしなかったから、自前で転換社債を発行するしかなかった。香港の邦銀関係者は早朝「神想観」への参加強要にうんざりしていた。


42 :神も仏も名無しさん :2010/10/14(木) 23:59:19 ID:rIcNPprY (1 回発言)
もしかして、静岡のスーパー「ヤオハン」か?すごかったな、あの時は。練成や講習会で和田社長はいつもひっぱりダコ、 もう会場の雰囲気も熱く、「ヤオハン」の発展も、生長の家の教えがあったればこそなんて雰囲気、それが会社が駄目になった途端、「ヤオハン」のヤの字も言わなくなったし、一番残念だったのは和田社長のお母さんNHKの朝のドラマ「おしん」のモデルだという人だったけれど、その人の本も置かなくなった。良い時は小判ザメのように貼り付き、駄目になったら潮の退きがこれまたスゴいよね。

 戦前戦中の「日本軍の進むところ宇宙の経綸が回る」、5人組みたいなこともやってて駄目になってマッカーサーが来たら手の平を返して「軍部の暴走ですよ、ありゃ」、進駐軍が帰りゃ「鬼畜米英、あれは正義の戦争だった」

 晴れた時に傘を貸すのじゃなく、雨降ってる時にこそ貸してあげるべき。幸運な人々の良い時代に付いて、傾いたら逃げ出す、実はあんたらが厄病神でしょう。他にも例えば(谷口雅春は)大本教も良い時にお世話になってて、 弾圧の空気が濃くなれば逃げ、そればかりでなく、 弾圧する方に味方して煽る、それが真の宗教家のすることか?





谷口雅春が宗教的天才?? 世渡りの天才の間違いでは?

89 :神も仏も名無しさん :2010/11/04(木) 02:22:51 ID:GAquKvXp (1 回発言)
 「生長の家」は宗教団体業ですね。説明しましょう。(谷口は)東京で女性とハメまくって孕ませて学生結婚しましたけれど、何をしてんだ!とパパンママンから関西に呼び戻されて一応、京都で働き口(大本教)を見つけた。 けれど弾圧される前に逃げて、あろうことか、お世話になって糊口を凌げた恩義も何処へやら、弾圧する側なんかについて、「宇宙の経綸が回る」とか煽って、そんな日本が負けて戦勝国の進駐軍GHQが入ってきたら「あの戦争は軍部の暴走だ。けしからん!」と手の平を返し、進駐軍が国に帰ると「あれは正義の戦争だった!鬼畜マッカーサーの野郎め!占領憲法なぞ作りやがって! ええい!まずは教育勅語の復活からだ!」と風見鶏。
 
 また他にも「婚前交渉はあかん!」とか「天地一切の万物と調和せよ」とか「世界平和」とか自分の事を棚に上げてアホぬかす人間がやる商売ですね、こういう業界です。決して自らの命を犠牲にしてまで民衆を救うものではありません。逆に割り箸がどうだとか周囲がやる行為ばかりを槍玉に挙げて責めます。 商売人は生き残らなければなりません。生き長らえてこそ儲けます。ほか「日本国万歳」「天皇陛下万歳」、 けれど税金は払いません。

 元の巣が弾圧されるのを見て元関係者なので、疑われ、追求の手があるときも「うちは、宗教団体ではない! 出版業だ!」とのたまい。
敗戦後 GHQの元で憲法が改正され弾圧する可能性のものがいなくなると、「文部省が宗教団体でいんじゃないかい?と向こうから言ってきた。」と主張してちゃっかり宗教法人取得。 変わり身が早く、処世に長けたお方です。