岩倉城と言う名の城も尾張や阿波など、全国に多数あります。
近江の岩倉城は少しマイナーな城址ですが、小堤城山城の尾根続きに古くから有る城なので、続いて登城します。
近江の城 近江岩倉城 登城日:2020.02.04
別名 古城山
形式 山城
標高/比高 245m/150m
築城年 正安2年(1300)
築城主 馬淵泰信
城主 馬淵氏
廃城年 元亀元年(1570)
遺構 石垣、土塁、郭、堀
史跡指定 なし
所在地 滋賀県野洲市大篠原
岩倉城の築城は鎌倉末期と古く、野洲郡を支配していた馬淵氏の築城と伝わります。
馬淵氏は平安末期に佐々木氏から分かれた、近江源氏の支族ですが、戦国期にはその後に分家した六角氏に臣従していました。
しかし、馬淵氏から分家した青地氏や、家臣だった安原氏が台頭する中、相対的に低迷した家とも言えます。
岩倉城は元亀元年の信長との戦い(姉川の戦の前哨戦?)で落城して廃城となり、馬淵氏も近郷で帰農したそうです。
尾根の遊歩道 よく踏まれているので、利用者は多いみたいです
10分足らずで城址に着きました
山頂は物見台程度の広さだから、見張りの城だったか?
岩倉城へは小堤城山城から東向きの尾根を歩いて向かいます。
付近の山は城址も含めて公園化されていて、尾根にはトレッキングの遊歩道が整備されており、分かれ道には看板も設置されてるので、迷う事はありません。
ただ岩倉城の表記は『古城山』でした。
300mも歩くと城址に到着します。
山頂は尾根上の小さな平場で、尾根城だから小規模な砦をイメージしていたので、予想通りでしたが、尾根から西の斜面を覗くと、思いがけずデカイ曲輪が見えています。
俄然ヤル気モードになって斜面を駆け降りると、高い土塁に囲まれた郭が段状に重なり、これはもう居館の風情です。
おまけに山上に似つかわしくない池が有り、今も水を湛えています。
しかし、下を覗くと、予想外に広い郭が広がっています(^^;
降りて見ると、大事な水の手の池まで有るではないですか(^^;
よくよく見ると、周囲を土塁で囲った城館の造りですよ
ん? お寺もあったの?
隅々まで見て廻りましたが、どうやら此処には寺院も有った様ですね。
近江には山岳寺院が多く有り、南北朝の頃からそれらが城砦に転用される事は珍しくありません。
観音寺城が顕著な例ですね。
寺の名は『桜本坊』と言って、応永年間の創建だそうですから、もう室町時代の事です。
ここは城の方が先だった様ですね(^^;
ただ、桜本坊は明治の神仏分離で神社に姿を変え、昭和の戦前まで健在だった様ですから、岩倉城の遺構かと思われた土塁などは、殆どが桜本坊のものかも知れません。
山頂はやはり土塁上の物見台だった様です
北向きの土塁虎口には石積み遺構も
ここに案内板が有りました。
【はやくも農業の春到来か!?】
週末からポカポカの陽気が数日続きました。
スギ花粉の飛散で煙る“伊勢妙義”
この機を逃さず“城歩き”に出掛けたい所ですが、今年ばかりは自重して畑に向かいます。
冬野菜の収穫もほぼ終わりなので、残骸を整理して施肥し、再び耕して春野菜の植え付けに備えるのです。
冬野菜ももう終わりです
ダイコンを残して、最後の収穫
地力の落ちた跡地には、牛糞をタップリ施肥して撹拌します
もうこれで何時でも植え付けできます♪
我が家で出番を待つ“エンドウ”の苗たち
人間の世界は人為的な思惑で、イレギュラーの連続ですが、こうした年中行事を変わらず運んで来てくれる自然の強さ、有難さが感じられて、いつになく楽しい農作業でした。