コンテストがあるようなので書いてみた。
恐らく、この本の読者は次のような感想を持つだろう。
多数派A:こんな人は会社の邪魔だ。クビにした方がいい。
→筆者も書いているように、誰でもこうなる可能性がある。
理不尽かもしれないけど、貴方がクビになっても仕方がない。
多数派B:へぇ~、大変だねぇ。でも給料もらえるんでしょ?
→飯さえ食えれば誇りはいらない派、は、確かに存在する。
意図的に罪を犯して刑務所で三食寝床付きを選ぶ人が存在するように。
しかし、仕事をしたいという願望や、才能を使いたい&伸ばしたい、
仕事で誇りを持ちたい、という人はどうすればいいのか?
少数派:私も社内失業者なので、この気持ちは痛いほどわかる。
私は少数派の「席はあるのに」何ももさせてもらえない歴は
10年を越え、既に40代だ。
そして、現在の私の仕事場は実に社内失業者を出しやすいところで
何人かの、私以外の社内失業者を見てきた。
社内失業は近年に始まったことではなく、
暴君上司が一人いれば、いかなる職場であっても簡単に社内失業が可能だ。
私が見たその暴君上司は、恐らく自己愛性人格障害を
煩っており、部下が不在の時期は睡眠薬が手放せない人だった。
部下がいる時期ならば、「部下に仕事を与えない事」自体を
睡眠薬の代わりとしていた。実にすさまじい人であった。
しかも、観察力が低いと、その事実(例えば仕事の重要な道具を
取り上げられているなど)を当事者以外見抜けないのである。
何せ、P146のように、一人1台のPCが与えられていれば、
屈辱に耐えながらも、仕事をしているように見せることが
可能なのである。例えそれがLANに未接続のPCであっても。
私自身、色々と手は打った。上司の上司に相談してみるとか、
一番偉い人に相談してみるとか。だが、無駄であった。
なぜなら、「上司の上司」や「一番偉い人」には
私や同僚を救う手近なメリットが存在しないからだ。
全体で見てプラスの業績が出る、という理想論は、実際の所
年上ほど、誰一人、まじめに考えていないのである。
会社の利より自分の利、これが年々染みついてしまうのである。
そのため、自分の利にわかりやすい形でつながるような
会社の利でないと、彼らは動かないのである。
高い理想を掲げ、やる気に燃えているのはいつも若者であり、
人材をつぶす快楽に溺れているのはいつも老人手前の人であった。
面白いことに、転職先に悩んでいる同僚の社内失業者に、
新しい職場探しを手伝っているのは、実のところ私なのである。
(私と違って、若い人ならば、まだ転職は可能である。)
問題は近年、筆者が書くように、ごく普通の職場でも
簡単に起こりえるようになってきている。
リーマンショックが与えた影響も少なくないだろう。
人材を育てる能力が無くなった影響も少なくないだろう。
しかし割を食うのはいつでも若い者である。
「若者のコミュニケーション能力が低い」
「仕事は自分でみつける物」という話は一般的だが、
それに併せて「年配者の横暴コミュニケーション能力は異常」
「不況時の仕事の見つけ方」などは
セットで検討されるべきだとは思うのだが、
前者はともかく、後者は
話題にすらあげない空気がそこかしこに立ちこめている。
まるで社会全体でスタンレー・ミルグラムの
実験を行っているかのように。
もしこのまま若者が育たなくても、自分自身があと数年で
逃げ切り退職すれば、その会社が倒産してもどうなっても
関係ないのだから、別段現状をあらためる必要もない。
例え、仕事場に「使えない」「使わない」人材を溜め込み、
利益を失っていても。あるいは、日本全体の国力を
削ぐ事になっていても。
この本を読んで感じた最大の悲しみは、無気力な人ではなく、むしろ
自分で何かを改良しよう、
などの行動力のある人、
独創性や経験を持った人、
アイデアをもっている人、
身の丈にあった
自信と誇りを持っている人……
こんな人たちが、合理的判断力の低下した上司の
毒牙に
かかって、過大なストレスで日夜苦しんでいる、という現実である。
上司が受け身人間ならば、こういう能動的な部下は、
敵にしか見えていないのかもしれない。
