大寒が過ぎてなお寒い日が続きますね。

今朝の我が家の玄関先 今冬初めての積雪ですが、20㎝は積もっていますね(^^;
自宅周辺も鈴鹿の山に掛かる雲の影響でか、予報は晴れでも時雨れる事が多く、陽光も途切れがちでスッキリしません。
同じ三重県でも紀州の太平洋岸まで下れば、風も気温も穏やかで陽光もずいぶん違うのですが…。
…という事で、先週末に娘夫婦を誘って那智勝浦の温泉へと出掛けました。

真冬でも穏やかな気候で陽光あふれる南紀の熊野灘 (写真は初夏のものですが…。)
那智勝浦は紀伊半島の先端のやや東寄りで、昔は熊野信仰の巡礼地だった場所ですね。
現在進行中の“熊野古道歩き”の目的地でもありますが、せっかくの機会なので“第二目的”として熊野三山にも参詣して来ました。
熊野三山とは三山とは言っても寺院ではなく、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社を指し、全国の3千社ある熊野神社の総本社です。
奈良盆地から深山を経て辿り着く熊野は、古くから修験者の修業の地でしたが、仏教(浄土宗)の広がりとともに極楽浄土の霊場としても目される様になって行きます。
神仏を問わぬ聖地となった熊野の神社はこのため仏的な要素も強く併せ持っていて、貴賤、男女を問わず、日々の安寧と極楽往生を願う人々の巡礼となったのです。

【花の窟神社】
まず最初に訪問したのは熊野市街の外れにある花の窟神社です。
熊野が聖地とされたのは、神話の世界で日本の神々の母である伊弉冉尊(イザナミノミコト)がこの地で軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産んだ際に息絶えてしまい、この地に埋葬された事が発端と思われます。(日本書紀による)

海岸に面した国道沿いにある花の窟神社 隣に道の駅があり、訪ねやすい神社です

伊弉冉尊墓陵は簡易な造りですが、辺りは神域特有の荘厳な空気が流れています
伊弉冉尊の墓陵には祭祀場が設けられ、それが花の窟神社となるのです。
神社は日本最古の神社とされ、やがて熊野地域には伊弉冉尊を守護する様に様々な神が祀られ、熊野信仰が育つ土壌が作られたのです。

目の前はもう七里御浜で、熊野灘が広がっています
【南紀勝浦温泉】
次の訪問地ですが、夕方になって来たので、今日はもう宿に入って第一目的の温泉に浸かる事にします。
実はこの前に午前中は娘夫婦の希望(商売やってるので、とても信心深いのです)でお伊勢さんの外宮、内宮にも寄っていたので…(^^;
勝浦温泉の宿は『ホテル浦島』を予約しました。
洞窟温泉が有名で関西では広く知られた超大型ホテルなんですが、利用するのは初めてです。

ホテルは岬にありますが、勝浦の観光港から船で向かいます 僅か5分の船旅もレセプションのひとつ

ホテル浦島は別府の杉乃井みたいな巨大観光ホテルで、幾つもの棟があります 山上の棟はセレブ層の御用達ですが、庶民の我が家は財布に優しい左下のエコノミー棟を予約しました

部屋からの眺め 泳ぐ魚や海鵜の群れの乱舞が見られ、これはこれで良い景色です(^-^;

風呂の写真は撮れなので、ホテルのHPから借用 名物の洞窟風呂“忘帰洞”は景色も雰囲気も最高です 泉質は含硫黄-ナトリウム・カルシウム-塩化物泉という事で、やや白濁した硫黄臭のある、“温泉らしい温泉”でした
湯疲れするくらいの温泉三昧の一夜が明けて、また船でホテルを後にします。
今日は熊野三山に順次参拝します。

