小浜城址を後に、R162を東進。

若狭湾に沿ったこの道は風光明媚な道ですが、観光名所はスルーして城址を1城でも多く訪ねる“城歩きの旅”です(^^;

 

初夏の日本海は穏やかで、風吹も荒波もなく、津軽三味線も聴こえてきません

 

は美浜町ある、続・日本百名城の佐柿国吉城を訪ねます。

 

 

日本200名城 139 佐柿国吉城 福井県 登城日:2019.6.14

 

 城郭構造     山城

 築城主       常国国吉、粟屋勝久

 築城年       1556年(弘治2年)

 主な城主     粟屋勝久、木村定光

 廃城年       1615年(元和元年)?

 遺構        曲輪、土塁、石垣、空堀、堀切、館跡

 指定文化財   町指定史跡

 訪城の観点    6年間もの朝倉氏の攻撃に耐え抜いた堅城とは

 見どころ     北西尾根に連なる堅牢な連郭式の郭群

 所在地      福井県美浜町佐柿

 

国吉城の地取りは、まさに関所

 

城址遠景 高さも手頃で、急斜面の理想的な城山です

 

 佐柿国吉城があるのは越前との国境から西へ3kmほど入った三方郡佐柿で、海岸線の平地を御岳山(548m) からの尾根が海へ延びて寸断している場所です。

 ここを抜ける丹後街道は椿峠という峠を越えましたが、若狭の奥へと進むにはこの峠を越える他に道は無く、街道の要衝でした。

 城はその椿峠を見下ろす形で南側の城山(197m)に造られており、 “若狭国の表門”的な機能を持った重要な城であった事が伺われます。

 

資料館にクルマを停めます Pは少し離れていますが、草刈りしてたオジサンが『邪魔になるから資料館に停めて!』…と言ってくれて、玄関横づけ(^^; 

 

展示の立体模型 詰め城が主役の“戦う城”です

 

縄張り図 等高線から、東側(越前方面)が崖に近い急斜面なのが判りますね

 

 

 佐柿国吉城は常国国吉という武将によって初めて築城されたと伝わっていますが、この人がどの時代のどこの人なのか、素性は判りません。

 この地は古くから佐柿氏という豪族が支配した場所であり、一族の詰め城だったのでしょうが、後々の時代まで国吉の名が受け継がれたのですから、著名な人物であった筈ですけどね。

 

居館(根小屋)跡を通って、山上の城址に向かいます

 

登り口の害獣柵のゲート 直後に下りて来る“大昔ギャル”のグループとすれ違いましたが、その後に人に遭う事はありませんでした(^^;

 

七曲り状にハードな坂道が続きます…

 

 

 初代の城は早くに廃れており、戦国中期の1556年になって若狭守護武田氏の被官:粟屋勝久が城址を修復・拡張し、実質的に佐柿国吉城が築城されました。

 粟屋氏は武田氏の被官の中で最も有力な家臣で、各地での戦いには武田氏の主力として出陣し、若狭国東端の三方郡を領していました。

 

ちょっと休憩しようか…と思った頃、中腹にある二ノ丸との分岐点に着きました

 

二ノ丸は椿峠に直結した馬出し機能の郭で、高土塁と喰い違い虎口が有名

 

これがその虎口ですね

 

 

 その粟屋氏が堅牢な城を欲した動機は、また武田氏の内部での混乱があります。

当主の武田信豊は50歳になった天文23(1554)に家督を嫡子の義統に譲りますが、双方に近い家臣団同士の対立→抗争が起こってしまいます。

 

 粟屋勝久は信豊派の中心人物で、絶対戦力に勝る事から義統に公然と対立し、三方郡に立て籠もりました、これに対し義統はなんと隣国の越前朝倉氏に出兵を要請し、若狭に越前兵を招き入れてしまいました。

 

虎口の外側は平場になっていて、一定数の兵が留まれます

 

その先は急坂で北へ落ちていますが、当時は椿峠に通じる搦手道があった様です

 

また大手道に戻って、本丸へと登って行きます

 

 

 さすがにこの事態には勝久が折れ、義統に和睦・臣従して事なきを得ましたが、対立の火種は残ってしまい、ついに若狭国は国人達が武田氏に従わない“守護不在”状態となってしまいました。

 これを見ていた朝倉義景は、粟屋を斃せば若狭を我が物にできる!と踏んで、しきりに侵攻を繰り返す様になりました。

この朝倉軍を国境で食い止め、追い返して若狭を守る目的で築城されたのが佐柿国吉城なのです。

 

後編につづく

 

 

 

 【2019年最後の扉】 

 平成から令和へ、YahooからAmebloへ公私ともに節目の年となった2019年も残りあと半月です。この秋の見納めに、紅葉の名所:四日市水沢紅葉谷に行ってきました。

 

 

年末年始に向けてイベントも盛りだくさんですが、自然の景観の移ろいにこそ一年の時間で節目を感じさせる扉があると感じています。

 

人生の扉があと何枚有るか判りませんが、これからは最後の扉を開けるまで一枚ごとに満喫して行きたいものです。