むしろ社内失業中の彼らは悲しいぐらいにマジメな人材であり、割り切って
「職場なんか見捨てて自分のために勉強しよう」等とは考えられないのである。
少なくとも、頂いただけの給与に見合う働きがしたいのである。
そのためむしろ罪悪感に押し潰れて、昼間なのに、暗闇の中で息を殺して、
無限時間の拷問を独房で受けているのである。
「仕事ができたから、出世して上司になる」という習慣が
既に間違えていて「人材マネージメントができる人が上司になる」と
ならない以上、この問題は根本的に解決しないのかもしれない。
なにせ、一番の問題を作り出しているのは、その上司なのだから。
私の職場は特殊なのか、
「仕事ができる人ほど、人を育てるのがヘタ」という事実は
ほぼ誰もが知っている職場である。
それでも、仕事ができる人が上司になる風習は、
未だ打破できていない。
「仕事ができる人には給与を与え、
人を育てるのが上手な人には管理職を与える」という解は
いつになったら来るのだろうか。
P263に4番バッターの話があるので触れるが、
天才級4番打者は、自分の後輩を天才級には育てられない。
例え血がつながった息子でも、二世は凡人である。
恐らく筆者は読むだろうし、筆者のインタビューに答えた
人たちも読むかもしれないから、年上風を吹かせて、
最後に少し書きたいことを書いてみよう。
P267「無能だからこうなった」等は、思わないで頂きたい。
あえて言うが、無能でも社内で仕事にありつけている人(A)は
ごまんと存在する。実に、沢山の実例を見てきた。
また、偶然上司が居なくなったので繰り上げで手に入れた
良いポストを「自分の力で手に入れたかのように」誇りに
思っている、という、「真の勘違いさん(B)」も少なからず存在する。
(A)(B)共に、運が良かったのだ。
実力はオマケ程度にしか影響していない。
認めにくいかもしれないが、社内失業の大きな要因の1つは
「運がなかった」のも含まれる。(「時代の流れ」も含んでいる。)
少なくとも人より学業成績が良かった人の場合や、
努力して、創造性も兼ね備えているならば、特に強く言いたい。
「無能だからこうなった」のとは断じて違う!
「運がなかった」か、あるいは「ニーズがあわなかった」のである。
あるいは前述の「上司」に問題がある場合が多いだろう。
決して、決して、今までの長い教育期間、苦しかった受験経験などを
帳消しにしてしまうような、自己卑下はしないほうがいい。
そんなのは、マイナスになるばかりで、プラスにはつながらない。
もし「誉れ」が欲しいなら、私があげよう。
無関係の私でよければ、今までの努力を評価し、賛辞の言葉を贈ろう。
もし誰からも「認められない」と思うなら、
無関係の私でよければ、その努力を認めよう。
窓もない明かりもない暗い倉庫に押し込められ
1日に1度、他人のためにポットに水を入れ、そして
7日に1度、今週の業務成果を尋ねられるだけの
仕事をしていた時期があった私で良ければ
あなたの人生を肯定し、認めよう。
現実以上に脳天気になることはおかしな事だが、
同様に、現実以下に考える事もないのだ。
長い目で見れば、先見性のない人は、
多かれ少なかれ、勝手にころんで自滅した。
なるべく大きなアンテナを持ち、しなやかに、したたかに、
人生を生き抜いて欲しい。暗闇の同志よ。
長い人生、これ以上の悲惨さを伴う苦痛は、多分存在しない。
現代のヨブ記である。
実際のところ、この大いなる絶望は、以前
私に自殺すら考えさせ始めた事があった。
が、どうせ死ぬならどこまで私の人生がすり切れ壊れるか、
あるいは逆転するかを見届けてから、笑って死のうと思った。
理性によって未来の栄光を決定できないとしても、
未来の栄光に賭けても失うものは何もないし、
むしろ生きることの意味が増すだろうから。
最後の方、偉そうですみません。
恐らく、この本の読者は次のような感想を持つだろう。
多数派A:こんな人は会社の邪魔だ。クビにした方がいい。
→筆者も書いているように、誰でもこうなる可能性がある。
理不尽かもしれないけど、貴方がクビになっても仕方がない。
多数派B:へぇ~、大変だねぇ。でも給料もらえるんでしょ?