観光バスでの団体客を目当てに造られたホテルで、施設はやや古さを感じますが外国人客は殆ど居らず、サービスや接客はキチンとしてるので、利用してみる価値は高いと思いました
【那智大社】
車に戻って15分ほど北へ走ると、那智大社の社域に入って行きます。
まず最初に眼に入るのが那智大滝で、那智大社は当初はこの大滝を神格化して祀ったものでしたが、平安末期に三山のネットワークが成立する過程で熊野夫須美大神が勧進されて主祭神となりました。
そんな経緯があったからか、地の利が悪く、社殿群は急な山の斜面にへばりつく様に建っています。

日本一の落差(133m)を誇る那智の滝も、水量の少なさが泣きどころですね

社域が山の斜面なので、参道は金毘羅さん並みの石段です

途中には皇族が参詣された際の宿舎跡もありました

まだまだ登って、あの鳥居でやっと到着です

本殿・拝殿は修復中につき撮影不可。 第六殿の前では麿が談笑しておじゃる(^^;

サッカーでもお馴染みの“八咫烏”は熊野三山共通のシンボルマークですね

隣りの青岸渡寺の甍越しにご神体の大滝が見えます

熊野古道中辺路はここから山間に分け入り、一泊二日の峠越えをして本宮大社に至ります 再びこの地に立つのは何時の事やら…
【本宮大社】
次に訪ねる本宮大社は熊野川を40㎞ほど遡った内陸にあるので、一旦新宮市街まで戻ってから、熊野川に沿ってR168を十津川村方面に走ります。
昔は道も細くて時間が掛かりましたが、随分と改良されていて、1時間余りのドライブで到着しました。

熊野川沿いのドライブ 柱状節理の石材を伐り出している様ですね

本宮大社も八咫烏です

本宮大社は昔は平地の中州にありましたが、明治になって洪水で流されてしまい、西の山手に移転したのだそうです。 この時に社域は1/3に減ってしまいました
本宮大社の興りも詳細は判りませんが、家都美御子大神(ケツミミコノオオカミ)を本祭神としています。この神様は須佐之男命(スサノオノミコト)であると言われるので、そうすると熊野地域での位置付けがなんとなく判る気がしますね。

こちらは朱塗りの煌びやかな社殿ではなく、檜皮葺の寺院に近い落ち着いた建築です。
祀られる十二神を順番に参拝して行きますが、那智大社=九神、速玉大社=十四神をすべて遥拝すると、お賽銭も大変です(*_*;
【速玉大社】
三山最後の速玉大社へは、また熊野川沿いを下って新宮市内へ戻ります。
去年の初詣でに来た神社ですが、主祭神は熊野速玉大神(クマノハヤタマノオオカミ)と熊野夫須美大神(クマノフスミノオオカミ)の二人の神が祀られています。

速玉大社参道 新宮駅からも徒歩圏の、三山の中では一番アクセスが良い神社です

しかし、参道の広さや鳥居の大きさなど、一番こじんまりしていて、観光地というよりも氏神様的な雰囲気です
速玉大神は伊邪那岐神(イザナギノカミ)で、夫須美大神は伊邪那美神(イザナミノカミ)であるそうです。
この二人は兄妹でありながら夫婦でもあり、八百万の神々を産み出した“日本版アダムとイブ”ですから、本来はこの速玉大社が総本社になるのかな?

もう夕方だったのもありますが、日曜日にしては参拝客が少なかった…

前回は気に留めなかったけど、此処の御神木は広葉樹ばかりですね
日本史に興味を持ちながら信仰心はそう厚くない身としては、熊野三山を巡って見ても感慨は大きくないのですが、“神話の世界”ももう少し勉強しないと今後の古道歩きで熊野巡礼に向かった人達の心に近付けないのかな…。
そして仏教界でも、熊野を極楽浄土への入り口として、“遥かなる補陀落“を目指して小舟で大海原へ漕ぎ出して行った(いわゆる即身仏)幾多の僧侶達の心境…。
土産の般若湯を傾けながら考えて見たいと思います。

おわり