日本百名城 篠山城の《中編》です。

二回で稿了するつもりでしたが、新参者ゆえか受け付けて貰える容量が小さくて、写真を小さくしても入らないので、やむなく三分割で投稿します。

 

日本城郭体系の縄張り図 少し前のデータですから現状とはかなり違います

 

 南馬出しから堀を渡って三ノ丸に入って行きます。

三ノ丸は帯曲輪状の広い平坦な郭で、藩政時代には重臣屋敷地として使われた様ですが、築城時の用途としては兵舎が並ぶ武者溜まりだった事でしょうね。

 現在は小学校が有る他は、多目的のグランドや駐車場となっており、有効に活用されているとは言い難い状態です。

一軒だけでも重臣屋敷が整備できれば良いのですが…。

 

外堀を渡る土橋は若干の登り傾斜

 

右に90度曲がって郭内へ 此処は枡形になっていた筈ですが…

 

南側の郭内は…パッと見荒地(^^;  左手は篠山中学校、右手は堀を埋めて市民グランドになっていたそうですが、双方とも近年に移転しています。

 

整備予算の不足かと思いきや、天守台下では内堀復元の工事中 少しずつ復元が進んでいます。

 

 

 内堀を隔てて、内側には総石垣の本丸が聳えています。

高石垣の高さは20m弱かと思われますが、明らかに高虎の石垣ですね。

高虎の作品だから(?)高石垣の下には犬走りが巻いています。

しかし、この犬走り、内堀の半分ほど(15m)も有るとても広いものです。

 タイミングとしては津城の次に縄張りされた城ですから、何某かの思惑が秘められているのでしょうが、これにどんな効果があるのか…、ちょっと謎ですね。

 

特徴的な広い犬走りですが… 今年は一度も草刈りしてない感じですね…

 

内堀の半分が犬走り なんとも解せません

 

大手の表門(櫓門)へと続く土橋 此処には屋根が架かっていて、廊下門と呼ばれていました

 

大書院に展示の復元模型 全周多聞の壮観な主郭です 郭の呼称は古い表記になっていますね。(本丸→殿守丸、二ノ丸→本丸、三ノ丸→二ノ丸)

 

表門内枡形 敢えて登り坂にした攻めるに厳しい構造です(^^;

 

天下普請である事を証明する刻印

 

二ノ丸への最後の関門“鉄門” 現状は冠木門ですが、厳重な櫓門でした。

 

 

 大手の廊下門(跡)から二ノ丸へと登って行きます。

二ノ丸と本丸は梯郭に重なる主郭の部分で、高石垣に守られ、さらに石垣上にはグルリ多聞櫓が巡る、当時最先端、最高級の仕様になっています。

 籠城戦を戦った際、三ノ丸に攻め込まれたなら事実上落城になってしまう所ですが、この主郭の構成なら、まだまだ兵糧が尽きるまで持ち堪えられる…という気がする堅固な構えです。

 

  二ノ丸の虎口門“鉄門”を入るとすぐに御殿の玄関があり、左手には“大書院”の建物が聳えています。

大書院は明治初年の廃城とともに、笹山小学校に校舎に活用されていた現存遺構でしたが、昭和19年に失火で焼失し、平成12年(2000)になって再建された復元建物です。

 

復元の御殿建物は何処でもそうですが、新し過ぎて有り難味はありません(^^;

 

白木の匂いがしそうですね

 

書院の南にあった御殿は、地面に間取り復元されています

 

そして外周をグルリ巡る多聞櫓台 素晴らしい!

 

 

《後編》へとつづく

 

 

今年のお盆休みは娘夫婦の誘いで、本当に久しぶりにオートキャンプを楽しみました。

併設の温泉を楽しみながらの涼しい高原での2日間は、快適な時間でした(^^♪

20年間眠っていたテントやバーナー達も問題なく使えました