→飯さえ食えれば誇りはいらない派、は、確かに存在する。
意図的に罪を犯して刑務所で三食寝床付きを選ぶ人が存在するように。
しかし、仕事をしたいという願望や、才能を使いたい&伸ばしたい、
仕事で誇りを持ちたい、という人はどうすればいいのか?
少数派:私も社内失業者なので、この気持ちは痛いほどわかる。
私は少数派の「席はあるのに」何ももさせてもらえない歴は
10年を越え、既に40代だ。
そして、現在の私の仕事場は実に社内失業者を出しやすいところで
何人かの、私以外の社内失業者を見てきた。
社内失業は近年に始まったことではなく、
暴君上司が一人いれば、いかなる職場であっても簡単に社内失業が可能だ。
私が見たその暴君上司は、恐らく自己愛性人格障害を
煩っており、部下が不在の時期は睡眠薬が手放せない人だった。
部下がいる時期ならば、「部下に仕事を与えない事」自体を
睡眠薬の代わりとしていた。実にすさまじい人であった。
しかも、観察力が低いと、その事実(例えば仕事の重要な道具を
取り上げられているなど)を当事者以外見抜けないのである。
何せ、P146のように、一人1台のPCが与えられていれば、
屈辱に耐えながらも、仕事をしているように見せることが
可能なのである。例えそれがLANに未接続のPCであっても。
私自身、色々と手は打った。上司の上司に相談してみるとか、
一番偉い人に相談してみるとか。だが、無駄であった。
なぜなら、「上司の上司」や「一番偉い人」には
私や同僚を救う手近なメリットが存在しないからだ。
全体で見てプラスの業績が出る、という理想論は、実際の所
年上ほど、誰一人、まじめに考えていないのである。
会社の利より自分の利、これが年々染みついてしまうのである。
そのため、自分の利にわかりやすい形でつながるような
会社の利でないと、彼らは動かないのである。
高い理想を掲げ、やる気に燃えているのはいつも若者であり、
人材をつぶす快楽に溺れているのはいつも老人手前の人であった。
面白いことに、転職先に悩んでいる同僚の社内失業者に、
新しい職場探しを手伝っているのは、実のところ私なのである。
(私と違って、若い人ならば、まだ転職は可能である。)
問題は近年、筆者が書くように、ごく普通の職場でも
簡単に起こりえるようになってきている。
リーマンショックが与えた影響も少なくないだろう。
人材を育てる能力が無くなった影響も少なくないだろう。
しかし割を食うのはいつでも若い者である。
「若者のコミュニケーション能力が低い」
「仕事は自分でみつける物」という話は一般的だが、
それに併せて「年配者の横暴コミュニケーション能力は異常」
「不況時の仕事の見つけ方」などは
セットで検討されるべきだとは思うのだが、
前者はともかく、後者は
話題にすらあげない空気がそこかしこに立ちこめている。
まるで社会全体でスタンレー・ミルグラムの
実験を行っているかのように。
もしこのまま若者が育たなくても、自分自身があと数年で
逃げ切り退職すれば、その会社が倒産してもどうなっても
関係ないのだから、別段現状をあらためる必要もない。
例え、仕事場に「使えない」「使わない」人材を溜め込み、
利益を失っていても。あるいは、日本全体の国力を
削ぐ事になっていても。
この本を読んで感じた最大の悲しみは、無気力な人ではなく、むしろ
自分で何かを改良しよう、
などの行動力のある人、
独創性や経験を持った人、
アイデアをもっている人、
身の丈にあった
自信と誇りを持っている人……
こんな人たちが、合理的判断力の低下した上司の
毒牙に
かかって、過大なストレスで日夜苦しんでいる、という現実である。
上司が受け身人間ならば、こういう能動的な部下は、
敵にしか見えていないのかもしれない。
むしろ社内失業中の彼らは悲しいぐらいにマジメな人材であり、割り切って
