熊野古道歩き、4回目の後半です。
瀧原宮から阿曽駅までを歩きます。
 
イメージ 1

 伊勢神宮に参拝してから始めた『熊野古道伊勢路歩き』ですが、ここ瀧原宮にもお参りして旅の安全を祈願します。
 
イメージ 2
瀧原宮参道入り口 伊勢神宮ほど大仰な構えではありませんが…
 
イメージ 3
参道の雰囲気は良く似ています 参拝者もチラホラ
 
イメージ 4
御手洗が普通の川なのも同じですね
 
イメージ 5
社殿は瀧原宮の他に、瀧原宮、若宮神社、長由介神社、川島神社の五社からなり、隣に用地があるから式年遷宮するみたいです

 
 瀧原宮(たきはらのみや)とは、全国的に名の通った神社ではありませんが、祭神は天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)となっています。
なんと、伊勢神宮内宮と同じなんです(^-^;
 
 それもその筈、瀧原宮は伊勢神宮の“別宮”という位置付けで、さらには倭姫命が伊勢に来てまず最初に天照大御神を祀った場所がこの瀧原宮なのだそうです。
 その後に伊勢の五十鈴宮(内宮)に転座するのですが、“元祖:伊勢神宮”なんです。
7世紀以前の遥か昔の事ですが…。
 
イメージ 6
 
イメージ 7
神社の門前の道の駅:木つつ木館 地場産のコーナーは特産の木工製品が並び、高価な卓素材は見応えがあります
 
イメージ 8
熊野古道に戻って先に進みます
 
 
 この日歩いているのは、度会郡大紀町の地内ですが、宮川支流の大内山川の谷間に入って来て、徐々に田舎度が増して行きます。
 この大紀町というのも平成17年の町村合併でできた町で、2町1村が一緒になりました。
それでも人口は9千人弱の典型的な過疎地域で、どうしても空き家が目についてしまいますね。
 瀧原宮の周辺は旧大宮町の中心地で、その昔は街道に沿って繁栄していた面影がまだそこかしこに残っています。
 
イメージ 9
立派な古民家を使ったカフェは“CLOSED”でした。 この日を通して街道歩きの人には誰にも出会わなかったし、商売にはならないかもね(^^;
 
イメージ 10
この辺りは黒板塀の豪壮な古民家が続きます
 
イメージ 11
石垣も古そうで、旧街道らしい佇まいです
 
イメージ 12
このお宅は変わった建て方がされていて、旅館でも営んでいたのかな?
 
イメージ 13

 
 大紀町役場の前を過ぎると、街道は国道42号線と交差します。
大内山川沿いの民家のない寂しいエリアに入って行きますが、大内山川は“大滝峡”と呼ばれるきれいな峡谷を造っていて、遊歩道が整備されている様子なので、しばし熊野古道を離れて、そちらを歩きます。
 
イメージ 14
42号線を歩道橋で跨ぎます
 
イメージ 15
渡った所に『新宮まで122km』の標柱 伊勢から48km地点。
 
イメージ 16
右下に大内山川の美しい渓谷『大滝峡』が見えます
 
イメージ 17
渓谷沿いの遊歩道に寄り道(^^♪
 
イメージ 18
杉の林間の歩道からは絶えず渓流が見下ろせました
 
イメージ 19
川面に降りて見ると、こんな感じ 仙人が釣り糸を垂れていそうな雰囲気ですね
 
イメージ 20
遊歩道の終点はキャンプ場でしたが、利用者は居ませんでした
 
イメージ 21
子供の頃はよく野外活動でキャンプしたものですが、こんな施設も廃れてしまいましたね
 
イメージ 22
立派な資料館ですが、閉鎖されて久しい様です…。
 
イメージ 23
国道に合流する手前にあった鈴木牧之翁の碑
鈴木牧之とは江戸天保期の越後の文人で、熊野古道を歩いて幾つもの句を残しています
 
 
 太陽もだいぶ西に傾いて来ました。
街道はまた国道に合流した後、本日の終点“阿曽”の集落へと入って行きます。
 阿曽もかつては宿駅だった様で、街並みに宿場の風情が残っていますが、かつては賑わったであろう商店街も、シャッターが下りたままの家が殆どでした。
 
イメージ 24
少しの間、国道の側道を進みます 右奥の阿曽の集落が本日の終点
 
イメージ 25
阿曽の街道脇にあった石灰華の岩塊 炭酸泉の鉱泉から噴き出した石灰成分が凝固したもので、昔から神として祀られた様です
 
イメージ 26
隣りの池には今も鉱泉が湧き出していて、泡がブクブク出ていました
 
イメージ 27
阿曽の街並みは通りも狭く、家が建て込んでいましたが、その多くは閉鎖した商店で、日曜日なのに誰にも遭いません…。
 
イメージ 28
大内山川は落瀬橋でその流れを左手に変えます なかなかの景色です
 
イメージ 29
橋の南詰にあった阿曽観音堂 江戸後期に置かれた観音堂の様で、大きな欅の木が目印です
 
イメージ 30
さらに街道を進むと、左手の橋の向こうにゴールの阿曽駅が見えてきました
 
イメージ 31
“紀勢本線”とは名ばかりで、単線の折り返し運転でホームも片側のみの超シンプルな駅です
 
イメージ 32
列車を待っている間に日没となりました。
 
 
 熊野古道歩きも山間部に入って来て、古人の信仰の痕跡よりも、近世の人達の失われた生活の痕ばかりが目につく様になってきました。
南紀の海岸に出るまでは、ちょっと気が重い旅です(^-^;
 
 
ここまで歩きました
イメージ 33