「職場なんか見捨てて自分のために勉強しよう」等とは考えられないのである。
少なくとも、頂いただけの給与に見合う働きがしたいのである。
そのためむしろ罪悪感に押し潰れて、昼間なのに、暗闇の中で息を殺して、
無限時間の拷問を独房で受けているのである。
「仕事ができたから、出世して上司になる」という習慣が
既に間違えていて「人材マネージメントができる人が上司になる」と
ならない以上、この問題は根本的に解決しないのかもしれない。
なにせ、一番の問題を作り出しているのは、その上司なのだから。
私の職場は特殊なのか、
「仕事ができる人ほど、人を育てるのがヘタ」という事実は
ほぼ誰もが知っている職場である。
それでも、仕事ができる人が上司になる風習は、
未だ打破できていない。
「仕事ができる人には給与を与え、
人を育てるのが上手な人には管理職を与える」という解は
いつになったら来るのだろうか。
P263に4番バッターの話があるので触れるが、
天才級4番打者は、自分の後輩を天才級には育てられない。
例え血がつながった息子でも、二世は凡人である。
恐らく筆者は読むだろうし、筆者のインタビューに答えた
人たちも読むかもしれないから、年上風を吹かせて、
最後に少し書きたいことを書いてみよう。
P267「無能だからこうなった」等は、思わないで頂きたい。
あえて言うが、無能でも社内で仕事にありつけている人(A)は
ごまんと存在する。実に、沢山の実例を見てきた。
また、偶然上司が居なくなったので繰り上げで手に入れた
良いポストを「自分の力で手に入れたかのように」誇りに
思っている、という、「真の勘違いさん(B)」も少なからず存在する。
(A)(B)共に、運が良かったのだ。
実力はオマケ程度にしか影響していない。
認めにくいかもしれないが、社内失業の大きな要因の1つは
「運がなかった」のも含まれる。(「時代の流れ」も含んでいる。)
少なくとも人より学業成績が良かった人の場合や、
努力して、創造性も兼ね備えているならば、特に強く言いたい。
「無能だからこうなった」のとは断じて違う!
「運がなかった」か、あるいは「ニーズがあわなかった」のである。
あるいは前述の「上司」に問題がある場合が多いだろう。
決して、決して、今までの長い教育期間、苦しかった受験経験などを
帳消しにしてしまうような、自己卑下はしないほうがいい。
そんなのは、マイナスになるばかりで、プラスにはつながらない。
もし「誉れ」が欲しいなら、私があげよう。
無関係の私でよければ、今までの努力を評価し、賛辞の言葉を贈ろう。
もし誰からも「認められない」と思うなら、
無関係の私でよければ、その努力を認めよう。
窓もない明かりもない暗い倉庫に押し込められ
1日に1度、他人のためにポットに水を入れ、そして
7日に1度、今週の業務成果を尋ねられるだけの
仕事をしていた時期があった私で良ければ
あなたの人生を肯定し、認めよう。
現実以上に脳天気になることはおかしな事だが、
同様に、現実以下に考える事もないのだ。
長い目で見れば、先見性のない人は、
多かれ少なかれ、勝手にころんで自滅した。
なるべく大きなアンテナを持ち、しなやかに、したたかに、
人生を生き抜いて欲しい。暗闇の同志よ。
長い人生、これ以上の悲惨さを伴う苦痛は、多分存在しない。
現代のヨブ記である。
実際のところ、この大いなる絶望は、以前
私に自殺すら考えさせ始めた事があった。
が、どうせ死ぬならどこまで私の人生がすり切れ壊れるか、
あるいは逆転するかを見届けてから、笑って死のうと思った。
理性によって未来の栄光を決定できないとしても、
未来の栄光に賭けても失うものは何もないし、
むしろ生きることの意味が増すだろうから。
最後の方、偉そうですみません。